日常に、かえった。

この1週間、人生で何本かの指に入る目まぐるしさになるだろうと思う。

そんな週の初め、たまたま、会社の人間が1か月のラマダンに入ったとかで(イスラム教徒)、身の回りでそういう人が初めてなもんだから、なんだか今日は今日でビックリしっぱなしでした。日が出てる間から沈むまでは何一つ飲み食いしない。お昼時、お弁当を食べるスペースでも彼はワレワレといっしょにいながら、当然何一つ口にすることもない。

ヒンズー教徒だと日の昇り沈み関係なく、本当に断食するらしいんでそれに比べてもいい、とも言うし、そんでもって「北海道の置き去りの子どもに比べたら、自分の修行なんて大したことない」とか言うし。そんな彼はヨーロッパ出身のムスリム。今日話してて面白かったのは、日本と海外の報道の違いですね。

引き合いに出すのはたまたま前述の北海道の件になりますが、「子どもが見つかった場所で実際にレポーターが同じことをする(身を寄せた場所に寝てみる、とか)なんてニュースでやるのは日本だけでしょう?アメリカやヨーロッパでそんなことしても、ただのコメディショーだよ」と。視聴率を稼ぎたいのは分かるが、ニュースや報道と言うのは淡々と事実を伝えること、なのでは、と。

日本のこのスタイルに見慣れていると何も不思議に思ったこともなかったですが、彼らの意見を聞いて、なるほどな〜なんて思ったりしたわけですよね。

逆に、中東では、例えばですが。イスラミック・ステートがらみで人が殺される時のシーンもそのまんま放送したりするんだそうです(例に出していたのはヨルダン人のパイロットの事件)。3分くらい、その現場(ここにはどういう状況だったか記すのは控えます)の映像をそのままオンエアしていたそうです。「いかなる事実でも知る必要がある」というスタンスのもと、なのだそうですが。

20160606-205637.jpg

名古屋・大須観音に願掛け。日々コレ精進!

This entry was posted in つれづれなるまま。. Bookmark the permalink.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です