幡ヶ谷再生大学〜チェルノブイリ〜

先週末。幡ヶ谷再生大学の座学でした。「チェルノブイリ原発事故から30年、フクシマを考える」という内容です。

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渋谷・東急本店のすぐ隣にこんな素敵なギャラリーがあるのですね。ATSUKOBAROUH(アツコバルー)と言います(撮影可)。

何がステキ、って展示の独自性も去ることながら、入場の時に500エンを払ってドリンクチケットと引き換える。そのドリンクを飲みながら、ゆったりとした時間を過ごす。夜もオープンしているので、アルコールを飲みながらアートと共に思いにふける、なんてことが可能なわけで、この日は写真・会場真ん中にみんなで座ってスライドを見ながら話を聞いていたのだけどもお客さんがひっきりなしに入ってきておりました☆

「幡ヶ谷再生大学の活動に、共感してますから」とギャラリーの方がこれまたステキな笑顔(^^)

この日のお話は、ロシア語の医療通訳をされている山田先生。通訳という前にお医者さまであって、年に何度か現地へと向かっている方です。

そんなわけで、山田先生が撮ったお写真もリアルな医療現場を収めたものや『チェルノブイリネックレス』と現地では呼ばれたりする、甲状腺の手術をされた方の首の周りの手術痕など、目にすることができた。正直お医者様であり、お話が難しいところが多かったけど、こうしてビジュアルで現地のいろいろな姿を目にできたのはとても貴重で分かりやすくなったと思う。

福島に関しては…震災前のデータがないから、震災後との比較ができないというようなこともちらっとおっしゃっていたのが「そうだよなぁ」なんて思ったりしたわけで。それと、データを取り続けていくことが大切なのだとも思う、この先これからも。公的機関が子どもを中心に診察を続けていくことは大事だけど、でも予算がかかるという溝をどう埋めるのか。医療現場の方が続けていくべきだということを叶えるのは行政だったり民間だったりするわけで。直接的でなくても関わり方というのはどういう形でもできるものだと思う。たとえば、信頼できる団体や人にお金を託す(金額の大小に関わらず)ということだって、それは、それだって。大切な行動だと思った。でも、それを決めるにも自分の知見をもっと深めなくては。だからやっぱり、「知る」ということ、そのための行動が大事なのだと。思った。

休憩を挟みながら進める予定が、2時間ぶっ通しのお話になった。でもみんな、聞いていた。私のように、ちょっと難しくて、縁遠いようなお話のように感じている方も多かったと思う。でも…もしも近い原発で事故があったら、一気に身近なことになってしまう。そういう見えない危機感がこの日、集まった全員にあったのではないかな、そんな空気だったのかな、と思う。裏付けるかのように、ぶっ通しのお話あと、山田先生は質問攻め。いい時間だった。

片平里菜ちゃんも来ていて、あれこれ。里菜ちゃんは素敵な女性になっているなぁ、見た目もそうだけど、内面も、とっても(ツイッターに写真が載っています⇨コチラ)☆

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終了後も山田先生(ちえぞ隣)とご一緒させていただき、いろんなお話を聞かせていただきました。カメラのことや映画、美しい女優さん…おん歳70、とのことですがあれこれあれこれ、お話がポンポン出てくる!脳のフル回転っぷりに脱帽。「トシだなぁ」なんてワタクシめが言ってたりなんかしちゃいけません!えぇ!

この日のことは、内容の詳細を書くつもりはありません。なぜなら「ネットにあったから」で知るのはやっぱり、違うと思うから(もちろんネットに助けられ分かる情報とかもあるのだけどね)。

また、山田先生にお目にかかれる日を楽しみにしながら、自分の知見を日々、より深めていきたいと思っています(^^)!

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