宝積(ほうじゃく)の精神

しかしまぁ夏将軍の猛威どころではない、暴威だ…洗濯物も干したそばから乾きそうです…!!!

ということでいろんなお知らせもしたいところですがひとつだけ。わたしのHP内にあるプロフィールが新しくなりました→コチラ!というか全然アップデートしてなかったんですよね(笑)、ま、それにはいろんな事情がありまして。ということで写真もこの夏に新しいものを撮る予定なんだけど、汗だくでひどい写真になりそうだ…(~_~;)

まずクールダウンしましょ🎶

ケセンロックの写真もあれこれ手に入ったので振り返りを書きたいと思っていたところ。ケセンから1ヶ月後に『ISHINOMAKI BUCHI ROCK』があるんだなー、なんて思っていたらブチロック、もう来週に迫ってきました。海沿いで開催になるこのフェスで、わたくしマイクを持たせていただきます。いろいろ出来ることをやろうと思って準備なんかしてるわけですが、今日なんかもありえないほどの太陽が降り注ぐ中、なんだか台風の進路が心配になってくる週末…

そんなわけで話はケセンの開催前に戻る@盛岡。

街ナカを歩いていたら、知っている顔に出くわした。「おぉおー!!!」、今は転職したけど、いしがきミュージックフェスがスタートした頃は関わっていた男子。

「言いたいことあったんだよねー、ラジオ聞いてるよ!いいね〜!」

SNSでも伝えられたんだけどさ、こういうことは直接言いたいじゃん。と思ってたら、会えるもんだねー、って、彼は笑いながら言っていたけど、わたしは泣きそうなほどに嬉しかったのだよ。

盛岡の街ナカをそれぞれの目的地に向かう道すがら、途中まで一緒に歩いてそんな話をした。あの日の盛岡、すがすがしかった。そして、公園の石垣にたどり着く☆

そんなわたしの目的地は、

岩手県酒造組合。岩手県の全酒蔵の樽がお出迎えしてくれます(一部しか写せなくてごめんなさい)。

今年も9月に東京で『いわて酒物語』が開催されます。が、今年はこれまでと会場がガラッと変わるので、いささか趣向も変わる感じでお届けしたいなと。わたしももうちょっとカジュアルに進行を務めさせていただきたい、とか、ま、ミーティングですね。今年も楽しみにされていただいて間違いないですよ、ご参加はリンク先から是非!

酒造組合の方からウワサに聞いていたのがコチラ。出前の焼きそば!

そうなんです。そもそも「出前」ってカルチャーも懐かしくなりつつある(ピザとかウーバーイーツも言わば出前で同じなんだろうけど、なんか昔の‘出前’とは違う感があるんだよなぁ)。これぞ、ザ・出前って感じじゃないすか?スープの方なんてゴムでキューっと止められてるからこぼさないようにラップ外すの大変とか(笑)!

酒造組合ではよくこちらの出前をお願いしているそうで、お肉たっぷりの焼きそばは食べごたえある一皿でした。おいしかったー♡

焼きそばを食べながら、「このままだと、‘晩酌’という単語が死語になるかもしれない」という話が始まった…お酒を飲まない世代、人たちが増えているという話は耳にするが、そもそも家庭でお父さんがお酒を飲む、という家庭の絵面が変わってきているのだという。我が家もそれが普通だったしわたしも「さーて晩酌!」とか張り切っちゃうのだけど、そうではない家庭で育っている子供さんは大人になってから晩酌をするカルチャーがないわけで(そりゃそうだ)。で、今すでにそういう文化になりつつあるのだと…。

いま、酒造組合ではいろいろとがんばっています。それは日本酒は「日本古来の文化」だから。そんな日本古来の文化を失わせてはいけない、そのためにひいては晩酌がある生活・日常も大事にしよう、と。

有意義なお話があれこれ出てあれこれお話しした後。酒造組合を出て、大慈寺のほうに歩いてみた。

佐々木龍大くんが染物の工房をこの地に。藍色がすぐ目に飛び込んできました。

龍大くんはいつも通りな感じでお店にいました。一歩入ると、それはそれは素敵な空間が広がっています。写真では見せません、人の手がこんな室内を作れるのか、というくらいの素敵な空間でした(^^)龍大くんにしか出せないような染色がここで行われているのですね、龍大くんにしか出せない染色は、この場所だからというのもあるような気がするくらい素敵でした。

そんな龍大くんの工房は、道路をはさんで正面に大慈寺小学校があります。開校にあたってこんなようなことが書いてありました。

『平民宰相であった原敬の功績をたたえ、原敬の信念とされる‘宝積の精神(人に尽くして見返りを求めない心)’を地域の子ども達に教育すべきものであった。原敬の精神と遺徳を継承していじゅ子ども達を育てたいという願いの象徴となっている』

そういえば大慈寺って通っていてもお参りしたことないよなぁ。原敬のお墓にも手を合わせてきました。

いま、原敬に学ぶことってあるような気がしますね。でもきっと日本人はみんな原敬みたいな信念を持っていると思う、のだけど、みんな、どうしてもブレてしまう。そのブレなさをどこに求めたらいいのか、と。時代が変わったせいにしてはいけないと思うのです、そう、晩酌に関しても同じく(笑)!

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