釜石へ

3月25日の金曜日。
ずうっと大船渡を中心とした沿岸で、救援活動に勤しむ知人から電話をもらった。
「大船渡もケータイ繋がるようになったよ〜。でさ、今、代わりたい人がいるから」
初めて話すそのお方は、大船渡のレストランのシェフ。
私にこう言った。
「今回は…とても貴重な経験をさせてもらっています。決して悪いことばかりではない、いいこともある。そういうことを、あなたみたいな仕事の人には、感じてもらいたい。伝えてもらいたい。」
電話を切って、じーんとしてしまった。ちょうどその時ね、‘定例会’メンバーと桜山にて飲んでた時でね。
その話したら、涙するセンパイ。
なんだか、なぁ。
こんな会話が後押し、と言っていいのか。
釜石出身のベーシスト・KUUBOさんが東京から釜石に入られてて、KUUBOさんのお迎え+釜石に足りない物を持っていく、ということで。
3月30日の水曜日。釜石に行ってきました。

KUUBOさんの案内の元、岩手県立大学の学生の運転で。鵜住居(うのすまい)という、海沿いの街へ。
この北日本銀行の支店。時計を写したかった(iPhoneの限界。建物右下のほう)。完全に傾いた時計は、3時23分頃をさして、止まっている。
津波の第二波・大きな津波がやってきたのは地震発生のおおよそ30分後と言われている。まさに、この時計が示していることになる。
釜石の街中。のんべえ横丁。港。昨年10月にお邪魔した風景は、何もかも、変わっていた。
また、今年の夏前にはのんべえ横丁に来る、って。おかみさんに約束したのに。
がれきの合間から顔を出す、子どもの落書き帳。クレヨンで花が描かれてた。梅酒をつけたビンが半分くらい、中味を残して転がってる。家で飲んでいたのだろう。平成23年・ウサギの年賀状。裏には子どもの写真。勉強した後が見える参考書、卒業アルバムの一部分。写真入りで作ったカレンダー…
こうした、生活が見えるものが。至る所に、ある。これを見るのが、何より、辛かった。よくも普通の生活を、こうも簡単に奪ってくれたものだ。
昨年10月に、釜石レゲエバッシュというイベントがあって。
その時にお世話になった方々にも会ってきた!

「家、流されてな〜んにもねぇけどさぁ、そんなわけで借りたCDとかも流されてないんだけども〜。まっ。これは地球のせいにできるだろ、わはは」
「大金稼ぐつもりもねぇし、ちょっと働いて、夜は飲めれば。ここさいる。いてぇーし、なぁ」
どんな状況になっても。釜石が好きなのだ。みんな。
私たちの前で、心配させまいという要因を差し引いたとしても、とにかく、明るく元気だった。我々が会った面々というのは。
だって見てよ、この笑顔。
釜石にいる間、そして、道中。
決して泣くことは、ありませんでした。

家々がすっかりこんな状況の集落で見かけた。この状況で、ぽつん、と。佇んでた。
きっと福は、もたらされる。きっと笑顔は、やってくる。みんなに。そんな気がした。

This entry was posted in 未分類. Bookmark the permalink.

Comments are closed.