3年ぶりに開催された盛岡・いしがきミュージックフェスティバル。
その約1週間前には長年、ケセンロックフェスの会場となっていた住田町・種山で小さなケセンロック(=ヒロポンフェス/追って書く)が。
少しずつ、少しずつ。動いている。
何から書こう、と考えると、3年ぶりにマイクを持たせてもらう現場が続き、わたしは実は体調が全く優れませんでした。胃がキリキリと痛んで昼寝も大好きなわたしが“眠い”という行為を忘れてしまったかのように全く眠れない。そんな日が続きました。
いしがきの前日からは身体がふわふわと熱を持っているようで、これはコロナなのだなと思ったらまた眠れずで、あんなに、コロナに何怖がってんねん!みたいな感じだったのに、これはいつ皆にどう言えば良いんだろう…と熱を測っても全く平熱だし検査しても陰性。
(ホテルに泊まっていて、エアコンを28℃設定にしていたのだけどそれがもう暖房設定になっていて←北東北の9月下旬だものw 汗だくで起きた、というかつてない失態もしているのだけどそれはそれで思い出として記する)
コロナ禍まで皆が築いて来たこと、続けてきたものだけど、もしも何かがあったらそれで終わる。
もちろん続くことが全てじゃない、けど、コロナ禍明けでようやく出来たのにそれでさようなら、だけは絶対に避けたかった。
盛岡にいた時は近くで、今は距離は遠くとも運営委員が考えていることは自分なりに分かっているし皆が大変な思いをして1日を作っているのもよく分かっているつもり。大変な思いをしてまで何で続けるかっていうと、やってきたことを続けたいっていう意地みたいなものもありつつ、それがやると決めた皆にとっての“チャレンジ”なのだよね。
こんな状況下でも、無料でやり続けてきた街ナカでのフェスをやるんだ、っていう挑戦。現実的には、なかなか踏み切れない、色んなことを考えたら。
でも、じゃあいつまでやれないの?やらないの?
とりあえず10時半にYUMEGIWA GIRL FRIENDが公園で音を鳴らし始めて、11時からFUNNY THINK(写真)が音を鳴らすその前に盛岡市長のご挨拶(恒例)を入れる段取りになった。
スタートから、こんなに…
人が、いる。
開催する方も勇気がいることであれば、来る方だって勇気を持って来た方もいっぱいいたはず。正直、わたしは人の入りは多くないと踏んでいた。今年はまず開催すること、それが第一義であると思ったし、人出や賑わいというのは二の次三の次と思っていたから。
天気も不安定で雨が時に強めに降ったりした日にもなった。けど、あっという間に公園が人でいっぱいになった。
おいおいおい…
嬉しさと、なんだろう、やっぱり、嬉しさと。なのかな。
翌日の岩手日報が一面しかもトップで報じてる。すごすぎでしょ。普通に震えました(笑)。
あれはダメ、これはダメとかせっかく音の鳴る場に遊びに来たのに言われたくないよね。わたしも“またアナウンスするの?”って何度か言ってしまうほどだった。
アナウンスで拍手が起こるなんて岩手だけだ。この日だってほぼ毎回皆に注意事項言ってて拍手が起こる。
“大丈夫、お客さんは分かってるから”
と思う反面、
“何かあってからじゃ遅いから”
運営もスタッフも皆が皆、葛藤だらけだった。
リフトアップが起こった時があった。あ、これダイブになるな…って見てたら、その男子はリフトを降りた。瞬間、涙が出た。ごめん、今年はごめん。でも今年で終わらせないために、その気持ち、ステージ側の皆全員が受け取ってます。あの場所に集まった方、全員の気持ちを。
思い出してもぶるぶると心が震える。やっぱりやめられない、マイクを持つのをやめられない。
二戸出身の四兄弟・通称サトマン(SaToMansion)も日報に載ってる写真、めっちゃカッコいい(^^)
わたしの今年の相棒はグッズデザインなども手がけたMOSH8にペイントしてもらったオリジナルのスニーカー!可愛いっしょ♡ 今回、履く前に2日かけてお手入れバッチリやって臨んだら雨現場2本だったのに意外に汚れが少ない!コンバース見直しました。
おそらくどんな仕事でもどんな環境でも代わりをこなせる人はいるのだよね。だから無理はせず生きていく方が良い。と思う反面、とって代わられることなんか出来ないことをやろう、っていい歳こいてまだ、思ったりもした。
記憶力も少し衰えてきた感があるし、ちょっと目が霞む時もあるし、今回の胃が痛い件もそうだし体力は落ちて来てるのも否めないし、いしがきが終わった翌日に検査してもらったら“自律神経が完全に乱れてますね”って、縁ないだろうと思っていたことを言われた。3年ぶりの現場に身体がついていかないところも多少あったけれど、そんな自分を労りながらも不思議と負けん気が強くなっている今日この頃です。困っちゃうよなぁ、もう。