陸前高田〜気仙沼へと

2日間のケセンロックが終わって、次の日のケセンロック10回目祝賀会をライブハウス・フリークスで行って。

あけて、7/16(火)。大船渡から沿岸沿いを南下。大船渡の隣・陸前高田市へと向かう!

『アバッセ』という商業施設ができて、道路を挟んで正面に。『陸前高田復興まちづくり情報館』という建物ができてました。

震災前の街の写真や震災の時のレポート、これからのまちづくりを模した模型など。無料で見ることができる施設ですが、こちらの船がびっくりするもので。高田高校海洋システム科の実習船なのですが、これがアメリカに漂流しまして、その後この高田に戻ってきて今は展示されているというわけですね〜!確か1年半ほど経って見つかったといいます。

情報館の前にある追悼施設に手を合わせ、

これら施設はかさ上げされた土地にできた建物なので、海に近い土地は見下ろす形で見ることができます。

写真で高低差を伝えるのは難しいのですが、だいぶの高さから見下ろす感じです。ぽつん、と1棟だけ震災で被災した建物が今も残る。

今回も地元の方のご厚意(&地元で実際に工事の現場に入っているタナカツヨシ←音楽大好き)で、限られた時間ヘルメットをかぶって工事の現場へと入れさせていただく。今もこんな大型ダンプがひっきりなしに動いては作業を続ける。

もともと、今は1棟しか残らないこのエリアが陸前高田の中心部だったのですが、この土地は今後(工事の見通しとしてはあと1年半ほどだそう)、工場用地にする予定で進めているとのことでした。

こういう現場の写真を撮るのは本当に難しいなぁと思います。

見ての通り、3F建ての建物ですが、もう2階にかかるくらいまでまわりはかさ上げが進んでいます。が、こちらの所有者は手放すつもりはないということで、まわりを取り囲むようにかさ上げはどんどん進んでいて、この高低差は実際に目の当たりにしてほしいですね。屋上にポツンとちょこんと出ているところまで、波はやって来たという。そしてその部分のちょこんとしたところに逃げ込んだ方は命をとりとめたという。逆に、この建物から逃げることで命を失ってしまった方がいたという。

わからない。本当にわからない。

陸前高田市の方針としては、亡くなった方が出ていない建物は『震災遺構』として残すとのことで、つまりは所有者うんぬんは置いておいてもこの建物はその条件に合うわけですね。海沿いにあった道の駅『タピック』も、三角で斜めになっている屋根部分に逃げた方は被害を逃れたので残す方向なのだと。

陸前高田から車で30分ほど。向洋高校へ。

こちらは今、『伝承館』という建物と併設する形で、校舎の中にも立ち入り可能で公開をしているのだそうです。残念ながら連休明けで休館日でしたが、外観だけ見るだけでもかなりの被害を感じます。

右端、校舎の上部分がぼろっと欠けているのですが、ここに「工場の建物が激突した」との記載あり。波の高さが伺えますね。とともに、工場をも押し流す津波の力も。

校舎の中に車が押し流されているのもそのまま残っているという。あらためて、外観からでも十分に威力は伝わった。

と、ここまで。幡ヶ谷再生大学のツイッターでも発信されていた通りで、前日にライブを行った四星球といっしょに見に行きました。

(同ツイッターから転載)

手前・左(モリスの横)に座っているのが、ケセンロックの実行委員・おいきんさんです!「地元のものが食べたい」というメンバーのリクエストにこたえて、朝から美味なごはんを用意してくださってました(涙)!おいきんさん、ありがとう。そして終わらないケセンロックの日々…笑笑

地元の人は朝からこういうのを食べるんですかねぇ…?という質問に、うーんどうだろう?と言わざるを得ない海の幸、手を加えた料理がずらり。「てゆーかお酒飲める食事じゃん!」って感じでした(笑)。

ちなみにホヤもちらっと見えますが、大船渡のホヤは絶品ですね…で、これは地元の方に聞いたマジ話ですが、ホヤはとにかく金属を嫌うそうなので、できるならば包丁で切らないほうがいいとのこと。「手でちぎって、海水をつけて食べる」のがいちばん美味しいそうです(やってみたい!)!

仙台までの道中、大谷海岸駅に立ち寄り。道の駅はちょうど改装中でおやすみでしたが、ちゃんと手を合わせる。見てわかりますか、ここは電車のホームだったんですね、震災があるまでは。

This entry was posted in 3月11日, NO MUSIC,NO MY LIFE♪, イベント. Bookmark the permalink.

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