怒涛のアメリカ1人旅から、マツオ嬢と現地で合流してラスベガスのSphereに行けた…という感動秘話を書く間もなく新年度に突入。しかも気づけばもう4月も後半。マジかよ。桜も散ったっちゅーねん!おい!
SNSで流れてきたHawaiian6のツアータイトル(かな?)が「TIME FLIES」だったのを見て、本当にやるせなくなってしまった。しかし本当に最近、時間に負けてるよなぁと思ってた。あれもこれもやりたいことがいっぱいあって、本当に追いついてない。なさけない。
そんな中でも、日々はつづく。
横浜の中華街なんてもう何度も行ってるし、何なら馴染みのお店だってあるし。そんなわけで新年度のご挨拶も兼ねておかあさんのお店に顔を出そうと向かう道すがら。
レゴでできた中華街。こんな展示があったなんて全く気づかなかった、今の今まで。製作年は2005年だった。
わたしは大学のほぼ4年間をレゴ社のアルバイトで過ごした。ゴディバの学生アルバイトに応募したらまんまと落ちてしまい、ちっどーせ顔だろ!顔!ってやさぐれた話を英会話学校でしたら(そうなのだ恩師に薦められブリティッシュ・カウンシルに通っていたのだ)、捨てる神あれば拾う神あり、と申すべきか。同じクラスにレゴ社の方がいて、“ウチも学生バイト、募集してるよ!”…めでたく決まったアルバイト。朝はロッテリアに行って、学校行って、週末はレゴ社のバイトがはじまった。続けるには英会話学校のお金も自分で工面しないといけないしね。
レゴ社のアルバイトでの経験が自分を作ってくれたとつくづく思う。中華街で出会った作品を見て、ぽろぽろと涙が止まらなくなってしまった。この作品のビルダーさんこそ、わたしが大好きだった方だ。何度か工房にもお邪魔をさせてもらった、この方の作品であれば。わたしが持っているレゴを有効に素敵に使っていただけると思った。
話が前後するのだけど、バイトを通して良い成績を収めた時(つまりは店舗での売り上げが良かったとき)、ご褒美としてレゴをもらっていた。確実にその当時でもレアな、いわゆる“廃盤”モデルのものを。それが高じていろんな昔のレゴを探しまくった、意外に地方のおもちゃ屋さんにぽつんと飾ってあったりして日本でも買えたけど、時ちょうどネット社会が始まって、世界のコレクターが出しているオークションで手に入れたり、何ならアメリカには何度か買いに出かけた。そんなわけで「なんでも鑑定団」にも出たことがあるのだけど。笑笑
話を戻して、コレクターさんとさんとメールのやり取りをしていて。具体的に譲るブツを持っていく日取りのやり取りをしていて、ぷっつりと返事が来なくなった。お忙しいんだろうな…と思っている中で月日は流れ、亡くなったとうかがった。それが去年、カミングコウベに行った時に大阪で聞いた話だった。
(大阪のパルコで☆)
そんなわけで譲ろうとしていたレゴは今も我が家の押し入れの中にある。もう誰にも譲らないだろう。
そんな方が作った、レゴブロックで出来た中華街。ブロックのパーツだけで表情まで見えるようにモデリングできるビルダーさんはそうおられない。素晴らしい、本当に素晴らしい作品だった。
レゴ社のアルバイトとして派遣されたのは二子玉川の高島屋。わたしが学生だなんてことはお構いなしに“今の坪単価はこれぐらいだから、ここからもう少し金額を上げていこう”…つ?ぼ?単価って何?あのいい意味での高島屋のスパルタさは今思うとありがたい。もちろん結果は出したし、トップ20圏内には入っていた売り上げランキングもまさかのトップ3に入るまでになったことは前も拙ブログで自慢したはずなので(笑)。新宿高島屋のオープン時はオープニングスタッフに選んでいただき店舗作りを任せていただいたことも忘れることはありません。
天国でもレゴを使って作品を作っていますか。違う世界できっとまた、素敵な作品を見せていただけるのを楽しみにしています。
学生バイトといえばもう1つ。日本テレビのアルバイトを3年生の頃から始めました。親戚宅を出て初めての1人暮らしのタイミングで、少しだけ都心に近い場所に住み始めた時に。伴ってロッテリアのバイトは辞めて、「ズームイン!!朝!」という番組でのバイトは、まだバブルの名残りでタクシー出勤する早朝バイト。それが終わって学校に行って授業中に寝て、レゴのバイトは週末だけでなく平日でも夕方から行ってくれる?みたいな時も増えていて、ある意味いちばん裕福だったかもしれない(笑)。し、今もマジで夢にうなされて起きることがある、大学を卒業できなかったという夢で。爆爆
からっきし大学の勉強はダメでした、追試の追試でなんとか卒業できたようなものだし。留年が多すぎて社会問題にもなった教授の単位がどうしても取れず、だったのですがその社会問題があった翌年だったからこそ、大学がだいぶ甘い温情を下してくれたから卒業できたと今でも思ってます。でも同時に、バイトで学んだことがわたしにとってはものすごく、あるから。あの大学4年間で過ごした時間と出会った方々には今でも本当に、感謝でいっぱいなのです。
今年の3月末に「ズームイン!!サタデー」が終了し、日テレの“ズームイン”という看板がなくなりました。そんなわけで当時の学生バイトもお疲れさん会的な集まりに顔を出させていただくなんとも太っ腹な機会に恵まれまして、ズーミンたちを激写してきましたとさ☆
あの当時にお世話になったスタッフの皆さんと一緒にお酒を飲みながら。時が経つというのはいつかこうした終わりを迎える時が来るのだと思ったし、その時がこんな風に。明るく楽しいものだと良いな、って(もちろんスタッフの方々の思いはまた別なものでしょうけども)。初代ズムサタを担当された福澤朗さんもおられて、わたしはまだ前任司会者の時に「なんでも鑑定団」に出ているので、“今の方がレゴの価値、上がってるかもしれませんよ〜”なんて言われ、また鑑定団に出ようかしらと笑いながらお話しできたのも良き思い出です。今こうしてなんとかインタビューをして原稿化しているのも、ズームインのバイト経験がとても作用しているような気が、しています。そうそう、羽鳥慎一さんはあいも変わらずテレビで見るままに素敵な方でしたがズムサタ担当時の“やらかし”エピソードには爆笑させていただきました。
コロナ禍にヒマすぎてウチのレゴを自慢すべく立ち上げたインスタも結果としてほぼ起動せず。でもね、いよいよ何か、始めようかな。新しい、こと(^^)時間がないって言ってるからダメなんだよな、そーだよな!
今年の頭、久しぶりに三浦ジュンさんと飲んで色んな話をしました。音楽好きな方ならご存知なテレビマンですね。そのジュンさんが新しく立ち上げた「ロックアンセム」。4月最初の週末2デイズ、仕事の都合で1日でしたけど楽しんできました。トピックとしては10-FEET「第ゼロ感」の3回まわし、Twitterのトレンドにも入ってましたよね。爆
氣志團、そしてスカパラも「第ゼロ感」。からーの、大トリ10-FEETの「第ゼロ感」。最高でしたね!!!ジュンさん、すごいよー!マジで!スカパラにヒロトさんが入って、スーツ姿のヒロトさんも拝めたし!
久々の幕張メッセの大型フェス参加だったけど、あっという間の時間で体力的にもまだまだイケる確認もできて良かったです(笑)。
ジュンさんも、ものすごく色んな戦い…っていう表現は違うのかもしれないけど、色んなことを経て、こうしてイベントを開催したことは第三者なのに感慨深いものがありました。スカパラ谷中さんが“知己”とMCでも言っていたジュンさんという、完全に同年代がこうしてチャレンジしている姿にはグッときます。
昨日は盛岡クラブチェンジ・黒沼がやって来てSaToMansionメンバーも入って一緒に飲んだくれました。来月、盛岡で開催される「FIGHT BACK 2025」の話をしながら、”FIGHT BACK”の意味をあらためて理解できたし、あまりうまく言葉にできないこれまでのFIGHT BACKでの感動もようやく消化できたような気がしました。
何か新しいことをすごくやりたくなっているのは、そんな最近の飲みと共に音楽というものの作用ですね。やれやれ、やれやれ。