いつも気持ち寄せてくれてありがとうね〜

というショートメールが宮古のドン(通称)から届いて、もう涙腺が壊れてしまったので今日は色々なことをもうやめることにしました。

3月11日。昨年は釜石に行ったけど、去年、この日を久々に岩手で過ごした…のかな。おそらく。その日、釜石のとあるお店でお昼ゴハンを食べていたら午後2時46分を迎えた。確かサイレンのようなものが鳴っていたけど、お店の方は手を休めることもなく料理を作っていた。

そうだよなぁ。日常に戻るってそういうことだよなぁ、って。追悼のテレビ番組が流れながら。

今年もどこかへ行こうかと思いました、が、日程的なものもあってなのかな、なんとなく関東にいながら今日を迎えてしまいました。さて、ぽっかり空いた(空けておいた)日をどう過ごそう、まず免許更新の期日が迫っていたのでそちらに行くことにしました。

自分の視力検査が終わった時に、ちょうどアナウンスが始まって“黙祷を捧げます”と。

賑やかな場所が一瞬にして静まる。皆、目を閉じる。

たまらなく涙が溢れてくる。

黙祷の時間が終わると、またその前の賑やかさが戻ってきた。視力検査に落ちまくっているおじさん(と言いつつ結構、上の年齢なのだろうか)がまた検査を受けようとしている。おじさんは免許の更新が出来ないとおそらく仕事が出来なくなっちゃうんだろうな、作業服姿だったけど。

いろんなことを、考える。優良運転者の講習中も涙が溢れてこないように目元を押さえながら。

わたしにとっては、なんとなくだけど、新年が切り替わりではなくて、3月11日が新しい切り替わり…あえて使うならば、1年の節目なのかな。と、感じる。免許更新からの帰り道は口角が上がってたと思う。生きているうちは、頑張らなくちゃいけないとな、と。

遡って、ブログを書いていない数年の3月11日はどうしていたんだろう?って記録をさかのぼってみた。2021年も22年も関東で過ごしつつ、時に仕事もしていたし時に家で過ごしていたり。何にせよコロナ禍でも忙しくしていた模様(ありがたい話だよ)。

とりあえず2021年、コロナ禍から1年を迎えた時の3月11日前後はいつものメンバー・いつメンと飲みつつ横浜のライブハウス・BAYSISに突入していたらしい。大雅さんも入ってパチ☆

2021年3月11日前後にオンエアされた生さだ(=今夜も生でさだまさし)にヤスくんが出てた件。以来、見られる時は生さだを見てしまう件!笑 知り合いなのでスクショは許して。ヤスくんだ〜〜〜ってテレビの前で狂気♡そして謎に誇らしかった(爆)。

昨年、久々に開催された騎馬武者ロックフェス。前日、眠れなかった時にたまたま生さだが放送されていて、ちょうど谷村新司さんのエピソードが紹介されていたんだけどもう爆笑したのよこれ、夜中に。全くディテールは覚えてないんだけど、南米に行った時の話。そう、ステージに立つことって自分の場合だったらうまく喋るとかそんなことじゃなくって、お客さんが何なら全員“イエ〜イ”って気分に、いかに、させられるかってことだよね。それに気づかされるトークで、あとは熟睡して翌日の騎馬武者も良き雰囲気が作れたのでは、と手前味噌に思っております!はい!

北関東ライブハウス店長たちともオンライン飲みをしていた。おそらくこの時夜中の1時過ぎ。左上のわたしは写真を撮るべく映らないようにしていたらそのまま最初に離脱した。笑笑 そしてこの時のことがここに繋がっている、のだ。LIVE FORCE,  LIVE HOUSE

2022年は3月16日に陸前高田に行ってました。

MAN WITH A MISSION(MWAM)のライブが、奇跡の一本松ホールで行われたからです。

今もこちらから見ることができますが、陸前高田だったり震災の復興でMWAMが動いてきた動画のナレーションを担当させていただきました。この件はまた別で書かなくてはいけないぐらい、色んなことがありました。

ライブは、ステージに映像を映し出しながら大島こうすけさんが弾くピアノの音色もマッチして、本当にこの日限りのステージングで鳥肌ものでした。ライブが終わって外に出たら、地元の有志(と言っていた気がする)が大輪の花火を上げていて、寒空で見上げた花火にも感動して。ふと会場を振り返ると、上の方に上がってオオカミさんたちも花火を見ていて、そのシーンにもなんだかじーんとしたのを覚えています。

現地に行けば何とかなるだろうと思ったらやっぱり何とかなって(笑)、大船渡のライブハウス・フリークスまで車で乗っけてもらう(けど残念ながら、ここに写る皆は飲まずに帰った→コロナ禍で大人数の飲酒が良しとされなかった時だからね、それも記録として書いておこう。もう良いでしょう)。

フリークスで、フリークスの皆とお酒を飲んでいたら…

ヒロポンさん(左)が、“何か、聞こえるな?地鳴り?するな?”…

言ったも束の間だった。

ステージは確か大丈夫だったはずだけど、フリークスの厨房は大変なことになった。

ものすごい揺れを感じた。あとはサイレンが鳴ってずっと、町の放送がずっとしゃべりっぱなしだったと思う。

ただこの日にとても覚えているのは、先に書いた通りでヒロポンさんが揺れの予兆を言葉にしていたことと、フリークスの外に出て放心状態で立ち尽くすわたしの横にずっといてくれたもえぴちゃんが背中や腰のあたりをずっと手で包んでいてくれたことだ。あのあたたかさを、絶対に忘れることはない。わたしは多分、震えていたと思う。

それで大船渡のホテルに入ったら、風呂場のシャンプーとかはあっちこっちに飛んでました。この日は確かホテルで仮眠したかどうかぐらいのレベルで、皆でフリークスで過ごした記憶です。ひとり、怖いよね。よく、よく、わかるよ、わたしも。

武藤さん(先の写真・右)たちチームはこの日もホテルを延泊して大船渡ステイ。わたしは、実家の方面(と言ってもだいぶ遠い)に近づけるバスは走っているのが分かったのでそれに乗り、実家の父に迎えに来てもらって数日、岩手で過ごすことになったのでした。新幹線もまるで動いていない中だったけど、どうしても仕事があってこの数日には戻らないと、と仙台からの高速バスとか在来線を乗り継ぐとどこまで行けるのか、とか探している矢先、

普段は飛んでいない、花巻空港から羽田行きの臨時便が出る!ということでこちらの切符を早々に押さえることが出来、仕事にも穴を開けることなく関東へと向かうことが出来ました。

振り返って、花巻空港から羽田までのフライト時間って実質40分とかそんなもんで(笑)メッチャ近い!のだけど、降りるまでと降りた場所が貨物しかいないんじゃないか?っていう端っこで(爆)、結果として新幹線で東京に行くのと変わらないぐらい時間がかかったかなという感じでありました。貴重な経験ですね。

先日、NHKのニュースを見ていたら津波の映像に一気に記憶が持っていかれ、実は気持ちがすぐれなくなってしまいました。

自分は大丈夫、だなんて、思う必要もないしわたし自身も今、そんな風に思ったりもしていません。

どうか、どうか、自分のきもちを大切に。無理に情報を入れる必要もないし、流す必要もない。

わたしは今日、2024年3月11日はまったくテレビもつけていなければ、ネットも見ていませんでした。

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「ひとのちから、まちのちから。」をはじめます

今日から3月です。本当にびっくりしたのですが、今って令和6年なんですね!?

ちょこちょこやってきた確定申告を本日なんとかほぼ完成に持っていけた感じだったのですが、

あれ??

令和が全然ピンと来てなくて、書類を整理しながら令和になってもう6年も経ってるのか…と焦ったヲレ。

さて。今週は感動的(!?)な出来事が多かった上に(そのことは追って)、同郷が生んだ偉大なスーパースター・大谷翔平氏の結婚発表(いや〜嫁さん探しに協力しようと思ってたのになぁ←何サマやww)でお祝いムードな中。

今月から、新しいインタビュー企画を自分なりに始めてみることにしました。

実際にスタートしてみないと色々どうなるか分からない綱渡り状態のまんまで告知を始めてしまったところもあるのですが、まぁ大丈夫でしょう(と言い聞かせる)!

コロナ禍に「人を元気にするのは、人の声。」という音声でのインタビュー、また雑誌・Playerとも連動する形で「music with you!〜楽器探検隊・アーティストの側のウラ」  のタイトルで、動画でのインタビューをやってきました。

今回は、動画でも音声でもなく、主に文字で伝えていこうと思っています。

シンプルに、“いわゆるプロモーションタイミング”でもない時に、宣伝とか告知とかがメインではない。その“人物”そのものが今、考えていることや行動を記録として残したいなと思ったのでした。

その中で今回は、「街と人」をテーマに置きながらやっていこうかな、です。

わたしは盛岡・いしがきミュージックフェスティバルというイベントでマイクを持たせていただき早や10年以上の月日が経ちました。遡ってモッシュとかダイブとか全然無理なんですけど、だったわたし。FM岩手で番組を始めた時、盛岡にクラブチェンジというライブハウスが出来てました。ライブハウスと呼べるようなものがなかった(いやわたしが知らなかったのかもしれないけど、おそらく)盛岡に。

そんなクラブチェンジで初めて見たライブは何だったか正確には覚えてないのですが、オーナーの出自的なところもあり(笑)、ハードコア・パンクみたいなもう絶対わたしが積極的に見に行くライブじゃないんですけど!みたいなライブに結構、触れるようになりました。一応、自分のモットーは“飲みとライブの誘いは断らない”なので。笑笑

そんな中で印象深いのが、Hawaiian6のライブです。

“ちえさんがさぁ、見てるところってライブの本質じゃないと思うんだよ”…これまた正確な文言はすっかり忘れちゃったけど、そんなようなことを言われたことがある。ライブハウスに行くようになってあのバンドが上手いとかすごいテクニックとか、そんなとこばっかり見てた自分がいました。ぶっちゃけるなら、自分が通っていないジャンルだしさらに言うなら積極的に触れなくてもいいし全然、見どころが分からない(笑)。今思えばそういうところがあったんだな、と思う。

そういうことを頭から全部取っ払って、ライブを見るようになったら不思議とこのジャンルのエモーショナルさにグイグイ持っていかれるようになって。若かりし頃のわたしがこれを読んだら笑う、いや凍るな。だって男闘呼組(はいまた引き合いに出してすみませんね)も成田くんが客席のお客さんの上でギター弾いてるの見て“こんな暴力的なの無理だし!”って思った人だよ。あはは、笑ってくれマジで!

こうしてライブハウスが、新しい自分の扉を開いてくれました。

そうこうしているうちに、いしがきミュージックフェスが立ち上がり2年目の年からマイクを持たせてもらうようになりました。当初は甲斐バンドも来たり(!)、それこそCaravanやスペアザも出ていたり、だったけど。ケンバンドに触れたときに“うぉお”っていう、感じたことのない何かがあった。今やすっかりライブハウスの延長みたいなシーンが度々見られる(としか書かないw)フェスだけど、こんなフェスはきっと全国探してもないんじゃないかなって思う。

ということで、このいしがき〜でかつて。Hawaiian6のハタノさんがMCで、こう言ったんだよね。

“街が人を作るんじゃない、人が街を作るんだ”

これを読むとこの時より前、ということになるのだけど、わたしは今に至るまでこの言葉の深さを感じることがなくて。ごくごくシンプルで当たり前なのだけど、でも、その“当たり前”の中で生きているのかな、自分?って思ったりもして。

…そんなことを考えはじめたら、なんだかムクムクとアイディアが出て一気に思考が花開いて、花男くんに電話してました(笑)。

こんなテーマでもし何かが出来るなら、いっちばん最初にお話を伺うのは花男くんしかいない。

快諾してくれた花男くん。ありがとう。そのおかげで、今後のラインナップもミュージシャンだけでなく、でも音楽にまつわる人になるのかな。あの方この方、とお話を聞きたい方が山盛りになってきました(笑)。

新しくnoteを使ってみながら、毎週(金)に更新していく予定です。今年、3月は5週あるので3月9日からスタートしていくつもりです。

ぜひ、たのしみにしてもらえていたら嬉しいです☆

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徒然、ツレ連れ

今週は予定していた予定が2本飛んでしまい、まぁそんなわけでのほほんとしているわけなのですがさすがにちょっとのほほんが飽きてきてしまいました。ということでここ最近の総括など。

まず、この冬の間に岩手めんこいテレビでオンエアされた「アスキラ!」という番組でナレーションをさせていただきましたことはとてもとても勉強になるものでした。わたし的には弾け系のナレーションの方がやり易いとか向いてるとか感じと思いつつ「アスキラ!」はちょっと落ち着き系だったのですが、実家の両親が“いいんじゃない”って毎週見てくれていて、何だかそういう意味でも良いお仕事が出来たかな、と思ってありがたかったです。

このコロナ禍も色々なナレーションをさせていただきました。そのお陰で頂いたお金を思い切って使って、昨夏に新しいナレーションのデモはプロのスタジオにお願いしましたが自分にはない引き出しを開けてくれたと思って感謝しています。ナレーションはやっぱり面白いし、自分でも向いているなと思っています。映像の最後で良き色を加えられるかどうか、プレッシャーもあるしまだラジオよりも緊張するのですが、今年はもう少し頑張ってみたいなと思っています。

年末〜年始と怒涛の如く新宿ロフトがらみのお仕事をさせていただいたのですが、まずコロナ禍でも続けてきた『ATTACK FROM LIVEHOUSE』がロフトを飛び出して昨春にオープンしたロフトとは目と鼻の先・Zepp Shinjukuで開催した時のレポートを書かせていただきました。卓球さん、打首さん、88(全て普段の呼び方で失礼)の素晴らしい3マンで、こうして形になるものを担わせてくださったことは本当に嬉しかった。

そんで年末にはロフト恒例・年末大感謝祭のトークパートでマイクを持たせていただいたのですが。まぁびっくり!わたくしがこの日、完全に押してしまう痛恨のミス…自分で言うのも何だけど、時間は守れる自信があったのよ。いや、あるのよ。いや〜…楽しかったとかそういうのを言い訳にしちゃいけないのよ。すみません…!!!

右からBentham・オゼさん→青はるまき・さるくん→山さん。そして新宿ロフト・ヒグチ女史。Benthamとは急速に今、色々なインタビューや執筆をさせてもらっていて新しいご縁にもありがたく思っています。

かと思えば、去年のいしがきミュージックフェスにも公園のステージに出演していたビレッジマンズストアや知り合ったのはもはやいつ?というイナ戦などが出演したライブレポートも書かせてもらったばかりです。わたしよりひと世代以上若い世代が組んだ企画でしたが、こうやって若い世代ともお仕事ができることはとても幸せなことですね。

今年いちばん最初に開催された新宿ロフトのせんべろイベントにて with せんべろのいつもの面々🎶

今年はこの場所に新宿ロフトが移転して25周年で、色んな企画が春からスタートします。キックオフ的な感じで昨年にTRICERATOPS×This is LASTの2マンというのが組まれましたが、そのツーマンも本当に良かったなぁ。対バンの前にフロントマン対談を行って、そちらもわたくし担当させていただきまとめたものは今でも見ることができますが、年齢差もあれどミュージシャンとしての深い話に“無料で読めるなんて!”と我ながら思ってしまう内容だ(笑)という自負があります。

かつて和田さんにわたくしがFM岩手の時に職権濫用しまして(はい)、リリースタイミングでも何でもないのにコメントをもらったこと…があるのですが。この時そのお話もしまして、そしたらあの素敵な笑顔で“もうこれからは何でも言って!”と仰っていただきムフフとニヤニヤしながら家路に着いたのはここだけの話だ。

ライブハウスのお話でいくと。元々、恒例だったという北関東ライブハウス店長飲み会に混ぜてもらうようになってどれぐらいになるんだろう。忘年会ではじゃっかん記憶が朧げなところもあり皆、言ってることがバラバラなので平均すると6軒ハシゴしたみたいです。笑笑

昨年の秋に『バディットマガジン』という新刊雑誌が創刊されまして、いくつかインタビューなどを担当させてもらいました。わたしが担当したバンドマンの話が合うのもこの方たちね。笑笑

この日は浅草で行き当たりばったり、だったのですが。かの捕鯨船に初めて上陸しました(多少お酒が入ってから向かったので皆強メンタルw)。芸人さんが集うお店として有名ですが、“ライブハウスの感じがするよなぁ、ここから頑張っていくぞみたいな気持ちが溢れてるよね”というお店評には言われて納得。さて今年はどこでハシゴしましょうかね!

赤穂浪士討ち入りの日に毎年、同い年が集まって水戸で飲む会にも参加するようになって早や何回目?だろうか?もちろん水戸・茨城の人が多い参加者の中で今は年に一度、この面々に会えるのも楽しみになってきてる自分がいる。今年は二次会で女子会になりましたとさ!

水戸に行ったら是非に寄って欲しいラーメン屋さんが「ことぶきや」。もうつけ麺界の間違いないナンバーワンですよ、こちらは!ということで皆で写真を撮ったのはいいが麺の写真がないのな(爆)!

去年は男闘呼組のライブ三昧だったという話も通じる同世代ばかり(笑)なのでひとりベラベラ饒舌に喋っていたら、“同級生が中学の時?東京だったかな?コンサートに行った時、ショージ!って(メンバーを)呼び捨てで呼んだら、今呼び捨てにしたの誰?こっち来い!って連れていかれたんだって”話に大爆笑。何それ!!!

でも今ちょうどオンエアされているクドカンさんのドラマを見てても、何となくその当時の時代背景から鑑みてそんなこともありそうってマジ笑える話。そんなわたくしめは男闘呼組のDVD発売でメンバーとの握手会があるという発表から毎日、あぁどうしよう買うべきなのか応募すべきなのかどうなのかと(詳細も読まず)勝手に毎日悶々としている…(たぶん行けないwww)

さていつものメンバーとは一度行ってから以来“ソビス(=サービス)!”とチヂミなんかまで出してくれる横浜・コリアタウンのお店で忘年会&新年会。リアル韓国なので小皿でいっぱいおつまみを出してくれるし最&高です(場所はヒミツです)♡

そんないつものメンバーとはこの前…

寒川神社に行っているという、毎年恒例のお参りに便乗させてもらいました。こうして見ると感じないかもですが、まぁすごい人出でご祈祷に至るまで3時間かかりました!というのは何でも行った日が、日曜/大安/一粒万倍日と全て重なった日だったからみたいなんですけどね(普段だと目安として1時間ぐらい待てば祈祷してもらえるみたいなので)。

何でも全国で唯一の八方除けの神社だというのも教えてもらって初めて知りました。ご祈祷の前に何を祈願するか伝えるのですが、モリタニアンが係の方とやり取り長くかかってるな?と思ったら“周りの皆さんの幸せと平和を”的なことを言ったらしく。係の方が“え?自分のことじゃなくて良いの??”っていうやり取りがあったんだと。最高。

行きの道中から帰りまで、話が全く止まらない大人の遠足みたいな感じありました☆

文化放送でレーベルご担当の方と飲み会を何度か開いたことがあります。そしてそれが今なお続いているというのをとても嬉しく思うし、言ってしまえばわたしはもはや何屋みたいには言えないのですが(苦)“ちえさんの担当は僕らで、ということで”って言ってくれた去年の夏の集まりの時にはわたくし嬉しすぎてマジ泥酔してしまいました。はい。

嬉しいよね。本当に。

文化放送の担当から変わってしまった面々が圧倒的に多いし、別レーベルに行った子もいればマネージメントに行ったり、そもそもレーベルから離れた子もいる。だけど不思議と、音楽業界から全く離れた子は1人もいないのよね。

音楽業界、というか、そもそも音楽を志す人も大変な時代になってきた。いや、大変と思うのが良くないのかな、何でもかんでも(宣伝から音の流通まで)自分でやれる良い時代とも言えるわけだしね。

でもわたしは、色んな人と色んな力を合わせて何かをするのが好きなんだよね。

だから今でもこうして、声をかけてくれる人たちとは飲みに行ったり自分の相談すらも、たとえ歳下でも、平気でする。ものすごくヒントがあってありがたく思う反面、“会計はわたしがする!”って言えないのが本当に心苦しい。お会計は全部自分が払えるような大人になっていたかったのにな…すまん、いつも、みんな。でも、きっと、いつか!!!

一昨日は反対に、東北で大変お世話になったレーベルの方が定年を迎えたということもあり集まりがありました。結果として東北のみならず関東に来て今に至るまでお世話になっているわけですが、懐かしいあんな話やら何やら、楽しい時間でした(^^)前も書いたと思うけど、やはり主に東北でお世話になったとあるプロモーターさんが1日プロモーションでアーティストと一緒にラジオ局周りとかをして、お疲れ様でした〜とそのアーティストを送った後の足で車屋さんに行き外車を一括でポーンと買った話が大好きです(ざっくりですが)。

音楽業界のみならず、ダイナミックなエピソードが減ってきてると思うんだよね。いや、それがユーチューバーとかに取って代わられただけ、なのかな。

やっぱり、音楽業界にも、ひいては既存の放送界にも。夢があって欲しいなって思う。そんな風に戻って欲しいから自分ができることで頑張っているところもすごく、ある。


隠し撮りされてた(笑)けど、毎年いっつも美味な海の幸を送ってきてくれるボスがやって来た!もう1軒目からハイスピードでトークが止まんなくて遅れてきた人たちの連絡を見逃して待たせる始末。爆

ボスは、今までにいないタイプのともだちなんだよね。

震災後、石巻に手伝いに行った。なんだかちょっと、うまくやれなそうなタイプかなって思ったけど、一緒にお酒飲んでお風呂に入って川の字で寝たらもうそこからは。そしてその中の1人にデビュー前の片平ちゃん里菜(しかも圧倒的に若い!)がいるっていうのもまたすごい話でしょ。笑

はっきりしてるし、人に言うことは言うし、でもやさしいところもすごくあって。それでもいっぱい、色んなことを抱えて生きてるのがわたしには、わかるから。

去年のクリスマスにはね、牡蠣にベビーホタテにムール貝にワカメ。どっさり入ってたっけ。この手で冷たい海の中で幸を育てて穫っているんだな、って。この日はグラスを手にする手を見ながら、何度も心の中でありがとうって言ってました(ほんとだよ)。

そんなこの日の帰り道に初めて知った共通項としては、男闘呼組の、しかも成田くんファンだったというところです(猛爆)。やったぜ同世代!!!

こうしてブログに1時間ほど向き合って気づいたのですが、そうなの。東北のエッセンスが足りてないってことですよね。クラブチェンジの名前とか1回も出てこない、あーーー岩手に帰りたくなった!ぞ!ということで来週には行きますよ、盛岡に!!!待ってろ!!!

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Caravanさんと、テンパーさんと。

先週末はCaravanクラブチッタで恒例の「新年祭」。今年で10回目、と言っていた気がする。去年行った時にお振る舞いの日本酒(確かカップ酒だった)とおつまみをもらえたのにビックリした(笑)。そう去年はまだコロナ禍の中での開催で、椅子席でゆっくり座りながら。

今年は椅子+スタンディング。チッタにお客さんがいっぱい。椅子席を用意したのは“スタンディングか〜”の声が予想以上に多く届いたかららしい、そんなことをMCで言ってたけどそれはCaravanの音楽と、Caravanと一緒に歳を重ねている人がたくさんいる証拠でもあるのだと思う。そしてすごいのは、親子率が以上に高くて“キャラバ〜ン!”の子供の声援がこんなに多いライブもないんじゃないかな。スタンディングの後ろの方では子供が駆けっこしてたりもして、なんだかほっこりする。それでゴミ箱には超大量のアルコールの缶が(爆)、大人は飲みたくなるライブだし、子供は音を耳にしながら自由に過ごす。本当に素敵な空間なのさ、Caravanのライブは🎶

おなじみのメンバー、ペダルスティール宮下さん&ドラム椎野恭一さんと3人で。ギターの音色が2人のミュージシャンのグルーブに揺れる、そしてCaravanが紡ぐ歌詞は自分の心を解放してくれる。

そんなCaravanさんも年始早々の震災や羽田空港の事故にとても胸を痛められて体調を崩されたようなことを言っていた。でも、“ライブは交換(交歓)”なんだって、Caravan本人もこの日のライブがとても気持ち良くなるものになったみたい。

スタンディングでのライブというのも(野音で立って見るとかはあっても)久々なのでは、ということでゆっくり聴かせるよりはテンポ良い楽曲多めで進む時間はあっという間だった。あ、そうそう!

今年のお振る舞いのお酒はビール!で、ベトナムのバーバーバー(って読むんだって!数字の3がバーらしい)が振る舞われてましたん。なんでもベトナムでは9が縁起の良い数字だそうで、3が3つで9=とっても縁起が良い・そんな1年にもなりますように、っていうステージ上でこちらの輸入元の方のご挨拶もとっても素敵でした☆

2時間強のライブが終わって、久しぶりにマネージャーさんにご挨拶をしようと思ったらご本人がこちらに向かってきて“おぉ〜久しぶり!”って…その握手された手を触りながら帰ってきました(ザ・キモイ)。話したいことはいっぱいあったけれど、それはまた別な機会で、わたしだから発信できる何かで!と心新たに帰りつつ、帰り道では涙が止まらなくなり、と思ったら氷結のロング缶を持ったおじさんがぶつぶつずーっと大声を出してるかと思えば駅に着くと言い合いしてるおじさんがいたり、なんだかやっぱり川崎だなぁという現実とクラブチッタの中で感じた全てのギャップに結局クスクスしながら帰ってきました。

Caravanがいる世界は、時空が違うのかな?と思う。なんだろう、もうどう表現すれば良いかよく分からないです。ただ、Caravanが紡ぐ世界には、やっぱり、真理がある。

泣けたのはやっぱり…今までたくさんのミュージシャンにインタビューをさせていただく機会に恵まれています。その機会が自分自身を成長させたり考えさせる時間をくれたりしている中で、本のお話が引き合いに出たり実際に本をくださったミュージシャンってCaravanだけなんですよね。出会えて良かった、っていう幸せな思い、なのかな。そうだ、星野道夫の本、また読み返そう。またお話を聞ける時のために、自分自身の考え方とかをもっと引き伸ばしておかないと(^^)

誰かが言っていたんだったか、野音のライブでビールが一番売れるのはCaravanかクラムボンのライブだと(笑)。ですなぁ、何度も売店に行ってしまうもんなぁ(実体験)?あれは何故なんだ!?

去年の野音も素晴らしかったです、すごい雨だったのにライブ中はカッパも脱げるような天候になった、あの不思議な1日を(マネージャーさん曰くその後の撤収もまた雨だったらしい)。

Caravan野音も何回行ったのかな、去年が今の野音では最後なのかな、と思いながら(改修工事に入るというアナウンスがあったから)、だったけどまだこのままやるみたいよね!?ということはもしかして今年も今の野音で、Caravanあるか…な!?

野音が終わって帰り道に見えた日比谷公園の噴水はとっても美しかった☆

野音はディテールを覚えてないけど、Caravanの誕生日だったのだよね。野音でお祝い!

そんな野音で全員へのプレゼントがCaravanのポスター。今のわたしのデスクの前、パソコンから目を上にするとこんな感じです。ラスカルのはセブンイレブンでランダムに出てくるおみくじで良いこと書いてるし信じようと思って貼ったのですが、そうそう浅草寺っておみくじに凶が多いことで有名?とかいうのを聞き、せっかく浅草寺に行くし引いてみようと思ったらなんだかびっくりするぐらい良いことしか書いてなくて、おみくじを信じたいなと思う今年です(何も今は兆しがないけども)。

不思議なんですけど、Caravanのライブに行った時って必ず隣の席が空いてるんですよね(この前のチッタはスタンディングだったけど、確かに周りにちょっと余裕があった)。

知ってるんだ、盛岡のテンパーさいとうさんが来てるんだって。ビールを片手にわたしの近くにいるんだって。

そう、ちょうどコロナ禍に入るタイミングだったろうか。Caravanのチケットを買って、盛岡に行った。そのライブが開催された時には、テンパーさんはいなかった。いや、厳密にはいたんだろうけど。

そうちょうどコロナ禍に入ったあたりからブログは止まっているのでこのことも書いていないはず。そうそう、こんなメンツだった!ATSUSHIさんもダンスに来てくれた、とってもとってもあたたかい1日。あの頃から数年もコロナ禍が襲うなんて、まだそんなことが何も見えなかった頃。2020年の3月のこと。

オソラックちゃまのファンキーなMCで進行しながら、頻繁に窓を開けて換気!みたいなのをやっていたのも懐かしい(って今、思い出した)。

なんだかんだと我がブログ登場の上位にランクするであろうボーズ・Ⅲ・メンの一員(この日はバンドマンとして出演した直後!)🎶

テンパーさんと最初に知り合ったのはおそらく自分のブログを遡っても書いてないと思う。でも音の鳴る場所にふわっと、いる。震災後にこんなこともしたっけ、東京に来てCaravanのライブに行くようになってからはよく家族でも会うようになって乾杯をした。盛岡・桜山の飲み屋のおじさんたちがこう言ってた。

“あの人(=テンパーさん)はさぁ、フライヤー置いて欲しいってお店に来て、必ず店で1杯は飲む人なんだよ。ただ、置いてください!って言って置いてく人が多いのにさ”

あぁ、そうね。テンパーさんの時空もちょっと違ったかもしれないなぁ。でもCaravanのそれともまた違って。でもよくビールを飲むところは2人とも似てるね!笑

2020年3月、『三月の風』が吹く確かちょっと前、テンパーさんはわたしたちより先の世界へ旅立った。Caravanさんだってこの日、盛岡に行くまで待ってろ!って願ってたはず。でも、何で読んだのだったか、フェイスブックだったのか。旅立つことが分かってからのテンパーさんの考え方は、到底わたしになど真似できるような考え方ではなかった。なんというか、達観が過ぎて仏門の世界に生きてるような感覚だった記憶。

なんとなく4年という日々。それでも、テンパーさんのことはこれっぽっちも忘れていません。チッタで会ったCaravanさんも多分あの時…テンパーさんのことを話したかったと思う。

うん、そうだよな!もうちょっとやるべきことがあるのだよな。あぁそうか、だからクラブチッタの帰り道で涙が出たんだよな!テンパーさん!!

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いしがきミュージックフェスティバル2023が終わって

いしがきの振り返りから続く

本当にこの日は秋晴れの良いお天気。わたしは朝、電車に乗って盛岡に向かうのが最近は通例になっているのだけど、

盛岡駅前に着いたらお馴染みの面々が駅前ステージのセッティングに勤しんでおりました(^^)ボーズ・Ⅲ・メンの一員とか、ちょっとだけ雰囲気サカナクション山口さんとか…笑笑

わたしがマイクを持たせていただく岩手公園・盛岡城跡公園まで歩く道すがらの盛岡市内、いくつかステージを通り過ぎる。自分的にもすごくテンションがあがっていく。

よくこんな黒沼社長の写真持ってましたね!?と大爆笑だった公園ステージの楽屋入り口。

1日が終わって。打ち上げに向かうべく暗くなった公園内を抜けていたら朝も会ったボーズ・Ⅲ・メンに再び邂逅。フォルムがちょっとホラーwww

これは書いても良いかな、今回のいしがき〜はMCのお願いよりも先に打ち上げの予定メールが届いた件(猛爆)。自分が関わろうが関わるまいが、いしがき〜が続く限り盛岡には行くつもりでいるので別に良いんですけどね。笑

人性補欠(ジンポケ)が鹿児島から飛行機を乗り継いで、いしがきのためにだけやって来たという事実。ボーカルの桑原田(真ん中)と色んな話をした。大人になって歳を重ねるにつれ、費用対効果を考えがちだ。でもジンポケはそんなことより何より、“行くか行かないか”“音楽をやるかやらないか”という、すごくシンプルなところで生きているバンドで清々しくて、うらやましい。メンバー4人とも話しててスカッとしてて、鹿児島までライブを見に行けてない自分もダメだなとメチャクチャ思ったよ。いつの日か必ず、地元の鹿児島までライブ見に行くから!

そして左は盛岡のバンド・SBEボーカルYUYAくん。実はこの日のいしがきで初めてライブを見たのだけど、トップバッターでこれだけの集客とこれだけの盛り上がりはいしがき史上最高じゃないかな、と思う(本人たちのSNSからご覧いただければ)!前列の女の子はタオル掲げながら涙ぐんでたし、わたしとしても盛岡拠点でこんな勢いのバンドがいることをこの時まで存じ上げずで、グイグイ持っていかれた。ちなみに年明けて先週(1/10)に渋谷・クラブエイジアのイベントに出ていたのでライブを見たけど今年は彼らの年になるかもしれない…!音楽的にもライブもだいぶ攻め攻めなのに、いざライブを離れると腰が低いわ挨拶は丁寧だわ、四星球(とジャンル的に繋がれるコミュ力もあるってことよね)のメンバーをもってして“アイツら本当に可愛いんですよね”と言わしめる。明日の盛岡ワンマンもソールドアウト(!)だし、この日はジンポケとも繋げられて“鹿児島に行きます!“としっかり言っていて、そう遠くない日にこの2組でも対バンしそうだな…いよいよその時は鹿児島行くしかないだろう、な(^^)

そんなこの日はどうやって終わったんだっけな…二次会とかあったんだっけな…?唯一悔やまれるのはせっかく撮ってもらった大好きThe BONEZジャーマネとの2ショットがケータイに残ってないことかな(なぜ?ぐすん)。

翌日。いつものメンバー(=いつメン)が関東からいしがきを見に来ていて、お昼ゴハンを食べる約束の直前に起床。“声、ガッサガサじゃないですか”…自分でもびっくりしたわ、大体どんなにお酒飲んでもリカバーするはずなのにマジで声が出なかった。打ち上げ番長のZAX(The BONEZ)がいたせいだな!笑

ということで、いつメンを伴いわたしも行きたいと思っていた肉の米内へ。もう信じられないぐらい美味。ここは冷麺のスープも絶品なので冷麺もマストでいただいて、満たされたお腹をさすりながらNagasawa Coffeeに向かい、ナガサワさんに焙煎機のことを教えてもらいつつ、ひと息つく。

いつメンを送ってから、この日まで開催していた石井麻木ちゃんの写真展へ。その前の年の年末・FIGHT BACK 2022の写真がどれも素敵すぎる。“あれ?”っていう人がしれっと写ってて、隠れキャラ探しもまた楽しい。麻木ちゃんが岩手で、東北で、色んな人と知り合ってる証拠だよなと思った。村松徳一と一緒に、これ麻木ちゃんが撮ってくれたのかな。

そうそう、打ち上げでは麻木ちゃん(女子)/ユータさん(Hawaiian6・オバサン)/片平ちゃん里菜(女子)/オレ(オバサン)でのトークも超笑ったなぁ、あ、オバサンとか女子とかつけたのはユータ氏なので!笑 この4人で写真撮るの忘れたね〜って麻木ちゃんとも笑った(^^)

こちらは麻木ちゃんから拝借。写真展の撤収を終えて、写真展のスタッフと会場のクロステラスの方、そしてクラブチェンジのスタッフ(後列)と。チェンジの若いスタッフがどんどん頼もしくなってるなぁ(^^)

さて。

いしがき〜翌日にはスタッフ打ち上げがあるのですが、ここまでがわたしにとってのいしがき、ですね!

盛岡のエラい人もすごい人もスポンサーさまも。この日の盛岡を作る片棒を担っている方も。年齢も仕事も何も関係なくただ楽しく打ち上がる!

(こうして見るとすごい集まりだなwww)

スーパーローディ・Qさんがもう面白すぎて最高でした!北上川と開運橋をのぞみながら佇むQさん、絵になるな(笑)。

この日は二次会でとあるお店に移動しつつ、深い話が出来たのもとっても良かったです。例えば単に音楽が好きな人とか同じ思いの人でフェスをやるというのは簡単だけど、それだと音楽好きにしか広がらない(と思う)んですよね。いしがき〜を見てて思うのは、そうではない・おそらく音楽とは遠い業界にいるような方たちにも話をして、違う世界にいる人たちも引き入れているから、ただのいわゆる“音楽フェス”にはなっていない、ということ。

音楽という1つの文化も、当たり前のようにどこでも流れていて今や簡単に音楽が聴ける時代で、“実際に生音を聴くってすごいな”って思ってもらうことが減っていくと廃れていくんじゃないかな、とちょっと思ったりすることがある。無料で開催するという意義がこんなに重要になるなんて、あれは2010年前のことだけど、そんなことは全く思ってもいなかったけれど。

振り返って、2023年のいしがきミュージックフェスティバル前後の日々はとってもとっても、よき時間でした(^^)

“君もいしがきミュージックフェスティバルをボランティアで手伝わないか!”ポスターで使用予定の1枚です(ウソ)。いやぁ良い1枚ですね、マジでこれ!!!

さて今年・2024年のいしがき〜はさておき、5月にはFIGHT BACK2024が開催ですなん(^^)これからの発表、震えて待ちます🎶

Posted in NO MUSIC,NO MY LIFE♪, 岩手のコエ | いしがきミュージックフェスティバル2023が終わって はコメントを受け付けていません

男闘呼組

しっかりしないとな、と我にハッパをかけ自らの尻を叩きながらなんとか生きている今日この頃。立てるようになっただけマシだろう。やっぱり情けないかな、気持ちがどうしても前向きになれなくて。でもそれを察してくれる友や、遠方にいてオンライン飲み会を開いてくれた人。

そんな今日は阪神淡路大震災が起こった日だ。関西を拠点に活動をされているライター・鈴木淳史さんのお母様が書いているエッセイを貼っておこう。

時の流れは容赦がない。金持ちでも貧乏でも唯一平等なのは時間だとは言い得てる。

色んなことは待ってくれない、時間がない、と昨年から必死に時間を使ってやってきたことがある。けど、それすらも手がつかなくなってしまったし、ボーッとしてる場合じゃないぞと思えば思うほど体が拒絶する。

そんな状況から、だいぶ良くなってきました。生きている間ずーっと突っ走ることなんかできないんだぞ、って自分を許してあげること。それも大事なリリーフになるんだなとすごく思う。

ということでちょっとビールとか飲みながら、ブログに向かっています。ずーっと書きたかったことを書こうかと。

2022年の秋。そうそう、この年の春だったと思うけどいきなりSNSで復活の文字を見た時はびっくりした、なんて言葉じゃ足りないぐらいの色んな感情がでてきた。もちろんテレビで歌う姿もちゃんと録画してるし、チケット争奪戦は久々に燃えた。笑

この日のライブのことはあんまり覚えてない、けどアリーナ席でまた岡本健一サイドだと思った(これまでが大体そうだったw)。それと、いつものメンバー・トミ夫妻も同じ日同じ時間のチケットを偶然取っていて(すごいよね)、有明からびゅーんと東京の街中を走って車で送ってもらいつつ、おいしいものを食べながらライブのこととか当時いかにわたしが好きだったか(爆)を話したりしたっけ。

時間にしてどれぐらいだったのかな、2時間はやってないはず。でももう込み上げるものがいっぱいあって、とにかく胸がいっぱいだった。ちゃんと男闘呼組が動いてるんだな〜、でも振り返って音のバラツキとかがあったけどそれはそれで今思うととっても貴重。そんなだったのに、ツアー最後の方にはすごいグルーヴになってるのをちゃんとこの目で、見て感じてるからさ!

もうグッズは買いません。と基本的にどのアーティストでも思っているので買わないつもりだったのですがちょっと面白かったのもあったし食べて無くなるのが一番良いかと思って買ったグミ。結果、賞味期限はとうに過ぎてるけどまだ机に飾ってある。もうドロドロになるまで机の上にいてくれ。爆

そして年末のこれは追加公演っていう扱いだったっけ?ちょっと忘れたけどもう1回ガーデンシアターへ。この時は後ろの後ろで見えはイマイチだったので、翌年のツアーはここ以外のところに行こうって密かに決めてた。

10月に見た時に、楽屋みたいなところからステージに出てくる映像が流れてたんだけど“あれはステージ衣装を着た事前収録だよね〜”とトミたちとも喋っていたのだが、そんな声がおそらく多くあったのか。この日も映像で始まるスタートは同じだったのだけど、ちゃんとケータイの時計をカメラに向ける(!)というのを見て、あこれ(少なくともこの時は)生でやってたんだ!?とちょっと感動。笑

成田くんのギターは仲本工事さんから譲られたという記事を読んでいたので、このギブソンがそうかな?と遠目で(オペラグラスもないし)確認するのに必死だったオレ。見るとこ違うっしょ!笑 というか2回目のライブは謎にもう照れが入ってあっという間に完全に、中高の自分にタイムスリップしてました。今は覚えてないけども、よくSNSでセットリストをアップしてる人がいて“偉いな〜よく覚えてるなぁ”と感心していたのですが、この日のライブはセトリ書けるなと思ったことは覚えてます。爆

ちょっと以下に書くライブの時だったか記憶がもう曖昧ですが、SHIMEさんが楽曲提供してたのね?男闘呼組に?その曲を演奏しつつ、そんなSHIMEさんが亡くなっていたということも初めて知りました。こうしてまた4人が集まって音を鳴らす意味ってすごく尊いなと思いながら帰ったことを覚えています。

年が明けて2023年のGW頃から始まった全国ツアー。いわゆる東名阪以外のところも行くので、とりあえず埼玉/神奈川とツアーファイナルの静岡の3箇所を申し込んだら見事にチケット取れた!は良かったのだけどカードの請求が来た時にはやっぱりクラクラしたね(笑)。達郎先生を拝みに行く金額とほぼ変わらないような金額ですから。まぁお金はなんとかなる!と言い聞かせ大宮ソニックシティ・1部のライブへ。

2階の前の方だったので4人がよく見えたけど、隣や前の方がわたしよりちょっと年上かな〜そしてライブとかしばらく行ってないんだろうな〜そんな方がこうしてライブに行きたい!ってなるのはすごいことだなと純粋に思った(どうしてもライブのノリ方を見てるとはっきり言って今ドキ見ない盛り上がり方で、昭和で止まってる感じがよく分かってそれはそれで個人的には面白かった)。これは本当にすごい経済効果だと目の当たりにしたのは一番この時かも。当日券で並ぶ人の列もすごかったしね。

あ、まだこの時はマスクが必須だった。不織布マスクをつけて入ってくださいって言われて、非常用に一応持ち歩いていて助かったんだった。

確か埼玉のこの場所には思い出があると言っていたっけな…何だっけ?ここでのライブが決まっていたけど活動休止になって出来なかった?とかだったっけ?MCもだいぶ小なれて感覚が戻ってきてるんだな〜ってのも微笑ましい。岡本健一がこれまで必ず平和とか戦争のことを言っていて、おそらくだけど、やっぱり彼がいなければ男闘呼組が復活することはなかったと思う。信念というか、思いが強い人なんだろうなと。“こう思ったらこう!”みたいなのが強そう。笑 そしてレスポール使いだったのかぁと。

大宮からトンボ帰りってあるようでないと言うか、行くとしてもさいたまスーパーアリーナかも?と思って大宮駅前を少しぶらぶらして帰ってきた。初めて十万石まんじゅう買って食べました。笑

メッチャ雨降りで行く気が削がれながらも向かった神奈川県民ホール(にある棟方志功の版画など→でもこれ、コピーらしいじゃん!?)。服もびしょ濡れになりながらギリ席に着くと、

え…!?

ステージ横・せり出し場所に手を伸ばせばもう少しで届きそうな席!しかも初の成田くんサイド(照)!!!

わーーーーーーーーー!!!

ステージングにも慣れてきたメンバーがこのせり出した場所にもやって来るのですが、もう全然顔なんか見られないオレ。もう本当、今思うと何やってんの!でもマジ無理でした、ということで成田くんの手元、指の動きが美しい!ギターのヘッドをまじまじと眺めたり、岡本健一の流れる汗が水のようにさらさらしてて尊い、とか、もうビョーキ的なことしか記憶にないです!爆

確かこの日、「Stand Out」って曲があるんだけど、個人的には(若い時に行ってたライブ以来で)初めて聴けた…んじゃなかったかなぁ。ドラマで流れてたんだよなぁ、カッコよかったんだよなぁ、あの当時聴いても。そして今聴いても。こんな歳になって聴けるなんて思ってなかった。曲が持つ力ってすごいよね、あの時の自分のことが一気に蘇ってきたんだよね。

男闘呼組に会うにはどうしたら良いんだろう、って。あ、テレビとか放送局の人になれば良いんだ、って姑息な考えにシフトした最初だもん。笑 それが高校で出会ったFMラジオと出会って一気にラジオの道になるんだけどね。その時はもう、知らない音楽を紹介できる人になりたい、って。高野寛さんとかフリッパーズ・ギターや渋谷系に夢中になってたけども。笑

そうだいつものメンバー・モリタニアンが今日は休みなはず!とライブ終わりに何回も電話するけど出ずで残念ながらそのまま帰宅。もう誰かにこの、思い出した自分の衝動やら成田くんの手元を近くて見たの〜♡っていうことを話したくて話したくてしょうがなかった夜。(その後モリタニアンにこのことを話したら、“飲んで寝てたけど、電話気づかなくてマジ良かった〜と言われたぜ。ふっ)

はいそして猛暑の中。あっという間にやって来たツアーファイナルは静岡。これまた偶然にもいつものトミ夫妻もチケットを取っていて(爆)、静岡観光も兼ねて車でゴー🎶久能山東照宮でパチ☆

(いやしかしマジで汗だくで外を歩くのが危険な暑さだった〜…)

日本平で眺めを満喫して、静岡市内にあるホール近くに車を停めて。お腹を満たすべく歩いていると良さげなお店を発見!で、これがもうですね、マジ激ウマなんてもんじゃないレベルでうまい!週末で昼飲みでお店を開けていたのがラッキーで出会えたこちらのお店には実はその後もう1回わたくしめ別で静岡に行った時に立ち寄っております(おほほ)。

会場の近くなのもあって、1部公演を見たお客さんがやって来たり(Tシャツ着てるから分かった)、声をかけたいのをグッと我慢、だって色々ネタバレしちゃいそうだもん。オレも美味な食にアルコールを飲み続けたいのをグッと我慢して会場にむかーう!!!

入り口でこちらが迎えてくれていたツアーも見納めかな。席は真ん中10列目ぐらいで、ライブを見納める場所としてももうカンペキ!

高橋和也氏のベースがヤバすぎる。そうここでようやくそう思った。あの音の響きはすごいぞと。そしてもう1人、全く触れてこなかった前田耕陽が痩せていた!爆 ライブってすごい!!!

(ここまで、そして以下もファンとしてのいつもの呼び方書き方を失礼します)

この日のトピックは間違いなくダブルアンコールですよね。本当に拍手と歓声が止まらなかった、確かもう帰れアナウンスもやってる中だったと思うけど。

アコースティックな楽器を持って出て来たんだよね。あぁ、もう本当に神様っているんだよねって思った(もう何が何だか、誰に感謝すれば良いのかわからんw錯乱状態だった)。アコギとかで聴ける時が来るなんて…「Midnight Train」だったよね、確かあの時にやったのは。

なつかしいな…

成田くんのあの声で“愛してる”と歌うところを思い出してメシ5杯食えます!はい!!

男性のファンが多くて、アンコールとかの掛け声も率先してたのが何だかたのもしい。同性のファンが多くないとバンドは続かないっていうのは持論だから。笑 ということでトミ家の主人も率先して写真を撮る。

帰りの車の中ではトミ家の主人もわーわーキャーキャーに入って楽しかったな。爆 0時を回った頃に家に着いて、何だか夢のような1日でただただ、行って良かったなって思ったことをすごく覚えてる。

そしてもうこの時わたしは、武道館の本当に最後の最後のチケットも持っていたから、その時まで何が起ころうが全然頑張れる!っていう気持ちだった(^^)

結果として、武道館4デイズでチケットを取っていた最後の日は行けなかった…というのは理由があるのだけど。やっぱり武道館でも見ておきたい、と思ったら4デイズ前半の2日はまだチケットが取れる(と言っても、ステージ真裏の後ろの席を解放したのでそのエリアになるけれども)!

ということで、お盆が明けて早々に見に行った。武道館に。そしてまさかとは思うけど、この後ろのエリアのこともちゃんと慮ったステージが作られていて、後ろでもよく見えたどころか時に“見えすぎじゃん!?”と狂喜してしまうほど良かったことなど!前田耕陽ファンは特にこれは!!!成田くんのローディーさんがギターを扱ってるとこなんか凝視してしまいましたわあはははは。

やっぱり「ロックよ静かに流れよ」コーナーが良かったですなん。VHSのビデオは今も机に飾ってますわよん。記憶では成田くんの声の出がちょっとよろしくなかったという感じでしたが、そりゃこんだけやってくればそうなるよねと思えたのもまた良かった。ジャニーズにいたのは事実で、ジャニーズにいたからこそというエンターテインもしてくれていたステージだった。確かバク転しそうでしない感じ?とか?ちょっと忘れちゃったけど。

夢があるよね、本当に。楽器から離れていた人たちが、4日間も武道館でライブをやるということに。そしてそこに来た人も皆もれなく、感動しちゃってるってことに。多分この日、いちばん泣いたわ…今回の復活ライブを見た中で。

スカパーでの独占放送ももちろんスカパーで見ました。が、何かトラブルでうまくテレビが映らなくて、時間が迫る中でカスタマーセンターに電話しましたわよ(良い思い出だ)。そしたら電話口のお姉さんも“男闘呼組をご覧になりたい感じですよね?”と開口一番、分かってらっしゃる(そんな問い合わせが多かったのだろうw)。おかげさまで正座で待機からの全力でスカパーでも拝見しまして録画にもしっかり成功しました。

そんなライブ中に多数の着信。からーの、神奈川のイベントでお世話になっている方々と飲むの巻。男闘呼組のことをひたすら聞かされあんなに電話していたことを後悔したに違いない。ふふふ ことよろで!

“最後の男闘呼組、行かなくていいんですか!?”って現場入りして皆に言われた(爆)、ちょっとYさん!言いふらさないでよもうー!照

ということでそんなこの日はオレの推しのWENDYくん初クアトロでライブレポートを書かせていただきました。取っていたチケットは心置きなく文化放送Aディレクターに渡しまして、楽しんでもらえたようで何よりであります(^^)

WENDYくんとのことはもしかしてこのブログでは全く触れていないかも?しれないですね?コロナ禍に知り合ったと言っていい彼らのことは。ちょっと別で書きますね。ということで一緒に写る彼らのレーベル担当・S女史は同郷の岩手人♡カワユス!

そんな日の、翌日のこと。

ダメ元だった野音、本当に本当に最後の男闘呼組。結果としてファンクラブでも外れた方が多いチケットだったけど、わたしも勿論ファンクラブ経由で申し込んだチケットが…

当たった…これは本当に、当たると思わなかった。

お天気にも恵まれた日、野音付近はものすごい人だった。一部報道では3000人いたとも言われてるけど、それこそケンバンドとかの音漏れの比じゃない人がいっぱいいた。

チケットをもぎってもらいながら、何だか申し訳ない気持ちになったのも初めてだった。もちろん別に、職権濫用も何もしてないし自力でファンクラブで取れたチケットだったけど。

野音に関してはちょっと不満がある。まず、なんでこの日だったのかなってこと。

武道館4デイズの最後の日がラストだと思ってそこに合わせてた方もいるはず。そしたら野音の発表があって、それも行きたいと思っても武道館より小さい場所だし当然チケの倍率も高いよね。当たったらラッキー!ぐらいの気持ちで野音公演もあるべきだったと思うし、だから最後の最後に野音があるなら、武道館の発表の時点で言うべき。野音でやれるのはもちろん思い出にはなるけど、でもそれは下手したら演者の思い出にしかならないかもしれないじゃん、あまりにも不満が多ければ。個人的にはライブがどうの、というよりもちょっと後味が悪かった。ほとんど空耳じゃないと思うけど、掛け声が野音の外からも聞こえてきてた。何だかここにいるのが申し訳ない気持ちがいっぱいで見るライブになってしまった。

ファンのことや、もしも待っていた人を思うなら、ちょっと間違えてるんじゃないかなと言わざるを得ないと思った。

なんて、つい書いちゃいましたけど。野音は終わってからも、誰も帰る人がいなくて、しばらく会場内は誰も動かない感じで鳴っているBGMに合わせて手拍子したり、ありがとうの声がいっぱい上がってたような気がする。とちょっと記憶が曖昧なのも、やっぱり会場外のあんなに多くの方を考えると、素直に100パーセント楽しめなかった自分がいる。

あともう1つ書くと、パンフレットの構成もちょっと残念だったな。とか直接いつか話せたら良いな、ということで頑張ろう!オレ!

ということで今、Rockon Social Club(説明は省略)のファンクラブに入ったままでございます!笑 ファンクラブなんていつぶりだろう、男闘呼組の後に高野寛さんのファンクラブに入って、それ以来かな?今やスマホのアプリに会員証、とか、そんな時代なんてねぇ。と、ちょいと文句みたいなのは書いちゃいましたけど楽しんでいるオバはんでありんす。

ちょうど野音の頃に放送されたNHKの番組で、ライブハウスを特集した時にジュンランボルが大フィーチャーされてたんだよね。いい顔だなぁ、いつか東北ライブハウス大作戦の場所でもRockon Social Clubがライブをやってくれたら良いなぁ(^^)そんな日が来るといいなぁ🎶届け!!

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2024 年始

新年早々の出来事に胸を痛めております。自分の備忘として書いています。

12月31日に実家へ帰って紅白を通しで見て(そんなのいつぶりだろう)新年を親と迎えて爆睡し、1月1日午後の新幹線で関東に戻る途中で。仙台を過ぎたあたりで襲われた睡魔に勝てずいつの間にか寝てました。元日の新幹線でもそこそこ混んでいたのとポイントを使って人生の片手で数えられるほどのグリーン車乗車でもあり、気持ち良かった。

ずいぶん停車したままだなと思いまず時計を見たら16時20分頃だったと思います。

予定ではあと1時間ちょっとで東京着、と思いつつ寝起きでぼーっとしてる人が異変に気づくのにはしばらく時間がかかりました。

あ、これ新幹線が停まってるんだ?

なんか暗いよね?と思っていたら周りのお客さんがざわざわ“地震があったみたい”とし出し、車内アナウンスがあって事態を把握しました。どうやらトンネルの中で停まったようでした。

とっさに思い出したのは2008年の地震の時でした。それと、今は車内販売がないのでほぼ飲み干してしまってちょっとしか残っていないペットボトルを見つめながら、長丁場になったら大丈夫かな、と思いつつ、“お手洗いは使えますがドアは手動です”などのアナウンスが続く。一体どこで地震があったんだろうか、とケータイでアクセスするも繋がらない。トンネル内だからかな、実はそこまでのことではないだろうと思いながら。

そんな折に前の夫婦が話している声が聞こえた。“震度7だってよ”

一気に動悸が襲ってきて、涙が止まらなくなった。どこで何が??必死にケータイを再読み込みし続けたら目に入ってきたのが「大津波警報」の文字だった。

今、この文字を打ちながらも心臓がバクっと動く。フラッシュバックとか精神的なものというのは事実、身体がそう動くからあるものなのだ。

ケータイで震源までは分かったけど、車内アナウンスでも具体的な言及はなく確か“北陸地方で発生した地震で”という言い方だったような気がする。

とにかく何もあってくれるなという思いと、津波からは逃げてほしいという思いしかなかった。自分の心がつらくて、拭いても拭いても涙がにじんでくる。

今のわたしに出来ることは願うことしかない。電源は復旧して明るくなった車内からトンネルのコンクリートを眺めながら、仮に関東に着いて電車が動いてなかったら入館証もあるし文化放送までは自力で行ければあとはなんとかなる、とか考えてました。

おおよそ40分ぐらい停車していたのだろうか、郡山と新白河の間と言っていた気がするけど、新幹線は動きはじめた。そこから途中で停まったりゆっくり進みながらも、予定より1時間は遅くならない時間で東京駅に到着。新幹線が動き出したらネットにも繋がるようになり、おおよその状況は理解できた。

そわそわしながら、実家から持ち帰った食べ物を持って帰った。関東の鉄道は通常通りだったと思う。そのその手にしている食べ物の重さが辛かった、きっとこれからあたたかいものを食べるのもしばらく大変だろう、そんなことを思っては電車でも涙がこぼれてしまう。

振り返って、わたしは2011年3月11日の東日本大震災の時の記録をほとんど残していない。残すこと・記すことは不謹慎だと思っていたところがあったし、正直なところ余裕もなかった。カメラ付き携帯だったのにスタジオの写真などもほとんど撮っていない。

けど、果たしてそうだったのだろうか。今はそうは思わない。あの時のことを残しておくべきだった、可能な限りで。大量に届いた安否確認のメール(サーバーがダメになって、ヤフーだったかが開設した簡単に取れるアカウントでFM岩手のアドレスも作った記憶がある)、コピー用紙が足りずに裏紙に赤で×をして再利用して放送でも使う(基本的に放送で裏紙を使うのは厳禁、どちらが本当の情報か分からなくなる時があるから)、〇〇市より細かい地名も読む必要があり、難読地や馴染みのない土地を紙に書きスタジオに貼っていったらあっという間に埋まった壁。

発災当日、エルスカのカッちゃんが帰れなくなってFM岩手に立ち寄った時に持っていたスティック昆布茶が美味しかったこと。放送局は電気が通っているからお湯が飲めたんだと後で知った時の落胆と申し訳なさ。テレビ岩手の社食のおねえさんたちがFMにも差し入れてくれたおにぎりの美味さ。

沿岸部の状況がまるで分からない中で、日付変わって12日の深夜にFM岩手の営業さんが語っていたレポートは、今思い出しても涙が出る(ご本人のインタビューはこちらの動画から)。そして改めて今、この動画を見るとレポートを入れてくださった時間は深夜でなく、未明・朝方だったのだなと記憶違いが既に起こっていることに気づく。

夜通しの放送が明けて朝日が登って応接室で仮眠したけど、長期戦になる放送に近くのスーパーが売り出しをするというので総務部長と買い出しに行ったこと。でもこの時で覚えているのは、極端に買い込みなどをする人は誰もいなかったということ。わたしたちも本当はもっと欲しかったカップラーメンを“買いに来たのは我々2人だもんな”と、本当はもっと欲しかったのを我慢したのを覚えている。そしてあの時に知ったのは、どんなに過酷で辛い状況でも、残念ながらしっかりお腹は空くということ。

関東は極めて普通の日常ではあるし、想像をめぐらせると、自分の経験に置き換えてはあの時を思い出してしまう。そして、言葉では表現など出来ない状況であろうと十二分に理解をしているつもりだ。からこそ、いざという時に動ける(金銭面も含む)体力を備えておくことだ。きっとその時はすぐ来ると思う。情けないかな、今は気持ちは側に置いています、という、それしか出来ないけれど、それが大事だと思って今日を・日常を生きることにします。

Posted in 3月11日, つれづれなるまま。 | 2024 年始 はコメントを受け付けていません

いしがきミュージックフェスティバル2023

そっか。去年の年の瀬はファイトバックがあったのだよな。

なんかそわそわしちゃうのはそれを思い出すせいなのかな。笑

今年のいしがきミュージックフェスは本当にお天気に恵まれた。そして基本的にはコロナ禍前と同じ。

昨年、3年ぶりに開催された時はおそらくこんなにアナウンスを入れたのは初めてじゃないか、というぐらい。でも、そんな去年があったからこそ今年も出来ているんだと思う。イベントって年に1回とか、テレビとかラジオの番組と違って単発感があるけどやっぱり、積み重ねが表れるものだとすごく思った。

“今年はあまりアナウンスを入れないで進められたら”

舞台監督はもはや盛岡のイベントではお馴染み・Kモリ先輩も“それでいきましょう!”と。

本来なら注意事項のアナウンスとかなく進んでほしい、音の鳴る場所で自由に楽しんで欲しいもん(^^)

でもアナウンスは注意事項をただ言うだけじゃない役割もありましてね、

盛岡市長のご挨拶のお時間があって市長をお迎えもします。

今年は内舘新市長をこのステージにお迎えしたのですが、記録として書いて良いかな。そろそろ現れるはずの市長がやって来ない…バンドのセッティングが押すからオンタイムで進めないとな…ステージ裏はちょっとした緊張感がありました。そもそも“ステージでの持ち時間は数分です”って話もちゃんと伝わってるのか!?初めてこの場に立たれるし、大丈夫なのか…

…と思っていたら颯爽と会場に現れた市長、その場でいしがきオフィシャルTシャツをさっと着用。あっという間にご登場のお時間に。

“いしがきミュージックフェスティバルは、ここ、盛岡市の財産です”

タイムキープも完璧な、時間にして2分に満たないような短いスピーチ。心に残ってステージ上でうっすら泣きそうになった。これまでのいしがきを見て感じてくださっていた新しい市長。最後は“市長!市長!”の大コールでステージを後にされた。こんな方が市長になられたのは、とても心強いし誇らしいなと思った(^^)

そんな市長のご挨拶にステージに立ったのは、この方たちね!

バックドロップシンデレラ(撮影可能)!

写真、遠目に見えますかね?ボーカル・でんでけあゆみさんが客席側の奥の方に行っているのを(笑)。バクシンが市長のご挨拶を受けてさらに煽って、ステージ裏は爆笑に包まれてました(^^)

久しぶりに見る景色。自由に楽しむお客さんの姿。そして青い空。何もかもが、素晴らしかったです。

(開演前・朝イチのステージはこんな感じ)

“去年はね、ね”…COUNTRY YARDの皆とは、笑顔で色んな話が出来た。カントリーの前にもすごくアナウンスを入れた(そしてそれでライブ自体もやりづらかったところがあろう)ことをお互いに共有できているから、今年のこの自由な景色がお互いに本当に、笑顔になれるものだった。

そんなカントリーの出番はバクシン前のお昼頃だったのだけど、こんな時間の出番も貴重だよね(笑)。演奏中、ギタースタンドのところにずーっとトンボが止まってました。あんな轟音なのに(爆)トンボも喜んでるのかな、と微笑ましかったです。

ケンバンドの前とかかな、これは?今年は会場後ろに行ける余裕もあったということね(^^)

もう圧巻のケンバンド、何というか、神がかり的なライブだった…もう何度も見てるはずなのに、震えた。あ、これがライブだ、っていうライブ。もうそれ以上の言葉なんてない。

そんなライブを受けての大トリ・The BONEZは大変だろうなと思った…けど、そんなケンバンドがあったからに違いない、これまたボーンズの最強をあっさりと超えるようなライブだった。次の世代・これからの世代に繋いでいくというのを音楽で、ライブで。見せてくれた時間。

無料で開催する意義と大事な意味ってここにあるのだよね。無料だからこそマナーが悪いとかの言葉もSNSで目にする、いや、そうじゃないんだよね。だとしたらマナーはちゃんとするのが大人だし、マナーをちゃんとして!なんてアナウンスは一番ダサくてしたくない(笑)。無料だからこそ、誰もが音に触れられる年に1回のこの日を通して、もしかしたら次の世代・に限らず生きている誰しもが。

ほんのちょっと、でも、大きく、でも。何かが変わることがある、あり得る。

Hawaiian6・ハタノさんが言っていたよ、“いや〜緊張するよ!”って。わたし、本当にいしがきのステージでアーティストが発するMCも“ここでしかない感”が皆、すごくあると思ってて。誰しもが来られる機会だから、アーティスト側のプレッシャーも少なからずあると思うし、それが毎年のあのステージに繋がっていると思う。極論、音楽とかライブとかフェスとかって何?みたいな方だってあの会場に来ることができる。だからこそそこから、新しい何かが広がったりするかもしれない。それが、無料で開催しているすばらしさ。

かつて書いているけれど、無料開催を決めた時に大きく反対したのもこのわたし。でも今は、こうして無料に踏み切ってから今に至るまで続いているという事実が全てなのだと思う(^^)

ボーンズの後に花火が上がって、最後に皆さんにお礼をしてる時だと思うのだけど。カメラマンの(石井)麻木ちゃんが撮ってくれていた1枚は“盛岡でちえぞうさんを撮ってから、こんな笑顔初めてじゃない?”って言われた。自分でもそう思う(^^)

誰しもがパーフェクトに楽しんでもらえる環境なぞ作れない。その前提の元、今年は本当に良い1日だったんじゃないかな、と。手前味噌ながら感じてます。

FM青森チームが遊びに来てくれました🎶パーソナリティのふじこさんとパチ(終わってみれば良い1日とは書いたものの、特にスタート時の頃はややテンパっていてあまりお話出来ずすみません)☆

東京からもいつものメンバーやジャーマネ・H嬢が来てくれたり、会場でも色んな方とハグできたり(SNSで言ってくれていたのに会えなかった方ごめんなさい!)。そう、ハグとか握手とか、そんなのもこの数年ずっと出来てなかったからね!なんだか本当に本当に、今思い出しても幸せな時間だったなと思っています(^^)

さてそんなわけで今年は実際に大きなトラブル等もなく、例年に比べてアナウンス少なめで進行できていたので。盛岡でよく飲んだくれている呑み屋さんのママが楽屋ケータリングを担当しており、今年は美味なママのご飯を食べよう!とケータリングに行くと…

“あれ?もしかしてちえさん、時間あります?ちょっと芝生ステージとか、手伝ってもらっていいスか?”(by セッチュー千葉さん)

『Hello,Goodbye, ハイエース!いしがき編 by グレートマエカワ&MR.PAN』なるタイトルの、30分間のトークショーで進行役を担当いたしました!

こういう場当たり的なところ、最高だし好きだわ〜いしがき&岩手・ケセンロックで現場対応はずいぶん鍛えられてるし、これまで幾度もお世話になっておりますお2人ですのであとは楽しくやるのみ!現場入りは皆5分前ぐらい(爆)とかですがマイクを持てばお2人もお手のもの、“これは公開録音とかでラジオでオンエアするべきですよ〜メッチャ最高でした!”と通称・ワンコントロールの川村社長からもお褒めのお言葉をいただいております(^^)

いやもう今思い出しても面白かったですよね、フラカンとニートビーツが一緒にハイエースを買って(だから値引きしてもらって)、ものすごい走行距離を走り続けて(並走して云々…の話も爆笑だったわ)、今回の盛岡が遠征としては両バンドともハイエースのラストラン。今は新しいハイエース(またもや値引きしてもらって)で、全国各地を周り続けてます。出番を控えたセクマシがステージ裏で爆笑してるのを見て“俺らのハイエース、譲ろうか?”とか会話が広がったり。

ニートビーツにしても、フラカンにしても。出会ったのはここ、盛岡。ニートビーツは月に1回、お電話で出てもらってリスナーさんのお悩み相談をやってもらってましたから(「なんぼのもんやねん!」というタイトルでw)。この年齢になっても先輩方や同世代がまだまだ頑張ってるし、だからこそまたこれから、新しいことができるかもしれないな、そんなことも思うことが出来た時間になりました!ニートビーツ&フラカン、ありがとうございました!!

いしがきと前後する日のことも書きたかったのに文字数けっこう行ってるな(笑)、ということで別で書きましょ🎶ジュンも笑顔だし、やっぱり良き1日だったのかなって思う(^^)

最後に、この日にボーンズチームの機材車を見に駆けつけてくれたお兄さんへ。おそらく盛岡・岩手の方だと思うのだけど、最高にカッコ良かったです!

(いきなりステージ裏にでっかいクレーン車?みたいなのが入ってきて“何事だ!?”って皆ビビったけどね!爆)

【つづく】

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God Bless You

このコロナ禍、本当に色んなことがありました。本当に。

コロナ禍で何もないからブログを放置していたわけでも全然なくて、振り返ってコロナ禍が人生で一番忙しかったかもと思うぐらいの経験をさせてもらいました。

それは文字媒体でのインタビューだったり、ウェブにライブレポートだったりを書いたり。これまで“おしゃべり”1本でやってきたようなところがあるわたしが文章で記すという今までとは違う…けど、どちらの良さもあるのだなというのがよく分かったこのコロナ禍での経験だったし、お陰様で忙しくさせていただき今も続いていることには本当に感謝しかありません。そうやってPCに向かって文章にすることが格段に増え、自分の備忘としてのブログには全く向き合えなかった…というのが偽らざる事実です。

そんなお仕事のことだったり、何度も行っては涙した(笑)男闘呼組の復活ライブのこと、そしてそして、今年の盛岡・いしがきミュージックフェスのことだったり…

自分なりの備忘としてやっぱりちゃんと残そう、って思って少しずつ向き合いはじめたところに…

それこそ。チバユウスケさんとも、雑誌のインタビューを一度、コロナ禍にさせていただきました。でも元々、岩手での色んなことがなければチバさんにこんなにシンパシーを感じていなかったとは思います。

その一番最初は、東日本大震災のあと。盛岡のタワーレコードも営業が中々できない状況でしたが、“営業再開できた時に、ここに来れば1人じゃないし音楽はそばにあるんだ”って。そんな場所にしたい、っていう(当時の)タワレコ店員・工藤くん(※今は盛岡市内のレコ屋・Sound Channelにいます。お店は変わっても音楽愛は変わりませんw)の発案で。一緒にこんな企画を展開して、営業再開からしばらくの間は盛岡のタワレコはアーティストからのたくさんのメッセージに包まれていたのでした

上記リンクで最初にThe Birthdayに言及していますが、実はこれは同じ事務所に所属するバンドにメッセージ依頼をお願いしたのでした。余談ですが、メッセージを寄せて欲しいとお願いして断られたアーティストは1組もいなかったと記憶しています。

そのバンドと共に、The Birthdayからのメッセージも送られてきてびっくりしたことを覚えています。自分が接点のある方にしかお願いは出来ないよな…と思って進めた企画だったし(自分に関しては)、もちろんお話が波及して“レーベル所属のアーティストにも書いてもらいました”とか、そういう嬉しくありがたいことは事実あった中で、The Birthdayが手書きで寄せてくれたメッセージは、本当に本当に嬉しかった。推測だけど、“そんなのやってんだ、俺らも書くわ”ってサラッとペンを執ってくれたんじゃないかなって思ってる。

実際にお店で見てもらいたいと思って、1枚1枚どんなメッセージか分かるような記録は撮らなかった。けど、

“God Bless You”

The Birthdayはサインと共にそう書いてあったと記憶してる。なぜならわたしがへこたれそうになった時、このメッセージをもらって以降、この言葉を何度も心の中でつぶやいたから。

実はこのタイミングで他にも身近なところからチバさん・The Birthdayにまつわるあたたかいお気持ちのエピソードを耳にしていた。それはまた違う第三者の話なのでここには記載しないけど、今も覚えてるおはなし。

あれから時を経て、おそらく震災から5〜6年経って。The Birthdayが盛岡・いしがきミュージックフェスに出たのだよね。と思ったら記録を残してたヲレ、エライ!2016年のいしがきミュージックフェスでした!

そして自分で残した記録を読みながら、目頭が熱くなっています…

わたしはミッシェルにしてもそんなにそんなに聴いていた方ではないし、おそらくだけど、岩手での色んな関わりがなければチバさんに対して何らかの思いを抱いたりということもなかったと思う。のです。

この数日、なんだかぼんやりしてしまって。岩手での色んなことを思い出してしまって。

チバさん、とにもかくにもやさしいお方だったのだよなぁ。シュッとしてて怖そうだし、気楽になんか話しかけられはしないけど。でも 、ニートビーツのMR.PANさんからも色んな話を聞いては爆笑してたし、PANさんが今年荻窪に完成させた音が鳴る場所でもライブをやってくれたのよね、The Birthday。あのライブ、何としてでも、見ておくんだった…

年齢的に、自分に残された時間は確実に折り返してると思っていた今日この頃。やっぱり時間は、もう限られてきてるのだよな。

それこそ書いていないからそれも思い出しながら書こう。去年、宮古で行われたパワーストック。前乗りスタッフで宮古の居酒屋さんでご飯飲みをしてました。

そこにふらっと現れたのは、お酒がだいぶ入ったチバユウスケさんでした。

酔っ払ったチバさんは、こんな言い方も何ですが、かわいかったです。母性本能くすぐる系のかわいさですね。笑

あ、これで翌日すこし気楽に声とかかけても大丈夫かな…なんて思ったんですが、

ライブ当日、会場に現れたチバさんはやっぱりいつものチバさんで、全く無理でした。爆

アナウンスがあったのでステージ袖でライブを見ながら、チバさんのピックがピーンってステージに飛んだのを見ていて、ライブ終わりでさっと取りに行ってチバさんに届けに行きました。話すチャンス!って下心です、はい。笑

“やるよ“

そう言ったチバさんの声が今でも脳内で再生できる。その一言がむちゃくちゃカッコいい!!

あれからずうっと、携帯カバーの間に挟んでお守りのように持ち歩いてました(あとトシロウ神のビックリマン的シールと共にw)。

関東に引っ越してからも“このままこの線路に入ってしまえば”と思ったことが実は何度もあります。わたしだってご多分に漏れず病んでとことん沈んでしまう、そんな日を繰り返す時期がありました。でも、God Bless Youの言葉で、震災後も踏ん張ってこられた。腐りかけては何度も、その言葉をささやいてた。

そしてこのピックが今のわたしを支えてくれていた(夏からビニールの携帯カバーが熱くなるので外し今はデスクの真ん中に鎮座している)。そしてこれからも支えてくれるだろう。

 

コロナの前にアメリカに1人で行った時もこんなことがあってね、ってそのことは書いてないみたいなのでちょっと書くと。

シアトルではちょっとゼータクして良いホテルに泊まったら、アップグレードまでしてくれて広い窓でちょっとした夜の景色も楽しめるお部屋でした。が、広い部屋に1人で不安(笑)、とにかく色んな仕切りは開けっぱなしにして、それこそバスタブに浸かりながらもお風呂も開けっ放しにしてました。

バスローブ(爆)着て、部屋に戻るとガラス窓がくもってる。湯気ですよね。

でもそこに、

“GOD ♡ YOU”

の文字が浮かび上がってました。

前に泊まった方がガラス窓に指で書いたのでしょう。

その文字を見た瞬間に、涙が止まんなくなったことがありました。

God Bless You、これからもこの言葉を唱えながら。そしてこれからも色んなことが毎日あると思うしもっともっとタフな状況になってくるかもしれない。

でも、わたしにはこの言葉がある。God Bless You。

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クラブチェンジが20周年なんです!

南部事変があった翌日には盛岡でクラブチェンジ20周年を祝う対バンがあって、というのを、ブログを書いてから思い出した!

クラブチェンジ20周年アニバーサリーシリーズはサトマンから始まったんだった、っていうこと!

今年のゴールデンウイーク・5/3がいっちばん最初のアニバーサリーシリーズで、TEXAS STYLEがワンマン!

で、当日券とか書いてるけどもチェンジがパンパンだった。今のサトマンのファンも多かろうけど、それでもTEXAS STYLEでこのキャパはわたし的には想像以上だった。

し、こんなにお客さんいっぱいで暑(熱)っついクラブチェンジもきっと、このコロナ禍以降で初だったと思う。

色々と胸がいっぱいになった。ライブが出来ない、音が鳴らせない日々が長く続いてきたけれど、それを乗り越えられてこうして集まれる場所があるというありがたさ。場所を守るのも想像を絶する苦労があったに違いない、そんなことをチェンジの人は誰も言わないけれど。“大変よ!”って笑いながらながら言うことはあっても、それ以上の苦労なんか見せない。

コロナ禍に入った当初は、機材のメンテナンスとか普段ゆっくり出来ない掃除とかをやる時間が出来て良いのでは、なんて言ったりしていたけども、本当に…長かった。そしてこれで終わりでもなければ、この先もこんなことがないとは言えないしむしろもっとスパン短く色んなことが襲ってくる気がしている(と考えている方が良いだろう)。

この日、たくさんの人と気温高めのライブハウスにいながら、するっと涙が何度も出そうになった。

ディテールはもう記憶にないけど、テキサスのライブも素晴らしくロックンロールだった。テキサスってこんなにカッコ良かったっけ?って。サトマンはあれどサトマンとは違う音楽性だし、個人的にはテキサスも並行してやった方が良いのでは!って思ったんだった(そして今もそう思っている!)!

おそらくクラブチェンジ自体がコロナの前からもご無沙汰していて。今やグループとして3つのライブハウスがあるけれど、ここがいっちばん最初でわたしが盛岡で最初に行ったライブハウス。黒い入り口のドアに光る金のロゴ、カッコよ。

チェンジグループのライブのお知らせフライヤー。この中に面白いものが挟まってましたよね(笑)、ということで折り目つけないようにチェンジ出てすぐのローソンでガーナチョコ買ってクリアファイルげとしました!笑

もちろん今も大事に取ってますよん🎶

そうそう、そんなサトマンでもありテキサスでもあり、のボーカル&ギター・佐藤和夫にはこんなにお世話になるとは思わなかったな。最初は何きっかけだったか…やっぱりチェンジに繋いでもらったのは間違い無いんだけど(いしがきミュージックフェスに出たタイミングだったと思う)、知り合ってから確実に5年以上の年月を経て、今やサトマンことSATOMANSIONは“ライブ見てほしい!”って人を誘いたくなるライブが出来るようになった(^^)正直、最初の頃は“実の血のつながりある四兄弟バンド”の部分が先行してたし、わたしもそのトピックが面白いと思ってバンド・音楽は二の次でもと思っていたところがあった。

でも今は、ライブ見て!まず!って(^^)カッコよくなった、そしてもっとカッコよくなれるバンドと思ってる。南部事変であれだけの人が集まった事実も彼らには自信になるはずだし、これからもっと上を目指していけると確信してる!

というわけで今年の初夏は和夫さんと2人、「渋谷のラジオ」で生放送をお届け🎶

こちらはお見せしちゃおう、放送後にチェンジチームに送った写真。午後ですでにほろ酔い(笑)。最後は夜10時ぐらいに蒙古タンメン食べて解散、おそらく2023年・1日でもっとも長い時間飲んだのは和夫さんとです!

そんな和夫さんが人の輪も広げてくれてね…

通称・ワンコントロールというエフェクターを作っているトップ・川村さんとは今年に入ってよくつるんでます(爆)。だし、わたしのインタビューのお仕事でも間に入ってもらって実現できたインタビューもあります!

和夫さんと長時間飲んだ際に入れたボトルを今夏、川村さんにもゴチソウしました(爆)!が、この日も多くの議題は(本人たち不在なのに)サトマンのことでした…猛爆

話を戻して。今年のゴールデンウイークにスタートしたクラブチェンジのアニバーサリーシリーズ、最初の日はちょうど北上でこのイベントもあったの!よ!

キャラさんたちの頭上に何か書いてあるのが見えませぬか…??

「奥州ジェットフェス スクリーミングイーハトーブ2023」!!!

ギターウルフが企画した入場無料のフェスが北上・アメリカンワールドで初開催!で、そもそも何で!?っていうのは、ギターウルフの現ベーシストが奥州市出身・GOTZ(ゴッツ)さんなのです!奥州が生んだ世界に誇る人物は今やオータニさーん!だけじゃございません!っつう話(^^)

ちなみにこのイベントはギターウルフのライブもさることながら、地元のバンドのみならずオーケストラ系だったり音を鳴らしている方々や、これまた奥州市が生んだ偉人・大瀧詠一さんについてトークするお時間があったり、そんでこんなキャラさんが大集合したりと、大人も子供も楽しめる1日でした(が、革ジャン率が高いwww&ギターウルフ目当ての外国人も多い)!

この日、顔を出して嬉しかったのは…

FM岩手の公開収録などで大変お世話になりました、アメリカンワールド・星さんが現役バリバリで現場で動いておられたこと!

“ちえちゃ〜ん!”って、メッチャ覚えててくださって嬉しかった…番組が終わってそれっきりになっていましたが、今は改めてメール交換とかしてます!笑 またお世話になる時が来そうだな…!

ゴールデンウイークの頃の盛岡から見る岩手山。ワシが羽ばたくような姿に見えるように雪がなくなっていくから“岩鷲(がんじゅ)山”って言われたりもするんだよね。

今年、この時見た岩手山はうっすら、か細いけどワシが羽ばたくように羽を広げてるように見えました☆

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