堂々巡ってしまう話。

週末、神戸に行きその足で高校野球の準決勝2試合を見たり小籔さんの吉本新喜劇(ちょうど座長を勇退するタイミングだったとは!)を見てきました。やはりどんなにネットで色んなものが見られても生には勝りませんな〜。大阪でサマーソニックもちょうどあったタイミングでそれも良いなと思ったり(RINA SAWAYAMAが見たかったな…)、何にせよイベントやら何やらが有観客で開催できていることは本当に良かったな〜と思っております。

そんなタイミングでちょうどまたライブでの声出しがどうのこうのと言われておりますが。

根本的な話として、制限されていても声が出ちゃう時は出るし動きたい時は体が動く。それは仕方ないしそれがライブだと思う。仮に演者が止めてもお客さんが止まらないライブこそ本当に良いライブなのだろうと理想論も含めて思う。

ニューヨークでrage against the machineのライブを見てきました。まだあの時の感動が消えないほどに良き時間でした。ノーマスクで盛り上がるお客さんの姿を見ながらふと思ったんですよね、お客さんはもう止められても盛り上がるだろうしこの場所に来ている以上は自己責任で楽しまなくてはという気持ちが強いのでは、と(肌感として世間がコロナからサル痘の恐怖にシフトしてる感もあるのかなとも思ったが)。

音楽の鳴る場所に限らず、何らかの場所に出向くということはそういうことだと思うし、そういう思いで行くからこそ悔いなくマックスで楽しめるのではないかと。

ただ難しいのは、そんな思考の日本人だけが来れば良いじゃないかとなってしまうと大規模に人は現状なかなか集まらず、経済的に音楽を中心としたイベントごとはうまくいかないであろうということ。

考えていくと色んな矛盾は出てくるんですよね。スポーツの応援での声出しは事実上OKになっているのに、とか。

わたしは声出しについて言及したアーティストの気持ちは理解できる、それはNYでライブを見てきたのもあるし正直、日本はいつまでこうしてるんだろう?ってちょっと分からなくなってきてる。来てる人の自己責任だし、そもそもそれでこそライブじゃん、って思う。ただ堂々巡ってしまうのは、それを言ってしまうと大人数集まる場を躊躇して取りやめる人が日本人なら大多数だから色んなルールだったり制限をどうしても設ける必要があるんだろうなぁということ。

今まで考えたりしなかったこんなことを思考できるのはコロナ禍のおかげと思おう。いつかこのページを振り返って、そうだったそうだったって思える時が来ればそれで良い。わたしのつれづれだからわたしの今を書いたに過ぎない。

甲子園球場近くの吉野家が阪神カラーで感動!ということで週末の思い出は追って。ニューヨークの思い出は動画にしようと頑張ってるのですが、今回すごく感じてるのはYouTuberってすごい!ってこと。ユーチューバーは楽してお金を稼いでるなんてあり得ないっすね、動画作って伝えるって大変なことよ、マジで(涙)!

This entry was posted in つれづれなるまま。. Bookmark the permalink.

Comments are closed.