いつも気持ち寄せてくれてありがとうね〜

というショートメールが宮古のドン(通称)から届いて、もう涙腺が壊れてしまったので今日は色々なことをもうやめることにしました。

3月11日。昨年は釜石に行ったけど、去年、この日を久々に岩手で過ごした…のかな。おそらく。その日、釜石のとあるお店でお昼ゴハンを食べていたら午後2時46分を迎えた。確かサイレンのようなものが鳴っていたけど、お店の方は手を休めることもなく料理を作っていた。

そうだよなぁ。日常に戻るってそういうことだよなぁ、って。追悼のテレビ番組が流れながら。

今年もどこかへ行こうかと思いました、が、日程的なものもあってなのかな、なんとなく関東にいながら今日を迎えてしまいました。さて、ぽっかり空いた(空けておいた)日をどう過ごそう、まず免許更新の期日が迫っていたのでそちらに行くことにしました。

自分の視力検査が終わった時に、ちょうどアナウンスが始まって“黙祷を捧げます”と。

賑やかな場所が一瞬にして静まる。皆、目を閉じる。

たまらなく涙が溢れてくる。

黙祷の時間が終わると、またその前の賑やかさが戻ってきた。視力検査に落ちまくっているおじさん(と言いつつ結構、上の年齢なのだろうか)がまた検査を受けようとしている。おじさんは免許の更新が出来ないとおそらく仕事が出来なくなっちゃうんだろうな、作業服姿だったけど。

いろんなことを、考える。優良運転者の講習中も涙が溢れてこないように目元を押さえながら。

わたしにとっては、なんとなくだけど、新年が切り替わりではなくて、3月11日が新しい切り替わり…あえて使うならば、1年の節目なのかな。と、感じる。免許更新からの帰り道は口角が上がってたと思う。生きているうちは、頑張らなくちゃいけないとな、と。

遡って、ブログを書いていない数年の3月11日はどうしていたんだろう?って記録をさかのぼってみた。2021年も22年も関東で過ごしつつ、時に仕事もしていたし時に家で過ごしていたり。何にせよコロナ禍でも忙しくしていた模様(ありがたい話だよ)。

とりあえず2021年、コロナ禍から1年を迎えた時の3月11日前後はいつものメンバー・いつメンと飲みつつ横浜のライブハウス・BAYSISに突入していたらしい。大雅さんも入ってパチ☆

2021年3月11日前後にオンエアされた生さだ(=今夜も生でさだまさし)にヤスくんが出てた件。以来、見られる時は生さだを見てしまう件!笑 知り合いなのでスクショは許して。ヤスくんだ〜〜〜ってテレビの前で狂気♡そして謎に誇らしかった(爆)。

昨年、久々に開催された騎馬武者ロックフェス。前日、眠れなかった時にたまたま生さだが放送されていて、ちょうど谷村新司さんのエピソードが紹介されていたんだけどもう爆笑したのよこれ、夜中に。全くディテールは覚えてないんだけど、南米に行った時の話。そう、ステージに立つことって自分の場合だったらうまく喋るとかそんなことじゃなくって、お客さんが何なら全員“イエ〜イ”って気分に、いかに、させられるかってことだよね。それに気づかされるトークで、あとは熟睡して翌日の騎馬武者も良き雰囲気が作れたのでは、と手前味噌に思っております!はい!

北関東ライブハウス店長たちともオンライン飲みをしていた。おそらくこの時夜中の1時過ぎ。左上のわたしは写真を撮るべく映らないようにしていたらそのまま最初に離脱した。笑笑 そしてこの時のことがここに繋がっている、のだ。LIVE FORCE,  LIVE HOUSE

2022年は3月16日に陸前高田に行ってました。

MAN WITH A MISSION(MWAM)のライブが、奇跡の一本松ホールで行われたからです。

今もこちらから見ることができますが、陸前高田だったり震災の復興でMWAMが動いてきた動画のナレーションを担当させていただきました。この件はまた別で書かなくてはいけないぐらい、色んなことがありました。

ライブは、ステージに映像を映し出しながら大島こうすけさんが弾くピアノの音色もマッチして、本当にこの日限りのステージングで鳥肌ものでした。ライブが終わって外に出たら、地元の有志(と言っていた気がする)が大輪の花火を上げていて、寒空で見上げた花火にも感動して。ふと会場を振り返ると、上の方に上がってオオカミさんたちも花火を見ていて、そのシーンにもなんだかじーんとしたのを覚えています。

現地に行けば何とかなるだろうと思ったらやっぱり何とかなって(笑)、大船渡のライブハウス・フリークスまで車で乗っけてもらう(けど残念ながら、ここに写る皆は飲まずに帰った→コロナ禍で大人数の飲酒が良しとされなかった時だからね、それも記録として書いておこう。もう良いでしょう)。

フリークスで、フリークスの皆とお酒を飲んでいたら…

ヒロポンさん(左)が、“何か、聞こえるな?地鳴り?するな?”…

言ったも束の間だった。

ステージは確か大丈夫だったはずだけど、フリークスの厨房は大変なことになった。

ものすごい揺れを感じた。あとはサイレンが鳴ってずっと、町の放送がずっとしゃべりっぱなしだったと思う。

ただこの日にとても覚えているのは、先に書いた通りでヒロポンさんが揺れの予兆を言葉にしていたことと、フリークスの外に出て放心状態で立ち尽くすわたしの横にずっといてくれたもえぴちゃんが背中や腰のあたりをずっと手で包んでいてくれたことだ。あのあたたかさを、絶対に忘れることはない。わたしは多分、震えていたと思う。

それで大船渡のホテルに入ったら、風呂場のシャンプーとかはあっちこっちに飛んでました。この日は確かホテルで仮眠したかどうかぐらいのレベルで、皆でフリークスで過ごした記憶です。ひとり、怖いよね。よく、よく、わかるよ、わたしも。

武藤さん(先の写真・右)たちチームはこの日もホテルを延泊して大船渡ステイ。わたしは、実家の方面(と言ってもだいぶ遠い)に近づけるバスは走っているのが分かったのでそれに乗り、実家の父に迎えに来てもらって数日、岩手で過ごすことになったのでした。新幹線もまるで動いていない中だったけど、どうしても仕事があってこの数日には戻らないと、と仙台からの高速バスとか在来線を乗り継ぐとどこまで行けるのか、とか探している矢先、

普段は飛んでいない、花巻空港から羽田行きの臨時便が出る!ということでこちらの切符を早々に押さえることが出来、仕事にも穴を開けることなく関東へと向かうことが出来ました。

振り返って、花巻空港から羽田までのフライト時間って実質40分とかそんなもんで(笑)メッチャ近い!のだけど、降りるまでと降りた場所が貨物しかいないんじゃないか?っていう端っこで(爆)、結果として新幹線で東京に行くのと変わらないぐらい時間がかかったかなという感じでありました。貴重な経験ですね。

先日、NHKのニュースを見ていたら津波の映像に一気に記憶が持っていかれ、実は気持ちがすぐれなくなってしまいました。

自分は大丈夫、だなんて、思う必要もないしわたし自身も今、そんな風に思ったりもしていません。

どうか、どうか、自分のきもちを大切に。無理に情報を入れる必要もないし、流す必要もない。

わたしは今日、2024年3月11日はまったくテレビもつけていなければ、ネットも見ていませんでした。

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