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can’t or don’tーできるのか、やらないのか〜齋藤信之(サイマン)さん④

水戸を拠点に活動する車いすバスケットボールチーム『スピニング・フープス・レボリューション』代表の通称・サイマンさんこと、齋藤信之さん。車いすでアメリカに渡ったパイオニアのような方のお話、今回が(いったん)最終回です。

今回のインタビューにあたり、2人の若者にお手伝いをお願いしました。
岩手から音楽シーンに羽ばたいてほしい、現在はGigantics(@_Gigantics)という2人組のユニットで活動をするヨシダシンタロー(写真右)と、シンガーソングライターの泰斗くん(リンクから試聴できます)。彼らと“幡ヶ谷の父”・サイマンさんの、気づきがある会話をお届けします。

やったらやっただけ、自分に帰ってくる。レベルが上がるかどうかは自分しだい。やりたいことがあるのなら、それをやれば良いだけの話。

若者だけでなく、大人にも響くお話に耳を傾けてもらえたら嬉しいです。

(Thanks to RE:BIRTH STUDIO /幡ヶ谷)

 

 

【補足】水戸で配られているフリーペーパーにサイマンさんが掲載されています。インタビューはウェブ版もあるので、ぜひお読みください⇨コチラから

“忍者はバイト、本業はサムライ”〜齋藤信之(サイマン)さん③

今月ご登場いただくのは、水戸を拠点に活動する車いすバスケットボールチーム『スピニング・フープス・レボリューション』代表の通称・サイマンさんこと、齋藤信之さん。車いすでアメリカに渡ったパイオニアのような方です。

死ぬのは全然怖くない、から続いていく話で、「シティーハンターと一緒なの!」と小声になるところにサイマンさんの可愛さも垣間見える回です(笑)。そこからは爆笑トークが続いていきますが、「自分の考え方次第でどうにでもなる」と色々と乗り越えた逞しさが面白さにも繋がっているようなところがあるような気がして、なりません。
ところどころ第三者の笑い声も聞こえるのは、ゲストがいるから。次回・最終回で登場しますね!

今回も編集しながら爆笑してしまい、いつもよりちょっと長い時間になってしまいましたが笑いながらあっという間に聴けると思います。日々、人生に(適度な)ユーモアを、と思わされますね(^^)ウソも方便!
ということでラジオを聴き流すような感覚で、気軽に再生ボタンを押してみてください。

(PS;でも松井秀喜さんやタンパの皆さん、わたしからもごめんなさい!笑)

 

 

【補足】水戸で配られているフリーペーパーにサイマンさんが掲載されています。インタビューはウェブ版もあるので、ぜひお読みください⇨コチラから

車いすだろうが何でもやってやろう〜齋藤信之(サイマン)さん②

今月ご登場いただくのは、水戸を拠点に活動する車いすバスケットボールチーム『スピニング・フープス・レボリューション』代表の通称・サイマンさんこと、齋藤信之さん。車いすでアメリカに渡ったパイオニアのような方です。

“車いすだからといって、今までの生活を変えたくなかった”と語って単身渡米したお話に続いていくのですが、編集しながらもサイマンさんのエピソードに爆笑してました。“世界の中心で叫ぶ”サイマンさんのお話・2回目は、前回以上にあっという間に聴けちゃうと思います。

自分の中でこのインタビュー企画を始めた時、1つは東日本大震災のこと。もう1つは地元や地域に根ざして生きるということ。この2つを、密かなインタビューの柱にしながら。その上で、耳を傾けた方々に“自分にも何かできるのではないか?”というヒントをどこかに忍ばせられるような内容にしようと思ってきました。
でも…サイマンさんは、すごすぎる。正直、どこをどう見習えば良いのか分からない、常人にはない精神力や忍耐力、強さがある方だなぁと編集をしながら改めて思った、そんな回でもあります。

…と、書きつつも。
ラジオを聴き流すような感覚で、気軽に再生ボタンを押してみてください。

 

 

【補足】水戸で配られているフリーペーパーにサイマンさんが掲載されています。インタビューはウェブ版もあるので、ぜひお読みください⇨コチラから

ヒーローには“マン”がつく〜齋藤信之(サイマン)さん①

【人を元気にするのは、人の声/6月マンスリーゲスト・齋藤信之(=サイマン)さん】

 

今月ご登場いただくのは、水戸を拠点に活動する車いすバスケットボールチーム『スピニング・フープス・レボリューション』代表を務めます通称・サイマンさんこと齋藤信之さんです。

初めてサイマンさんを認識したのは、2019年に宮城県石巻市で開催されたブチロックという音楽フェスの打ち上げだったと思います。1人で車を運転して来られた?でも車椅子だよね!?ん??
と思いつつ時は流れ、昨年にこのインタビュー企画を始めて田原“104”洋さんにお会いしていた時にふらっとやって来まして、という件は今回のインタビューでお話ししているのですが、その時に介助などほぼ誰もすることなく1人で運転して去っていく姿に改めて驚いたのでした。そして今年の年明けに水戸で会食する機会があり(色々と、つながるものですね)、今回ご登場いただこう、とお願いしたのであります。

そんな1回目は、サイマンさんの生い立ち的ルーツをお尋ねしました。収録時は正直、編集が大変なインタビューになるだろうなと思ったのですが、客観的にデータを聴いてサイマンさんのトークのテンポがとても良く意外にも大変ではなかったです(笑)。
今回は、茨城はいばら“ぎ”じゃなくて、いばら“き”ということをみなさまに覚えていただけると幸いな回でございます(なんのこっちゃ)。ラジオを聴く感覚で再生ボタンを押してみてくださいませ🎶

 

 

【補足】最初に書いてしまうのですが、水戸で配られているフリーペーパーのサイマンさんのインタビューに心動かされてしまった部分が大きくインタビューをお願いしたにも関わらず、こういったお話にはならないインタビューになりました(笑)。ウェブ版もあるので、ぜひお読みください⇨コチラから

布ぞうりを通して、失われたコミュニティ作り〜工藤賀子さん④

【人を元気にするのは、人の声/5月マンスリーゲスト・工藤賀子さん】

 

今月は、一般社団法人あゆみ 代表理事・工藤賀子(のりこ)さんにお話を聞いてきました。
最終回では、東日本大震災後の東北の支援として「ふっくら布ぞうり」が今や、地域のコミュニティ作りにも広がっているお話です。前回から引き続くお話になりますが、工藤さんにお話を伺うまで知らなかったことでした。

まず補足として、あくまで月にインタビューを行った時点での布ぞうりの編み手さんですが、
陸前高田×4名/南三陸×3名/石巻・追波(おっぱ)、鹿妻×各3名/講習会を通して×8名前後/東松島×2名 そして現在、東京での編み手さんもいらっしゃるとのこと。こちらを踏まえてインタビューを再生いただけましたらです。

これはインタビュー終了後に工藤さんが語っておられたことですが、色んなアイディアが去年の春頃にたくさん湧いてきたそうです、それはちょうどコロナ禍に入った頃ですね。これまで歩んできたことを見つめ直して考える。これまで通りの活動が出来ないことを嘆くのではなくそういう時だからこそ思考し、動ける時になったらすぐに動ける自分や状況作りをしておく。

工藤さんが実際に行動し形にしていることをインタビューを通して伺って。自分の今後の糧にもなる時間となりました。

では、どうぞラジオを聴き流す感覚で、耳を傾けてみてください。

 

【補足】インタビュー内に登場する「ぷらっとホーム世田谷」のHP→コチラ

【補足②】インタビュー最後、工藤さんがTシャツに関する呼びかけをしておりますがもしも思い当たる方がおられましたらこちらのアドレスまでご連絡ください!→info@fukkura.jp

復興支援もアイディアと創意工夫で〜工藤賀子さん③

【人を元気にするのは、人の声/5月マンスリーゲスト・工藤賀子さん】

今月ご登場いただくのは、一般社団法人あゆみ 代表理事・工藤賀子(のりこ)さんです。
今回は、工藤さんが音楽業界から東日本大震災後の支援活動へと移り、一般社団法人を立ち上げて活動を続けている「ふっくら布ぞうり」について。
布ぞうりとの出会いから、布ぞうりそのものに関してのお話を詳しく伺っていきます!

工藤さんが関わる布ぞうりの展開をわたしが知ったのは、この時にお話を聞きながら思い出したのですがまさにEMI ROCKSが仙台で開催された時の新聞記事でした。残念ながらその記事のリンクはもう無さそうですが、レコード会社・EMIのプレスリリースはまだウェブに残っています→コチラ
工藤さんのお話がより分かりやすく理解できると思いますので、ご参照ください。
(また、その時のEMI ROCKS SENDAIレポートがBARKSの記事になっていたのでそちらも是非→コチラ

アイディアと、色んな方々との結びつきと繋がりと。
工藤さんのお話からヒントを得て、今のコロナ禍でも出来ることがあると思うしやっていくしかないな、と思ったりします。

では、どうぞラジオを聴き流す感覚で、再生してくださいませ。

 

 

東日本大震災、工藤さんからの励まし〜工藤賀子さん②

【人を元気にするのは、人の声/5月マンスリーゲスト・工藤賀子さん】

今月ご登場いただくのは、一般社団法人あゆみ 代表理事・工藤賀子(のりこ)さんです。
工藤さんとの接点は1回目のインタビューの冒頭で話があった通りですが、今回はその、接点の部分からさらに進んだお話でもあり工藤さんにご登場いただきたい、と思った部分でもあります。

それは2011年3月11日に発災の、東日本大震災です。

あれから10年の月日が経って、薄らいでいく記憶があるのも事実ですし、忘れられるからこそ先に進める部分もあると思っています。記録に残そう、ちょっとしたサブテーマがこのインタビュー企画にはそもそもあるのですが、工藤さんそして当時の工藤さんのレコード会社の方々は、震災後のFM岩手の放送をradiko(震災後はエリア制限が解除され、全国で東北の放送が無料で聴くことができました)を通して聴いては、メッセージを送ったりしてくださいました。
あの時のこと、本当にありがたかったです。

そんなことを振り返りつつ、実はわたしも知らなかった震災後の工藤さん、レコード会社の方々の動きも知ることになりましたお話でした。
ラジオを聴くような感覚で再生ボタンを押して、ながら聞きしてもらえたら嬉しいです。
“物資の支援ではなく、必要なのは泥かきだ”と語る部分は、東日本大震災の時に限らず今後、災害が起きた時にも通じることなのかもしれない、と思ったりしています。

 

 

高校時代、年間100本のライブに行っていた!〜工藤賀子さん①

【人を元気にするのは、人の声/5月マンスリーゲスト・工藤賀子さん】

今月ご登場いただくのは、一般社団法人あゆみ 代表理事・工藤賀子(のりこ)さんです。
ここに来て、いきなりお堅い方がご登場される…と思いました方、全く構える必要はなく耳を傾けていただけましたらです。

今現在の社団法人のことなどは今後、お話が出てきますのでお聞きいただくとして、 第一回目は、工藤さんの音楽遍歴などざっくばらんに語っていただきました。 実は工藤さんとわたしの接点は、工藤さんが某レコード会社で宣伝をご担当されていたことに遡ります。 工藤さんは愛を持ってアーティストに接する方で、その愛がこぼれるほどに伝わってくる(笑)プロモーターさんでした。
そんな工藤さんとは、東日本大震災を通してまた違う形で関わりが生まれるようになりました。 震災から10年を迎えたこの春、工藤さんとの色々な出来事を思い出し、ご登場をお願いした次第です。

ラジオを聴く感覚でどうぞ、ながら聴きしてくださいませ。音楽を饒舌に語る工藤さんに、思わずぷっと吹き出してしまうかも!

 

 

【補足】インタビュー中に“ふっくら布ぞうりの会”というワードが出てきます。今後のインタビューで具体的なお話もで出てきますが、ひとまずはこちらのことです→コチラ

歴史を正視する勇気を〜山本洋左右さん④

【人を元気にするのは、人の声/4月マンスリーゲスト・山本洋左右さん】

今月は、わたしの大学時代の恩師の1人・放送作家の山本洋左右さん(以下、大先生)にお話をお聞きしてきました。

2021年4月26日にアップしたという記録として、
昨日から、東京ほか全国いくつかの県で3回目の緊急事態宣言が発出され、ライブやスポーツなどは無観客での開催となり、酒類を出す飲食店は休業を余儀なくされています。そんな今日も、オリンピックの聖火ランナーは九州・宮崎を走っています。

今回、先生とお話ししたことを通して感じるのは、こんなにテクノロジーも発達している中、自分が世の中に対して鈍感になっているということでした。最終回、山本先生も語気を荒げつつお話しされていることは今の世の中に対する大いなる警鐘として聞くべき内容だと思っています。最後の方、日本と台湾を比較しつつ“与えられた民主主義と、勝ち取った民主主義”と話している部分は、個人的に大いに考えさせられるものでありました。

どうぞ、大先生のブログは毎日アクセスくださいませ→こちら

 

「文明は破壊されても、文化は破壊されない」〜山本洋左右さん③

【人を元気にするのは、人の声/4月マンスリーゲスト・山本洋左右さん】

今月は、わたしの大学時代の恩師の1人・放送作家の山本洋左右さん(以下、大先生)にお話をお聞きしています。
前回、華麗なる放送作家時代の華麗なる経歴をバッサリとカットし、もっと大事なお話と思う内容をお伝えした部分の大先生に対する謝罪も兼ね、アイコン写真は「ズームイン!!サタデー」に遊びに行った時の1枚にしました(笑)。

今回は、インタビューをしながら涙がぽろぽろ出てしまいました。先生も、言葉がまとまらないまま発しておられる部分がありますが、それもリアルにあまり手を加えずお届けすることにしました。
それは、2011年5月に岩手県を訪れ、沿岸部を大先生と共に周った記憶が蘇ることもさることながら。時を経て、あんなにダメダメだった学生アルバイトの自分が、大先生と震災後、津波で大変な被害を被った現地を一緒に廻って様々な思いを共有し、岩手のお酒を酌み交わしながら話すことが出来、そして今に至るまで交流をさせていただいておりますことで、本当に幸せに思います。
学生時代、厳しくされたからこそ今があると。今の時代は時代錯誤なのかもしれませんがわたしは今、あの時を振り返って、そう言えます。喩えるなら、“親の心子知らず”といった感じでしょうか。師というのは偉大です。

大先生のブログも是非お読みください→こちら

 

 

【補足①】大先生が“ヒデキ、還暦!”と申していた時の記述→コチラから
また、拙ブログのこの日前後は大先生と沿岸部を周った記載もご覧いただけます!

【補足②】インタビュー中「笠原さん」という方のお名前が何度か出てきますが、大先生と同じくやはり放送作家の先生でございます。今は大学で後輩のご指導もされておられますようです→コチラから

「先生と呼ばれるほどバカではない!」〜山本洋左右さん②

【人を元気にするのは、人の声/4月マンスリーゲスト・山本洋左右さん】

今月は、わたしの大学時代の恩師の1人・放送作家の山本洋左右さん(以下、大先生)にお話をお聞きしていまして、今回はその接点の部分をアップするつもりでしたが、それよりも面白くて伝えたくてためになるお話の方で構成しました。

ということで1回目の方に書いた通り、大先生とわたしとの関わりというのはわたしが大学生の時に日本テレビ系『ズームイン!!朝!』の学生アルバイトをした時のご縁になるのですが、大先生は『なるほど!ザ ワールド』や『高校生クイズ(=全国高等学校クイズ選手権)』等々、様々なテレビ番組で構成作家としてご活躍をされてこられた方でございます。
そんなお話はまるっとカットしまして、今を生きる・生き抜く大切なヒントがあるお話をお届けします。

すべからく日本は歴史教育をおろそかにしている、日本人は歴史を知らなすぎる。
…これ以上は書きませんので、聞いたあなたは、感じた何かを大切にされてください。

そんな大先生のブログは→こちら

 

 

 

【補足】男女平等のお話から、3分15秒頃に「日本は20何位か」という発言があります。これはアジアの国の中での順位でありましょう。実際つい最近、男女格差の世界ランキングが発表になったばかりですが、世界銀行版のランキングを見ると台湾は34位でアジア最高位でした(日本は80位)。参考までにこちらをご覧いただくのも良いかと思います→こちら

権力とぶつかることに何の迷いもない〜山本洋左右さん①

【人を元気にするのは、人の声/4月マンスリーゲスト・山本洋左右さん】

 

今月は、わたしの大学時代の恩師の1人・放送作家の山本洋左右さん(以下、大先生)にお話をお聞きします。
わたしとの関わりは今後出てくるので割愛しますが一言お伝えをしておくと、わたしが大学生の時に日本テレビ系『ズームイン!!朝!』の学生アルバイトをした時のご縁です。

卒業してからも年賀状のやりとりくらいは続いていたのですが、大先生と今またこうしてお会いするようになった一番の理由は東日本大震災でした。大先生がご連絡をくださり、震災の約2ヶ月後には大先生が岩手を訪れ共に沿岸部を周ったのでした。そしてそれで知ることになったのですが、なんと大先生とわたしは誕生日が同じ(!)で、以降、誕生日の前後で大先生と一緒にお祝いをして日本酒を飲んでいるのです。学生時代、こんな日が来ようとは…笑笑

そんな大先生との色々なこともあるのですが、最近、BRAHMANのTOSHI-LOWさんと雑談から長々と話をする機会があり、「ちえぞうは知らないのか、そういう話」と言われたいくつかのことがあります。確かに知らない、いや知る必要もないだろう過去のこと、と思っていた自分がいたのが事実です。そんな話の片鱗が、大先生との会話でも出てきます。

無意識のうちに自分は考えない人になっていないか、学ばない人になっていないか、自戒を込めて。大先生のお話をどうぞ。また大先生のブログも大変ためになります、こちらからご覧ください

 

 

【補足】1970年代の大卒初任給は39,900円(年次統計による)