石巻へ。

11月14日(土) 石巻に行ってきました。

何度か行っていますが、一人で行くのは初めてです。

石巻の街中には、震災のことを伝えてくれる施設がいくつかあります。その1つが「つなぐ館」です。

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そういえば、こちらの話も実物を見て思い出しました。いま、石ノ森萬画館には新しいこちらの像があるけれど。震災の時、まさに立っていたのはこちらだったんです。

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手も足もボロボロだけど、見つかった時には嬉しかっただろうな。泣けてきました。

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写真掲示のうち1枚を撮らせていただきました。これを見て分かるように、建物のどの辺りまで波、というか水の壁が押し寄せてきたかがよく分かる。ものすごい高さだったかということが。しかも写真に写る白い点のようなものは、たぶん雪だと思う。盛岡もそうだった。この日は寒くって雪が降っていたから。

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発災当時、地元のラジオ局がどういう放送をしていたかが5分ほど聞くことができる。

背筋が凍る。たぶん、あの時の自分を身体が覚えているから。

こちらの方も、非常に冷静に放送をされているのが伝わる。しかしその冷静さの中に、「震度6」「大津波警報」「津波の予想高さは6メートル」…尋常じゃない。

冷静なアナウンサーの喋りとこんな単語の羅列。ほんの少しの想像力で、この文字だけでも伝わることでしょう。

しかも石巻は場所によっては10メートル以上を観測したところもあるのを知る。また、普通、津波がある時は波が引くのだけど、波が引かないから津波はない、と思った方もいたという。そして、地震が起こってから地元の方はどういう動きをしていたのか?どう避難したのか?というルートが示されているアプリも興味深かった。しばらくの時間…実際に波が押し寄せてくるのをその目で見るまで、避難場所の高いところに行っていない方が圧倒的に多かった。視覚的な恐怖が来なければ、避難はしなかった方が結構いたのかもしれない。

ちなみにこちらのラジオ石巻さんは、震災当日にいちど停波(サー、っという音)になってしまったそうです。その時間はしばらく続いてしまったそうですが、その間に伝えてほしいことを各所で集め、また、その間には放送を再開すべく自衛隊の方も尽力して、動力を確保して放送を再開したんだそうです。ラジオは放送の中でもそんなに電力を使わないほうだと思いますが、それがしばらくの間(メモしておけば良かったのですが。半日くらい続いたと書いてあったような気がします。不正確でごめんなさい)停まってしまったというのはやはり相当の甚大な災害だったと考えてもらって良いのではないでしょうか。

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こちら、手書きで張り出された新聞も胸を打ちます。ラジオにしても新聞にしても、みな、その業務に携わる人間としての「使命感」がすごく目に見えるからです。

こちらの新聞社のことは本になっているので購入してきました。これから読みます。

また、こちらの新聞はコピーで、実物は、つなぐ館の隣にあるこちらの建物の中で見ることができます。

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遠目に見えますが、連日張り出された新聞の実物です。こちら、実物は穴が空いていたり切れていたり、で、ますますその当時のことが想像させられます(実物は写真撮影不可)。

こちらもなかなか興味深いものが展示されておりました。ウィリアム王子が来訪してくださった時のサインとか。でも、この新聞の実物を見るだけで十分価値があると思います。

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石巻も広い街なので残念ながら駅前付近だけですが、ぶらりとしてきました。今も駅近くにはこういった仮設店舗があります。

個人的に思ったのは、コーヒー豆を焙煎してるところとホルモン屋(焼肉)が多いような気がしたのですが、石巻は名物なんでしょうか?

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白い柱に線が引いてあるのが見えるでしょうか。ここが「津波の水位」と書いてあります。すごい高さなのが分かってもらえますでしょうか。海や北上川の河口近くというわけではありません、こちらは。石巻の街中で、震災後に石巻にできたライブハウス・ブルーレジスタンスの前にあるお店です。

ということで!

初めて、ブルーレジスタンスでライブを見て来ました!何度も行ってるけど、実は、音が鳴ってる時に行ったことがないんです!続く♪

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