本日、青天の

まず近々のことから書く!週末!

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BRAHMAN20周年のお祝い@幕張メッセ、2日目のほうに行ってきましたー!

何かと1日目が、やれ、伝説が生まれた的なことを言われてますが(ハイスタとかSuper Stupidの件とか/でも個人的にはSSは見てみたかったなぁ)、2日目もこの日限りのライブを立て続けに見られて、ある意味、伝説が生まれたと言っていいと思う!!!

それは何と言っても、10-FEETでしょう。TAKUMAさんがトシロウ神みたいにお客さんの上に乗ってMCするなんてのはもう二度と見られないんじゃないでしょうか。

バンドとしての、愛と尊敬に満ちているのがライブを見ていて伝わったよ。素晴らしいなんてもんじゃなかった。ただ泣けた。人目もはばからず、泣いた。

震災後にまず動いていたブラフマンのことをしきりに言っていたけれど、10-FEETだってそうだったじゃないか。たっくさんの布団を集めてくれたこと、は、みんな知ってる事実にしても、あの当時ライブがまったくできなくなって、トランポさん(楽器を運んだりするお仕事)も仕事ないし、って、トランポさんにお金を払って運んでもらって、そうやって自分たちの周りでできることをやっていって、それがみんなでできるように循環してやっていったこと。インタビューで言ってたよね。決してそんなこと、大きく言わないけど。あの時の布団の一部は、いま、仮店舗に移る前のライブハウス・フリークスの防音材で使われたことも思い出したよ。

「まず動け!叫べ!」…ありがとう10-FEET。そうだね、うん、そうだ!!

いま思い出しても泣けてくる。素晴らしかったよ、10-FEET。ここで‘しか’見られないライブを見せてくれた。

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ライブの転換時間がほとんどない感じで交互(2ステージ)にライブが繰り広げられていって休憩なんかできないほど、だったけど、やっぱりお腹はすくんだよ。笑

ということでこちら、東北ライブハウス大作戦のライブハウスのブースに行ったら…

あれ?

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ヤスオさん写真、勝手につかうよー。笑!

「ほれ!愛情たっぷりでつぐったぞ!」だって。コチラ!

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タレカツ丼、マジ絶品!ボリューミーをペロっといっちゃいました。ヤスオさんの愛情たっぷりだったからかしらん♪

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福島のライブハウス・アウトラインの阿部さんにもバッタリ!カワイイ女子ですが芯がすうっと通ってる人。騎馬武者ロックフェスの時にお会いして、でもゆっくりお話できなかったのが今回はちょっとゆっくりお話しできて。うん、良かった☆

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ちょっと休憩すれば知ってる顔がいっぱいいた。いっぱい声かけていただいた。よく知ってるねワタシのことを!もう途中から写真撮るのやめました。ここ関東だよね?笑

彼らはただの音楽好きで、ただライブハウスで会ったりするような若者、だと言いたいけど、自分ができることを自分なりに、いろんな支援活動をやってる若者たちで。本当、バイタリティがハンパない。ちえさん、ちえさーん!って人が集まってきて、ワタシは本当にシアワセでした、この日も。シアワセすぎて途中から疲れたくらいです(ゼータクな)。

ワタシも自分ができることを、自分なりのペースでやっていけたらいいんだな、って思ったです☆

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「おう!写真だ、まんず、写真だ!」

クラブカウンターアクション宮古・太田社長はすごい人です。きっとね、太田社長も「そんなの無理だ!」って言わない人じゃないかな、って思うんです(この話はこの後に書きます)。無理、って言う前にやってみよう、って人なんじゃないかな、と。

ちえぞ横、バカビリーさんもね。そんな考えを持ちはじめてるんじゃないかな、出会った頃より、なんて思う。この2日間のために、北陸から駆けつけた。自分ができることをしてた。

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そんな2デイズのイベントから明けてきのう、ゆかりさんと会食。幸楽苑(六本木店は24時間営業だからさ!笑)の日本酒はさすが、福島のお酒でした。

1日だけでもライブに行けて、やっぱり良かったって。語っても語りきれないライブの記憶を共有しました☆

不思議でしょう。

ブラフマン、っていうバンドは知ってました。FM岩手の音楽好きのディレクター女子が「トシロウ、かっこいい!」って言うんでたまたま(確か)BEAT CRUSADERSとのイベントだったし、どんなもんだって見たらまぁ喋んないしおっかない(=怖い)バンドだなぁ、いいや、ワタシはパス、って思ってました。それでも彼女は選曲してましたが。笑

そんな折。雪もちらつく寒い日だったのを覚えています。

盛岡のクラブチェンジでライブを見た帰り、チラシを配っている男性がいました。「BRAHMAN」って書いてました。あー、例のおっかない人たちかー。で、場所が「宮古」って?なんで?

チラシを配っていた男性に声をかけてお話を聞きました。宮古にブラフマンが大好きな人たちがいるんですよ、だからです。場所なんかライブハウスでなくてもいいんです、って。でも、チケットなかなか売れないんですよねー。僕ですか?別にスタッフとかでもないんです、盛岡住んでるんですけど、ブラフマンが好きだし、あと、宮古の人が好きなんですよね。

じゃあ、って。その男性に間に入ってもらって、宮古の方にお電話で出てもらって(この方も後に繋がるのだけど)、宮古でのライブ告知をFM岩手の番組でしたことも覚えています。

これを機会に、宮古来てみたらどうですか?そうですね、行けたら行きます。的な。社交辞令的な。正直、行くつもりなかったです。笑。おっかない人たちのライブには興味がなかった。『飲みとライブの誘いは断らない』があの当時からのモットーだったくせに。

あれから2回はあったと思うな、宮古でのライブ。でも、行きませんでした。

そうこうしてるうちに、2010年の春。盛岡で知人のお店オープンって時に。宮古の人たちがやって来ました。いしがきミュージックフェスの運営委員長・ゲンちゃんが「この人が宮古のドンだから」って紹介してくれたのが、つまりはブラフマン大好きな人でした。

あぁ、あんだが。いろいろやってけだの。ありがとうね。宮古さ来てみろ、ごちそうすっから!

ごちそうする、にはまんまと反応して行くことにしました。

盛岡でチラシ配ってた男の子に言っておくから、車出してもらって来ぉ。

その通りの素晴らしいお姫さま待遇の1泊2日。初めての宮古。ゼータクなお寿司。海の幸。お酒。あるお店では「あ!チエちゃんのファンに電話してみっぺ!」ツーツー。出た男子はそのお店には来なかったのに店のツケにしといていいって言ったとか。ラジオ聞いてるから、ってさ。何それ?それが現・クラブカウンターアクション宮古のマスコットキャラ、せいちゃん。

たまたまその年、FM岩手の夏のイベントも宮古でワタシが担当することになり。秋はご縁もできたことだし宮古のサーモンハーフマラソンも出てみよう!なんつって参加したり。年が明けて2011年・冬のワタシのバースデイ、宮古で祝ってもらった。立派なバースデーケーキのキャンドルをオナラで消されるという人生史上でもまれにみるひどく笑える出来事も宮古。

全ての時系列を的確に正確に思い出せる。宮古にまつわる、いろいろな思い出。

チエちゃん、何かあったらこれからもよろしくな!そして、いつでも宮古に来いよ!

この時も、例によって盛岡の男性が車で送ってくれました。宮古の人はいい人だね、でも実は言えなかったことが一つあるんだ、って。ワタシ、2011年春でラジオの仕事を辞めるんだ。

ちえさん、そうなんですか。実は僕も、仕事が宮古の担当でなくなりそうなんです…僕も言えませんでした…

でも、ちえさんがラジオの人でなくなっても、宮古の人には関係ないですよ。これからも宮古に行きましょう!僕が乗せて行きますから!

それからわずか10日くらい後のことです。

2011年3月11日午後2時46分。毎週金曜、FM岩手の11時半〜2時55分までの番組を担当していたワタシにとって残る放送は3回でした。この日のエンディングで、この番組が終わることを言おう、そんなエンディング前のCMゾーンでした。

あの時の揺れのことは揺れではかった。そんな言葉で表現できるものではなかった。それからの時間の経過は別に委ねます。

宮古の人と連絡がついたのはどれくらい経ってからだったのかというのは記憶がないです。でも、宮古に直接ワタシが連絡するより、盛岡の彼に電話をするほうが状況が聞けると思って、実はずーっと彼に電話をしていました。

でもいっつも同じアナウンスなんです。電波が入っていないところにいるかも、っていう、あの。

しびれを切らして思い切って宮古の人たちに電話して初めて分かりました。まず、ワタシが知ってる宮古の人間はみんな元気だ!大丈夫、こっちは元気だから!でもさ…

そうなんだよな…アイツ、あの日、宮古に来てたらしいんだよ。ウチには来てなかったんだけどさ。なんか、担当変わるとかってさ、挨拶とかで、さ。

まさか。

おいあの日ワタシのラジオ聞いてなかったんか!ワタシ、ちゃんと震災のこと報じてたよ!って思ったけど、そういえば社用車にはラジオついてないんですよね、って言ってたのを思い出した。

 

ふみかちゃん。このブログを読んでいますか。

あなたの弟さんとはこんな出会いとこんなたっくさんの思い出が、ブラフマンというバンドと宮古を通して、あるんだよ。

ちえさんは、盛岡二高を卒業してますか?っていう問い合わせが来てるんですが。そうでしたか?なんでも、弟さんのことが書いてあるブログを見て、それが高橋ちえって人で、FM岩手で喋ってるから、ってことらしいんですが…

Sディレクターが言ってきた連絡に驚くしかなかった。

高校3年生の時、同じクラスだったこと。すぐに思い出した。だってふみかちゃんも、苗字が同じタ行だもん。

元気でいますか。

いつか会えると思っています。宮古の連中と一緒にお葬式にも行ったけど、あの時は会えなかったけど、でも、あの時にも不思議なお花があったよね。「ブラフマン」って書いてある。

 

週末の幕張の景色を、彼と一緒に見たかった。

そろそろ出て来てもいいんじゃないか。「あんなにライブに誘っても来なかったちえさんが、まさかー!」って。ワタシのことを笑ってくれ。

2011年4月10日。盛岡でブラフマンを見たのがワタシにとってはブラフマンのスタートと言っていい。せいちゃんがライブの終盤、おもむろに携帯を取り出して1枚の写真をステージにかざしながらライブを見始めた。そういうことか。みんな倣った。自分の中の1枚を探して。どんなに熱いライブでもライブハウスの床はこんなにぐちゃぐちゃにならないよ。塩分がだいぶ多い床。

いろんなことがありながら時が流れ。年が変わって。

2012年の年明け。岩手の状況と、音楽について知ってる人に会いたい。そんな少人数の集まりの場で、初めて会った、ゆかりさん。『東北ライブハウス大作戦』が動き始めてて、宮城にも1カ所できるらしい、なんて話をワタシも聞きたかったし。なんとなくの情報交換をして、いちおう連絡先を交換して。でも、それっきり。

2012年、ワタシにとって初めてのケセンロック。ただの招待なはず?だったのに「今ってどこ?チエちゃん、喋ってほしいんだよねー。黙祷から始めたいんだ、やっぱり。ちゃんと」…父の車で会場に向かって、着いた時にステージから両手でみんなに「早く!」って呼ばれる。笑える絵だよ、これ。今思うと、ワタシが遅刻してきたみたいなんだもん(爆)!

ケセンロック、ありがとう。震災がなければ、出会えてない。きっと。たぶん。

それから、いしがきミュージックフェスティバル。あの時、SLANGのKOさんに背中バシーン!ってやられたんだよね。

「オマエ!何やってんだよ!自分のやるべきこと、やれよ!!!」

確かにちょうど、ラジオから離れていた時でした。そもそも離れる意思だったんだしそんなこと言われる筋合いないし、とか思いつつ、盛岡のホテルでひたすら泣きました。

自分のやるべきこと、って、なんだろうか。

分からないけど、分からないまま立ち上げたのが『おんがくのちから(仮)』です。ロングインタビューの3回シリーズ。

1回目はSLANGのKOさんに出ていただかなければ意味がない。オファーは急だったけど、ワタシの中ではずーっと決めてました。快諾いただいて「40分も(インタビューの)時間あんの!?」とか言ってたくせに、結局45分くらいになってもうそろそろ、ってなったら「え、もう終わりなの?」だって。忘れませんよ。笑。ついでに言うと、いしがき〜での顛末も覚えてないっぽい。爆!

ケセンロック、大船渡との繋がりのことを考えると、ちょうど盛岡でいいタイミングでライブがあるのもあるし、と。10-FEETは3回目のゲストで内諾をもらうことができました。さて、2回目のゲストはどうしよう?

やっぱりブラフマンじゃないの。トシロウさんって人じゃないの?

レコード会社の方に間に入ってもらってがんばってもらって、時間をもらうことができました。トイズファクトリーの立派な応接室みたいなところにちょこんと器材準備して、いざ。

「ったくよぉ、田舎の人はこうだもんなー。もっとこう、TOKYO FMみたいな立派なスタジオにお迎えすんじゃねーの?」…いきなりこうですか。鬼だこの人、やっぱり。さらに宮古への愛ある悪口も飛び出しつつ、でも。でも。今でも全編、編集しない内容を保存してる。聞いていただいた方と共有できることが全て。ここには書かない。

この時、確か。宮城での絵本の読み聞かせの話からだったと思うのですが…「ゆかりさん」って名前がふと、出たんですよね。

ゆかりさん、って、あの、ゆかりさんですか?あの、って何だよどこのだよ。ゆかりさんの携帯にお電話して、いきさつを話して、トイズファクトリーに来てもらった。えー、そうなの、こういうこと?あっはっはー、つながるねぇ。

これもご縁だしさ、仙台で近々、トシロウのトークショーあるから来てみたら。奇しくも番組の生放送の翌日だったし、仙台で途中下車して。「鬼」の本当の意味が分かったのはこの日この夜でした。ラストオーダーでレモンサワー全員1人3杯づつで、とかオーダーしちゃう人いるんだ。夜中3時のラーメン全部のせ、ホントにこんなことするんだ。笑。

そもそも帰るつもりでいたし、で、帰る時に「あ、帰るんだ?もう。へぇー。つきあい良くねーな」的なことを鬼が言うんで(忘れません)、じゃあ泊まるわ!でも楽天トラベル見ても空きないよ、どーしよう、って言ったらノースロード(っていうイベンター会社)の頼れるO君がこの日も頼れる技を使って空きがない仙台のホテルで宿を確保してくれたのに最終的に宿が必要ない時間まで飲んだっていうね。笑

この時、初めて話したの。宮古に連れてってくれていた彼のことを。え、まさか知り合いだったの?そーなんだ、そっかぁ…

そして番組は今も細々とだけど続き、事あるごとにゆかりさんにはお世話になり、ついでに失礼な言い方をすると、ブラフマンという人たちにもお世話になっている、という。

「ラジオの仕事は、ちえさん(さん付けで呼んでくれていた頃が懐かしい。笑)の、天命だ。俺にとっては、歌うことが天命なんだ、って。震災が気づかせてくれたの。本当に」

………

幕張でのブラフマンのライブのことをまったく書いてないですね。

1時間40分くらいの時間なのかな。ありがとうございます。ただ、ただ。それだけです。

天命を感じて歌っているトシロウ神のことを、支えるメンバーのことを、ただひたすら見入ってた夜でした。

やめません。高橋ちえ。自分から。これが、天命なのだとするならば。

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そうそう、「そんなの無理」って言うか言わないかの話ですが。これ、ゆかりさんのことです。ゆかりさんはゼッタイそれを言わない人。と言うかたぶん、無理って言葉の意味を知らない方。笑

幕張に向かう道すがら(東北から)、東北線が運転見合わせになってしまって。黒磯で足止めだったんで降りてみたら、ちょうど今年最後の日曜朝市が開催されてました。

黒磯にある、カフェブームの先駆けでもあるSHOZOさんが出店されてて、珍しくドーナツを販売していたので、ゆかりさんにも買ったのに幕張でこれを渡すの忘れててきのうも会ったらそのまんま話が止めどなかった、の巻。以上♪

きのうおとといの思いを書いたら過去最高に長い日記になっちゃたかもな。まいっか。

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幕張は遅刻になっちゃったけど、黒磯でひさびさにのんびりできたから良しとしよう。温香のベーグル、久しぶりに食べた。ここを超えるベーグルは全国探してもゼッタイない。断言します!

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