今も色褪せない記憶〜FIGHT BACK 2022

2022年の年の瀬・12月29日と30日。まだコロナが幅を利かせててて、ライブやコンサートでもまだまだ制限があった中で。

盛岡にクラブチェンジというライブハウスが出来て20周年のアニバーサリーに集まってくれたバンド・アーティスト・そしてお客さん。

盛岡・タカヤアリーナでの開催。チケットはソールドアウト。

そもそもここでライブを見たのって何の時以来なんだろう?って考えてみたのだけど…とにかく集客がある大物アーティストがライブをやるような場所で、盛岡のライブハウスが2日間のイベントをやるという凄さを噛み締めた。

わたしはほら、盛岡・岩手にいたって好きなバンドもライブに来ないし見に行くのも大変だし(それは男闘呼組とかから始まるのだけどw)東京に出ることしか頭にはなかった、こんな所に住んでたって、とまで思ってた。

それをさ、黒沼って男はさ、盛岡に音が鳴るところを「作る」ってことを考えたんだよね。今でもはっきり覚えてるしあれが最初なのだけど、わたしがFM岩手で番組が決まって番組の前日に準備に行ったら金髪の男の人がウロウロしていて、“あの人は誰ですか?”って古賀さん(現:ふくしまFM)に聞いたら“盛岡のライブハウスの人だよ、ウチで番組持ってるんだよね”って。

へー、盛岡にライブハウス出来たんだ!

程なくして何きっかけだったかそこは忘れたのだけど、せっかくならライブハウスの人がライブ紹介をするコーナーを作りたいって古賀さんに言って、月に1回、黒沼がスタジオに来るようになった。朝の番組で朝の8時過ぎにガラス張りのスタジオの外から手を振ってやって来てくれるのが嬉しかった(^^)けど、あの当時は一言で言うならハードコアに寄ったバンドが多く出演しているライブハウスだったので、朝から「?」って曲もよく流してたけどね(スミマセン)。

たぶん、それがクラブチェンジが出来て3〜4年ぐらい経った頃の話。あの時はクラブチェンジ1店舗しかな経ったのが、今は街ナカにもあってグループとして3つのライブハウスが盛岡にあって音を鳴らす。本当にどのハコも個性があって、週末には3箇所全てで音が鳴っていることも普通になった。昔を知っているこの世代からすると、本当に考えられないような話。

誇らしい、本当に盛岡という街が今や、誇らしい。Ken Yokoyamaがいしがきミュージックフェスでこう言ったこともあるよね。

“音楽の街じゃなかったら、嘘だぜ、盛岡!”

本当に思い出など尽きないし色んなバンドにも出会わせてもらっていてそれは(神奈川に住む今は行く機会は減れど)現在進行中だし、ウチの両親には今もこう言われる。

“アンタの実家はクラブチェンジでしょ”

さてさてFIGHT BACK当日はセクマシからもそうだし、アーティストたちから届いた綺麗なお花がタカヤアリーナ入り口を覆う。

なんとなく会場でアナウンス的なことはやって、と言われてはいたけれども。会場インしたらまずマイクチェックだと、はいはいと向かうと足場があった件(爆)。

ステージ出るとは聞いてない…笑笑

しかもこの日は最初から告知がなされている通りで、「声出し解禁」のイベントだったのだ。もちろんディスタンスは保ちながらも。とは言え、だ。こんな出演者たちで盛り上がって声出しはOKだしってグチャグチャになった、ら、ディスタンスもへったくれも無くなるし何が起こるかわからん。

ものすごく、ものすごくプレッシャーだった…これ、何をどう伝えれば良いんだろう???

これはもう終わった話なので。黒沼とわたしの間では、「何か起こってもやむなし」と話していた。その前に行われた9月のいしがきミュージックフェスでもあれはダメこれはダメっていっぱい言うことになったし(それは岩手の音楽好きならお分かりだろうけどイベントの意味合いも趣旨も全く違うから当然)、でも今回は、お客さんがお金を払って来たいから、チェンジの20周年をお祝いしたいから来ているわけだから。だからあまり厳しいことは言わないようにしよう、と思っていたところで…

ジュン・ランボルギーニ(写真)&ノースロード(イベンター)Oくんとは綿密な話し合いが始まって、結果としては、あの2日間のMCが全てだしそれで良かったしそうすべきだったのだろうと思っています。また、言い足らない至らないところもあっただろうと終わった後になって思うこともありました。事実、始まってみて分かったこともあったしわたしなんかはこの2日間が終わって、その翌日に朝起きてまず“今日はこれをまず言おうあれも付け加えよう”ってMCしてて、あ、もう終わったんだったって自分に笑っちゃった12月31日でした(実話)。

すべては、あの時あの場所を共有できた皆さんとの思い出ということで(^^)ね!

こっちにも載せちゃうよん、岩手の色んなフェスに来てくれるみんな、声をかけてくれるみんな、ありがとうーーー!!!

この日は転換の合間に外に出るやいっぱい声をかけてもらえて、今までだったらこうして写真も撮れなかった(それでも若干写真撮る距離感を感じるよね)けど、こうやって自撮り出来るのもとってもとっても幸せなことだと心から思った(^^)Twitterで上げてくれた他の皆さんのお写真も今もたまに眺めてはニンマリしています(ホントです)。「#FIGHTBACK2022」のハッシュタグで見ると今も色んな記録がたくさん残っているので本当に嬉しいです。今までの当たり前を急に勝手にどこかにもぎ取られてしまっていた中、それが一気に戻ったのがこのイベントだったと。つくづく、つくづく思っています。

“ちえ姉、アナウンス硬いよ!もっといつも通りに、やって!大丈夫だって!”…1日目が終わって亮厚パイセン(左)に言われ、“でもわたしもこんな歳になってからアリーナで喋るなんてキンチョーしかないっす”的なことを言ったら“一緒だよ!どこでも!!”…そうだよなぁ、必要なのはわたしがキンチョーすることなんかではなくて、なるべく多くの方に“よかった”とか良い思い出を持って帰ってもらうこと。緊張って自分本位だよそうじゃん、オレ違うべ!2日目が始まって程なくして“ちえ姉、今日は昨日と全然違うよ!それだよ!”って言われて、ちょっとホッとしたのもここだけの話。こうして盛岡・岩手の色々な現場でわたしは今も鍛えさせてもらっているのを心から幸せに思います。ファニーに写るヒジトールにもとってもお世話になっている(がこの日はただ飲んだくれた記憶しかないので彼に関する言及はなくて失礼w)、みんなにらぶとありがとう♡

カメラマンの石井麻木ちゃんが撮っててくれた、ありがとう(^^)マスクしてアナウンスしたっていうのも大事な記録だし、これ後ろの背景と同じになっちゃって全く分からないかもだけど超、スーパー厚着してます(笑)。首を覆うネックウォーマーに始まり基本的に厚手の服にインナーもレギンス履いたりとか。この2日間、本当に寒かったのはお客さんもさることながら、出演者スタッフ全員に言えることでした。

それはなぜか?G-FREAK FACTORY・茂木さんが会場着くなり言ってた、“タクシーの運転手さんが言ってたぜ、ここはアイスアリーナだから暖房設備が一切ないって”。

言われてみればーーーーーー確かに!!!ストーブは簡易のやつだ!!!

ステージから引っ込んだら外に出るコートを着込んだりしてました(マジ)、それも今や忘れられない思い出ですね🎶

(確かこのあたりの盛岡の最低気温はマイナス10度ぐらいまで下がっていた…かと?)

ほんのちょっとステージの話をすると、両日とも岩手代表のバンドがオープニングを飾った。1日目・真のトッパーFUNNY THINKがステージを眺めてる。イッセイ(右)がほんのちょっと上を見上げてるけど、ステージの大きさを感じてるんだろうなと思った。でもこのステージに立てたことがこれからの彼らにとってもとっても、良き経験になると確信してる!

写真はないですが舞台監督はいつものカワモリ先輩。いつもの顔がいるという安心、“はい、ちえちゃん”ってマイク渡して足元照らしてくれる細川さんとかいつもの顔に会えるという幸せ。錚々たるメンツがこの日繰り広げたステージは、どのアーティストのライブも“この場所でしか見られないもの”だった。クラブチェンジというライブハウス・黒沼に向けた思いがこれでもかってほど詰まってた。それでいて、進行も多少の押した等があっても終わる頃にはオンタイムに戻ってた(地方のイベントは時間はマストで守らないと帰る人が帰れなくなるリスクがあるからそういう意味でもタイムキープは重要)。あれこれ書きたいけど、それぐらい“2022年末の盛岡で音楽シーンとして見てもスゲーことが起こってたんだぜ!”って自慢したいけど集まった方で胸に留めておきましょう(^^)このイベントのことも知らないようなウザい輩に揚げ足取られたくないもん!爆

わたしは盛岡での音楽フェスに関して言えば、この景色を見るのがいちばん好き。舞台袖で、黒沼が出演者を見送ってそこでライブを見届ける姿。かつてそんなことを思ったこともなかったのだけど、彼も背中がたくましくなって背中がものを語るようになって来たなと思ってる。

2日間が終わって、最後のアナウンスをして戻ると“お疲れ!”の握手が待ってた。それこそ写真がまたないけど、ケータリングチームも馴染みの飲み屋さんたちなので(笑)“ちえさんお疲れ〜〜!!飲みな〜〜!!”ってビールが即出しされたのは笑った。本当にあっという間で、駆け抜けるように過ぎて行った。同じ1日24時間とは思えなかったような2日間。

あぁ、書くのにいつもこんなに時間かからないのにな。涙を拭いながら書いていて、なんだか進みが悪い。記憶はしっかりしてるのに。笑

12月31日に帰省した人でごった返す中わたしは関東に帰った。盛岡駅で“ちえぞうさん”と声をかけてくださった女子と時間の許す限り立ち話をした。2人とも目がうるうるしてる(笑)、彼女にも言われたんだけども、会場で言われて救われたことがあってね。

“ちえさんが色々と言ってくれるから、スッキリしました”

今回に限らずの話で、どんなイベントでも大なり小なり(想定していたりしていなかった)何らかが起こる。この日のことで1つ書くならば、ディスタンスを取るあまりに会場に「場所取りの荷物置き」が発生したこと。そんなのダメ、ダメダメ!これはアナウンス以降で無くなったと報告を聞いております。

そう、わたしなんかいくら嫌われようが何だって良いのだよね。アイツうっせーな!ぐらいに思われるためにわたしの役割があるのさ、そうだよな!

来年も音の鳴る場所で会いましょうね、そう約束して。そんなわたしたちのマスクは奇しくもオソロで(わたしのはロゴ見えないけどちゃんと入ってるよん)WE ARE The BONEZ🎶ということで彼女とは、今年のいしがきミュージックフェスで会えるんじゃないかな…このタイムテーブルだもの(^^)⇨コチラからチェック

お読みいただきありがとうございました。では皆さま、9月24日(日)・いしがきミュージックフェスで元気にお会いしましょうね、事件は現場で起きているんだぞ!ということで(^^)

おそらくこの方も絶対的にいしがき〜来るに違いない(^^)鹿児島在住のスーパーPA・野間さん!

そうねこの方も絶対にいるわよね、スーパーローディー・Qさん♡

今年6月に渋谷のラジオでピンチヒッターをした時にSaToMansion(サトマン)・和夫さんに来てもらって“FIGHT BACK 2022がいかにすごい2日間だったか”をテーマに渋谷のど真ん中で1時間お喋りし倒しました。笑

でもやっぱりこうしてブログにわたしなりの思い出を残すことも自分的備忘としては大切だよね!ちなみにFIGHT BACKで“モッシュやダイブのエネルギーはあなたの声に変えて思う存分出して”みたいなMCをしていたと思うのですが、ヒントをくれたのはまさにこの方で頭が上がりません(スーパーナイス!)!そしてサトマンは2日目のトップバッターを見事にカッコ良く飾ってくれました岩手・二戸発で実の四兄弟バンドでございます🎶

あ…!!!

今週(金)、クラブチェンジが東京・荻窪に出張します!サトマンもライブします!

で、わたくしDJって…当日のタイムテーブルが届いたんですがかなりガチっぽい…“皆で楽しく飲む会”って言うから参加するのに…ということで男闘呼組のCDでも持って行こうかと思っておりますです🎶

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