へんしゅーこーき〜リュウタくん〜

 

昨晩遅くに、「ちえちゃんねる」3回目をアップしました!

ちえちゃんねる…これを始める、大きな大きな、きっかけになったのは。8月に東京で、岩手の大船渡・陸前高田・釜石の副市長をお迎えして行ったトークイベント。その時に感じたこと、なんです。

震災の「風化」に対するにはどうしたらいいか。これから「情報発信」はどうしていくべきか。

この2つ。ワタシなりの答えと、ワタシなりにできること、を。模索しながら、で、いいから、やってみるべきだ、と。この時の確たる気持ちが「ちえちゃんねる」に至ります。

でも、そもそも、は。「東北ライブハウス大作戦」大ボス(笑)の、西片さんにお目にかかったことからはじまります。今はいろんな手段がある、できることをやってみろ…というような、感じのことを、ワタシなりの解釈で簡単に、は。西片さんに、そんなようなことを、言われたんです。

考えてもぼんやりと、どうしたらいいんだろう?って、堂々巡ってました。西片さんは、この作戦を知ってる方にはご存知 or 想像のつく通り、行動の方、ですから。まず、やってみる!動く!って、方ですから。

「ちえちゃんねる」3回目にお話を聞いたのは、岩手在住のシンガーソングライター・佐々木龍大くん。リュウタくんが、このインタビューの中で喋ってるけど、「だれも、ひとりじゃない」んです。そうだよなぁ…もし、やってみて失敗したら、西片さんに泣きつけばいいや、と。リュウタくんに話を聞きながら思いました(笑)。ダメでした、うまくいきませんでした、って。

そうだ。ワタシも、ひとりで行動してるけど、きっと、ひとりじゃない☆

そのために、行動に移る前。悩んで苦しんだ時期があるんだなぁ、と。きっと、そうだと思う、ように、する☆

 

ちょっと、リュウタくんとのことを。

 

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震災から1年を迎える前、今年の早々。岩手の沿岸部を、FM岩手・Sディレクターの運転で、3人で、廻った。

ここが、山田町の、まさに。リュウタくんの実家があった、場所。距離にして海から…どれくらいかなぁ。300〜500メートルくらい離れたところ、かなぁ?

震災後、分かったこと。偶然にも、リュウタくんと、Sディレクターの実家が至近距離だったこと。ということで、ワタシがおととし。「宮古サーモンハーフマラソン」初チャレンジの時、前日に泊めさせてもらって、海で釣ってきたばかりのお刺身をいただきながら、Sディレクターのパパと岩手の偉人&政治談義をしたお宅は、やはり、跡形もない(皆さま、お元気ではあります)。

余談ですが、Sディレクター&ちえぞう、さらに、今年は、リュウタくんも!

宮古路、走りまっせ(宮古サーモンハーフマラソン;2012年11月11日開催)♪

 

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リュウタくんのお母様が営んでいた、美容室があった。このタイルの感じから分かってもらえるでしょう。

で。リュウタくんのインタビュー。本来の編集であれば、考えてる間(ま)を切ったり、して。もっともっと、喋っている言葉を生かすのですが。

今回は、それを一切と言っていいほど、やめました。「このまんま、が、自分」という…ありのままを、ありのままに、生きて行く。そういう気持ちが、インタビューでも滲み出ていたから。そうか、と。途中まで進んでいた編集素材をバッサリ捨てて、大きくブロックで分ける編集の仕方にシフトしました。

こんな手のウチは書かなくてもいいことなんですが、リュウタくんの、人、が。それによって、ホントに飾ってない、リアルな人間像が、見えてくれたらいいな、と、思って☆

あと、泣く泣くカットしたこの言葉を、ここで伝えます。

『「Bon Voyage」という曲が…おまじない、というか…みんなにとって、薬のようになれば、と、思ってる…』

沈静でもない、緩和でもない、ただ、あったかい、という、だけでもない。この曲の魅力が、ワタシはこの言葉でも、表されてる、と、思うのです☆

 

さーて!次のちえちゃんねる!初の「居酒屋チャンネル」予定…飲みながらある方に聞いたお話、アップは2週間後!

(とゆーことで、2週間に一度くらいのペースでアップ予定ですーん♪)

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