ラジオを愛しラジオに救われ☆

本格的に夏フェスシーズン!ですな!!

そんな中、

横浜のバンド・Qon(クオン)のワンマンライブに行って来ました🎶

ステージのバックドロップにも‘from YKHM(=横浜)’の文字が。これから横浜を代表するバンドになってほしいな、うんうん。まだ20代も前半の5人組、ステージでのMCもただ「ありがとう」的な言葉が多かったけど、アイドルのような、ホスト(←ネタにしてた)のような(笑)ルックスが揃う5人。バンドとしてはなかなかのスキルは持っているな、という感じでした。ライブを重ねていくことで、MCなんかの感覚も掴んでくると、一気に集客もファンも増えていくのではないでしょうか、なんて思ったりしました☆

ライブ後。ライブに誘ってくれたディレクター・ケントくんと飲み会♪

ケントくんはラジオとは何かを真剣に考える若者で、実はこれまでもいろいろとお世話になっている案件がありまして。そんな日頃のお礼も兼ねつつ、あーだこーだあーだこーだ、と。早く帰ろうと思って飲み始めたのに結局終電になってしまった(笑)。それくらい熱いラジオトークだったということでね(^^)

そんな帰り際、

ラジオ愛が止まらない!カタオカセブンが同じ店にいた件(猛爆)!面白いなぁ〜!!!

明けて、きのう。

ナイちゃん行きつけのお店でゴチになる!の巻!店内にたちこめる藁焼きのい〜い香り。で、このスモークがまぁ美味で美味で、お店が近所になくて良かった(笑)!

茨城・笠間コブラ会のナイちゃん。うーん、なんだか色々話したなぁ。ナイちゃんの潔さを感じました。ブルーハーツで人生変わった話、良かったなぁ。色々を書いたら喜ぶ音楽ファンがたくさんいるに違いないような話ばっかりしたのだけど、じゃあ一つ書くなら「わたし、この仕事上どんなバンドとか音楽にも‘いいところ’を探すようにしているのだけど、BRAHMANだけはマジで無理だと思った…だってライブで喋んないんだよ!怖いんだよ!」の、あの当時の正直な(はい)告白にナイちゃん大爆笑。からーの、震災後の話。「震災があってさ…」わたし、震災後さいしょのライブはBRAHMANだからね。あの日のこと、それから今に至ること。すべて忘れない。BRAHMANありがとう。ちなみにそんなナイちゃんの正体は明かさずとも知る人ぞ知る、トシロウさんの直系の先輩です。笑

そんなナイちゃんとはみーちゃんこと細美武士の話になりましたが、先週のthe HIATUSツアー初日@zepp Tokyoに行ってきました(写真は何もなし)。

1時間40分ほどのライブは濃密な時間でした。20年前(ちょうどゼップも20年なんだよね)、weezerって言ったっけ?洋楽のバンドをzeppのうしろのほうで見てて、俺もあのステージに立ちたいなぁ、って(思った)。で、「誰かのマネじゃない音楽で、ここに立っている」っていい顔で言っているみーちゃんを見て、あぁこの人がモテないわけがないって思った(笑)。

フェスとかイベントとかで見てはいても単体で見ることはそんなになかったので、なんかいろんなことを思い出しては、じーんとしてしまった自分がいます。震災がなかったら、こんなにいろんな場所で顔合わせるようなアーティストさんではなかったかもしれないしなぁ。「ラジオ止めるとか、何言ってんの?岩手で何やって来たんだよ!岩手のヤツらがいっぱいオマエの声聞いてきてんだぜ!続けろよ、続けなきゃ!」…本当に気持ちがどうにもならず、東京って大変だなぁと思っていたあの時、渋谷で飲んでいたらバッタリみーちゃんに会いました。こんなこともあるんだなぁと今も不思議に思いますが、さんざんぱらそんなことを言われたのが今も支えになっていたりする。そして続けていたりする。あの日もベロベロでしたが、ゼップのステージでも「もうベロベロだから」と言いながら(苦)、でも、自分自身がパニック障害になりかけた話をおもむろにし始めた。「不眠症、なんて曲(=insomnia)作ったりしてさー」と今、笑いながら。そんな経験を経て「たいていのことは、大丈夫。もしこの会場にバンドマンになる夢を持っている人がいたら、それを持ち続けてほしい。そして、フェスのバックヤードで会いましょう!」…そしてアンコールの曲を演奏してライブが終わった。

辛い経験とか辛い思いも、きっと何かに変えられる時が来る。きっと何か、誰かのためになる時がある。それはみーちゃん自身がそうしているから間違いない。上を向いて歩いて帰った帰り道でした☆

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