キセキの出会い・1

ゴールデンウィークに、岩手県の沿岸部へと行ってきたことを書きましたが。
ワタクシ、大学時代のアルバイトの1つとして「ズームイン!朝!!」(←当時の番組名)の、学生アルバイトをしておりました。
バイト内容に関して詳しくは省略するものの、それは、それは。出来の悪い、学生で。ワタシばっかり怒られてた印象がある(~_~;)
その時。
ズームイン〜は。ニュースとしてキャスターが読む原稿を、いわゆる「報道部」といった。部署が書かない。そんな番組だったんですね。
だからこそ、ニュースを書く作家の先生方が、専属で何人も、いらして。
また、新聞記事を交えて、他の朝の番組にはないニュースをお送りできていた。
さらに、キャスター自身が、現場に動く。記者だったり、レポーターが行く、のでは、なく。
そういうところでも。
ズームインが、高視聴率を取れていたのも、分かる気がするのです。
そんなわけで。前置きが長くなりましたが。
ちえぞう、ズームインの、学生バイトだったの。出来の悪い。
出来の悪い子は覚えられているのか…バイト時代。お世話になっていた、作家の先生が。
震災後、結構すぐに。ずーっと。ちえぞうのことを気づかってくださり、メールをくださって。
このゴールデンウィーク。
「チエ、オマエどうしてたんだ?盛岡に、行ってみても、いいか?」
と。
岩手へ…いらしたんです…

先生は、お酒を結構好まれるハズなので。
盛岡の桜山で、飲むつもりでした。
連絡をした時には既に、先生は。
酒飲みのカンか?
桜山の、とある飲み屋…ワタシが行ったことのない。お店で、飲んでいた。
「オマエが連れて行きたいところがあるのも分かるが、まずは、ここに、来い!」
そのお店へと、行ってみたら。
並んでいたのは、宮古の蔵元・菱屋酒造「千両 男山」。

このラベルを見て、分かって頂けますか?
この岩手日報の記事を読んで頂くほうがよいですよね?→コチラ
その、岩手日報の記事を踏まえて。
この日本酒は、津波から、言うならば。「生き抜いた」日本酒なんです!
青森の銘酒・田酒を造っていた杜氏が生み出していた、日本酒。

ほら。日本酒のフタを開けるこの…金具というか、何つうんだ、ココ?
そして口の部分にも、土がついていました…土をしっかり、と。拭き取って。それから、注ぐ。
こんなお酒を飲むことは、この先、ないんじゃ、ないか?
生き抜いた、お酒。なんですよ。ありがたい、と、思いながらも、ものすごく。悔しい思いでいっぱいだった。
とりあえず、誤解のないように、書いておく。
どうして、こんなラベルに張り替えて出荷できてるのか。また、貴重なお酒を、どうして出荷したのか?
リンクを貼った岩手日報の記事の通り、この「千両 男山」は、50ケースしか、ありません。ゆえに、300本。
この先、同じ味のお酒が飲める可能性は、限りなく少ないのです。
・仕込みの時に使っていた、湧き?水の、確保が大変、難しい。
・「お客様あっての、酒蔵だから」…と。
言うならば、わずか50ケースの、出来上がっていた日本酒。保存することよりも、いま、喜んで飲んでもらえる人たちが大切で。
だからこそ。全て、出荷した。
…そんな、酒蔵なんです。
こんな出会い、あるんだろうか。いや、これだって、すごい出会いでは、ないか?
ワレワレ、3日3晩。
このお店へ、通いました。ホントです。さすがに、3日3晩、は。これまで、ないと思うなぁ…同じお店へ、飲みに行く、という経験。
‘記憶遺産’ だから…なりえる、から。
この味を。舌で。五感含めて。覚えておかなくて、は。
この「千両 男山」は。

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