明日へと さあ進め 運命とは儚き あの旋律のようさ

森山直太朗さんの「生きとし生ける物へ」のこのフレーズがぐるんぐるん。
もう、身近な人がいなくなる、なんてことは、あって欲しくはない。
しかしこの先も、自分が生きているうちには何度も、何度も。
人の死に慣れることなんでできっこない。
「Do You!?」という番組の最後に、思わず。喋ってしまったこと。
私は東京に出る。ずいぶん前から決まっていたことだ。でも、でも…どうしても。どうしても。離れられない、仲間たち。
そして、ラジオの仕事も辞めようかな、と思っていた。ちょうど10年、心機一転、新たなことをやってみたい…そんな気持ちも、ホントに持ってた。
「ちえさん、東京に出るなんて!こんな楽しみなことはないな〜!ちえさんの声、東京から、全国に聞こえることを考えたら、ワクワクするな〜!盛岡だったり岩手なんて、すぐに帰って来られるでしょうよ〜!」
彼は私の意思なんかお構いっこなしに、手放しで。東京へ行き、東京でラジオで喋る。そんなふうに私の背中を勝手に押してくれたのだった。
彼も、転勤の内示が出ていて、この春。盛岡を離れる予定だった。ちょうど、結婚もしたばかり。幸せな、ヤツ。
そんな、彼は。
今はケータイも契約が解除になった。
あの時のあの会話が。あれが最後だ、なんて。
彼は営業で、盛岡から沿岸に行っていたそうだ。3月11日の午後。なぜ、あの日に行っていたんだ、バカもの。
彼は今も、見つかっていない。波に連れて行かれた、と。一緒に、営業に行っていて、無事だった方から、間接的に聞いた。
4月10日。震災から、翌日で1か月。
BRAHMANが盛岡のライブハウス・clubchange WAVEでライブをした。
震災以降、ライブハウスに初めて行った。
TOSHI-LOWさんが、正確に。何と言ったかは全く覚えていないのだけど。
最後の曲を演奏する前に。
ステージの上から、彼の名を。発してくれた。
なんて幸せなオトコなんだ!TOSHI-LOWが「いつもニコニコしてる…」って、アンタのこと、言ってるよっ!…と思いながら、ライブハウスで、こんなに嗚咽を漏らして泣いてしまったことはない。
飲み会の時撮った、彼の写真を、みんなで、ステージに向けて。最後の1曲を聞いたんだった。
でも、我々、仲間は。この時、悟った。
彼がいなくなったことを、受け入れなくてはいけない、と。

ライブ後に。みんな笑顔で。言うなら、献杯。
宮古からやって来た仲間が多数!ハイ、パチリ☆
ありがとう。BRAHMAN。
ワタシは一生、宮古に遊びに行く。彼のことも、みんな、忘れることはない。
こうして彼の人生をようやく受け入れたところで。
畳み掛ける悲しみは、ちょっと、ゴメンだ。

This entry was posted in NO MUSIC,NO MY LIFE♪. Bookmark the permalink.

Comments are closed.