もうすぐ1か月、って時に

おととい・木曜日。4月7日。
19時までエフエム岩手の生放送をお届けして、それから収録をして。21時半頃、エフエムを出ました。
桜山界隈で飲んでみたい、という知人を案内するべく、まずは「白乾児(パイカル)」へ。餃子&麺類を頬張り、 ‘飲む’ というよりは、完全に ‘食べる’ 、で。満腹に。
さぁでは、桜山ですから。飲みましょー!と、「鳥正」の暖簾をくぐる。ここから、エフエム岩手・Sディレクター&殿下(通称)も、合流。一足早い、ちえぞうチーム。あんなに食べたのに、さらに焼鳥を頼む、頼む…
こうして、食べメインだったのも、良かったと言えば、良かった。スタートが遅かったのも、良かったと言えば、良かった。
おまけに、エフエム岩手の社員の人間がいる場だったというのも、良かったと言えば、良かった。
鳥正のテレビからあの嫌な音、緊急地震速報が流れてきて。あっ、という間にケータイがけたたましい音を出し。それと同時に、揺れが始まった。
最初は、コップ押さえたりしてお店の中で、揺れを感じていたけれど、徐々に徐々に。「これは違う」…
そしてパッ、と、灯りが一瞬にして消えました。真っ暗。外に出ても、当たり前だけど、真っ暗。
桜山エリアからエフエムまでは歩いて3分ほど、目と鼻の距離。ダッシュで、エフエム岩手に向かった。たぶんまだ、揺れてたんだと思うけど、分かんない。とにかく、走った。
あとはマイクに向かった。エフエムに着いたら、津波注意報が出ていて、とにかく、とにかく。津波注意報のことを喋った。
幸い、津波の被害はなし。注意報も解除になり、夜の2時くらいまで放送を続け、その日の地震についてはいったん、エフエム岩手からの放送は終了。
さぞかし、さぞかし恐怖だっただろう。皆さん。でも私も、本当に、同じだった。
あと、ここは笑ってほしいんだけど。放送の声、なんか違った、って。よく言われる。非常事態の放送だということを差し引いても。
桜山にいた=飲んでいた。アルコール摂取はしていた、確かに。しかし、それが理由ではないのである。
エフエムまで猛ダッシュして(暗くて、いくら近い距離でも怖かった。Sディレクターと離れたくなくて、走るの、必死)、もう1つの難関が。エレベーターが止まっていたことだ。停電でね。
エフエム岩手は7Fにある。この階段ダッシュが、また、まーた。キツかった…
着いた時には、ぜぇはぁ、ぜぇはぁ、な、訳ですよ。でも、津波注意報、これは即、伝えなくては…
そんな感じの夜でした。
しかしエフエムには、続々とパーソナリティたちが集まってきてた。アナウンサー含め、私も入れて、喋り手だけで6人、いた。みんなが手分けして、情報収集。私は、それを伝えていたにすぎない。みんながいて、放送ができている。というのも、分かってほしい。
2時すぎにエフエムを出る時も停電は続いていて、真っ暗な盛岡。山本大一さんと、懐中電灯で照らしながら、歩いた。懐中電灯照らしながらじゃないと、街中を歩けないなんて。とにかく、怖かった(3月11日の地震の時も停電していたが、私はエフエムに泊まり込みで放送していたため、停電の間に夜、出歩いていない)。
私の実家は盛岡から南へ、車で1時間半くらいかな、の。奥州市。
公共交通機関を使って帰って来ましたが…
3月11日の地震よりも、ひどいことになってますね、家の中。テレビが仰向けに倒れてました(笑)。
散乱具合が増してます。ひゃー。参りました。

私は明日のこのライブのことしか今は頭にない。片付けなきゃいけないが、もう今日は寝ます。疲れました。

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