ケセンあるある〜and NEXT翌日〜

朝陽がまぶしくて起きましたわよ!2日間の日程終了後の朝!

カーテン開けたらいいお天気とともに。飛び込んで来る会場。

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ケセンロックフェスの後もたいていそうなんですよねー。満天の星空になるとか、翌日はすっかり夏の晴れ間になる!とか。今回の大船渡もご多分に漏れず。とにかく「寒い」2日間で貼るカイロとポケットに入れるカイロの2個が手放せませんでした。雨がひどく降らなかっただけ良かったかもとは思いますが、こたえる寒さでしたね(厳)。BRAHMANのトシロウ神も「ツアー入る直前にこんな寒いとこでライブさせやがって」的MCをしておりましたが(言葉尻でまんま受け取らないでくださいね、愛あるMCなんで)、でも。今、このタイミングが。野外である程度、大きな場所も確保できるギリギリのタイミングだったんだろうな、とも思います。

大船渡の街ナカに新しく生まれる商業施設・キャッセン大船渡。工事はまさに今、急ピッチ。朝からダンプカーがびゅんびゅん走る街を目の当たりにした、イベント終わりの月曜日。

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翌日の朝にはほぼ、イベントの跡形はありませんでした。実際に見ていて、撤収はもんのすごく早かったです。でも、そんな様子を見ながら、「はい、次、行かなくちゃ!」って気になって、むしろ良いのかも、とも思った。いつまでも余韻に浸ってる場合じゃない、次、これからずーっと続いていく、これからが、誰にでもあるのだから(^^)

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キャッセン大船渡、全体の本オープンは4月29日です。そこから、入居する店舗おのおのが日にちが前後せよオープンしていくわけで。飲食もいろんな個性的なお店が入るし、買い物はもちろんのこと、そうです!この中に!

ライブハウスができます。『KESEN ROCK FREAKS』と名前を新たに、また、スタートしていきます(^^)

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かさ上げされているイメージがこの写真から伝わりますでしょうか。積まれている黒い土のう袋はワタシの胸の位置くらいです(1メートルちょっとくらいかな)。

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写真だと伝わらないですね、残念です。でも、左側の道路に車が走ってますが、その道路ももともとのところからだいぶ高さがあるんです。

ここには何かできるのかしら。どうなっていくのかな。

しかしながら地元の方ですら、こうしてかさ上げが進んでいくことで「ここに何があったっけ?」と思ってしまう。つまりかさ上げは、昔のいろんな記憶も奪ってしまうことでもあって。

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そんなわけで、ちょっと大船渡市内を歩いてぶらっとしていたら。「きのうイベント行きました〜」「司会してた方ですね!」と本当に声をかけていただいて、とっても嬉しかったです☆

(いつもだったら自撮りするんですけどね。この時、本当にいろんな思いが去来していて、なんかできなかったのが悔やまれます。でもこれからも、音の鳴る場所でお会いできるでしょう♪)

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ここがライブハウスの仮設店舗として営業していた場所。「ゆめ商店街」という仮設店舗。ほとんどのお店がキャッセン大船渡へと引っ越して営業を続けます。

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ライブハウスがあったところの窓に貼られてた。なんだか泣けてきた。

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ゆめ商店街近くのローソンでコーヒータイム。店員のオバさんたちとタバコ買いに来た人が会計終わっても談笑してたり、なんかほっこり。スピッツのサインがあったよ(他アーティストのサインも)☆

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大船渡のラジオ局・FMねまらいんにお邪魔してまたまたコーヒーをゴチになる。放送局長の及川さん(マスク姿/笑)、真ん中はHy’s Cafeを営む、ひろみさん。ひろみさんのお店もキャッセン大船渡に移って営業を続ける。and NEXTにも出店して牡蠣のクラムチャウダーが早々に完売してたっけ(食べたかったのにー!ってここで、ひろみさんに直接言った!笑)。

なんだかね、本当に本当に、うれしい。こうして日々、どんな場所にいようとも、それぞれが、生きて生活をしている。簡単にはヘタってられない、くたばれない。よし!と思う(^^)

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TILITILIという大船渡&陸前高田のメンバー、3人組のバンドがいます。そのギターボーカル・ヤスくんに車で陸前高田を案内してもらいました。

今もなお残る、震災と津波のつめあと。陸前高田にはそんな遺構が3つあり、残す方向なのだそうです。でも果たして、3つも残す必要はあるのか?これは立場が違うと考え方もまるで変わり、地元の方はこの土地で生活して、毎日、目にしていかなくてはいけないのか?でも、「こういうことがあったのだ」と対外的に見せるためには残しておいたほうが良い…答えはない問題だと思うのだけど、ワタシは、3つは残さなくても良いのではないかと。1つだけでも十分伝わるもの、その恐ろしさ。この場所に生きるのは地元の方たちなのだ。地元の方の気持ちをちゃんと吸い上げているのだろうか。

この土地に住むヤスくんが教えてくれた。「震災の津波の恐ろしさを伝えるなら、遺構を残すことじゃないよ。こういうやり方だってあるじゃない(←リンク見てください)」。

ちなみにこちら、高田松原の道の駅をもう少し接写すると。

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このあと、ヤスくんのお母さまのお宅にお邪魔して、お茶っこ飲んできました。お手製の漬物が美味で(^^)

いま、仮設住宅を出て新しく住居に移る方が出てきていますが、移ったら移ったで問題が出てきているのを聞きました。リアルな現実。やはり、慣れ親しんだ場所から移る、これまでの広い家とは違うストレス(岩手もそうだけど、田舎は家と家との距離が空いてるからね)。

ヤスくんのお母様は、津波で陸前高田の海・高田松原(その一本だけが残って有名になりましたが)が、あんなに長い松の並木道のようになっているところが、大きな大きな波にのまれていくところを高台から目にされたそうです。

「だめ、だめ。2年は海、見られなかったね。怖くって」

いまはまた、海を見下ろす自宅へと戻って生活を続けていらっしゃる。東京に行った時も高いビルが倒れてくるのではと落ち着かなかったと言う(高田には高いビルがないものでね)。

地元の新聞・東海新報は今でも。大船渡と陸前高田の行方不明者・死者の数を毎日記載している。「ほら、高田は大船渡に比べて、(死者・行方不明の)数が多くってね」。

何が解決なのか、何がどうなればいいのか。

私になんか何もできる力はない。けれど、知るか知らないか、知ってるか知らないか、だったら。知ることで、知っていたら、何かと何かを結びつけて解決に導くことができるかもしれない。何かと何かを繋げることができるかもしれない。

「また来てね」お母様は笑顔で手を振ってくれた。

また、必ず☆

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【おしらせ】本日(4/13)21:25〜FM岩手でSディレクターが(?)番組をお届けしますが、この中で。陸前高田を案内してくれたヤスくんとのトークをお届けします。聞いでけで♪

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