Kesen Rock Fes2015〜陸前高田・大船渡

ケセンロック・後夜祭マエ、朝イチでヤスくんの地元に連れてってもらいました。

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ワタシが撮った写真だから伝わりにくいわけではない。あの光景は、どんなに素晴らしいかメラマンでも一目で現状が分かるような写真は撮れないだろう。

建設中なのは、大きな堤防。今回の震災での大津波を踏まえて造られているそうです。でも、地元の人にすれば、あの津波だって想定外の大きさだったということは、いくらそれを踏まえて造ったとしても、どうなんだろうか…もっと造成したり、違う町づくりというのを考えたほうが良いのではないか。海のそばで暮らす、という決意のようなものが地元の人にはあるわけだから、果たしてこういう大きな堤防を造ることが町づくりなのだろうか。

実際、その場所に行くことで考えたり想像できたり思いを巡らすことができることってあるんだなぁと思う。

住んでも地元でもないワタシが言うのは何だけど、でも、話を聞くことはできる。考えることはできる。

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山の下にたなびく霧なのかモヤなのか、雲なのか。なんとも幻想的な陸前高田の海の景色でした。

一人で海沿いもぶらっとしたのですが、カッカッカッ、リズミカルで快活な音が聞こえくるなぁ、と。覗いてみたら、牡蠣を剥くオバちゃんたちでした。震災前と変わらないことなのでしょう。

そんな海沿いに、激しく燃えた建物。なんだ!?と思ったら、最近ようやく再生したにも関わらず、工場の化学物質がこの夏の暑さで反応したらしく、火が出てしまったんだ、と。こんなことあるんだろうか、せつなくなってしまいました。

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こちら、大船渡のかさ上げの様子を撮りたかったと思うのですが。確か大船渡はかさ上げ(盛り土/震災によって沈下した地盤を上げるのと、津波に備える意味もあるのかと思う)が4〜5メートルと聞いています(場所によって違いもあるでしょう)。これ、間近で見ると圧倒される、これを整備するにはいったい何年、どれくらいの期間がかかるんだろう、と。また、陸前高田はさらに高くて、10メートル以上の高さにするそうです。

津波で流されてしまった海沿いは、いま、何もないただっ広い土地にこうしてブルドーザーがいて、ひたすら土地の高さを増す工事が続いています。

そして、陸前高田に関しては、津波を完全にかぶってしまった、見た目は廃墟のような学校(津波が来る前に生徒さんは避難したそうで、そういう被害はなかったそうです)を残す方向で話が進んでいて、でも、これを一生、目にしながらこの場所で生活していかなくてはいけないのもどうなんだろう、とヤスくんが話すのを聞いて、そうだよなぁ、とも思うのです。

ちょうど、ヤスくんたちがインターネットでラジオ番組を放送していて、震災のことや、地元のことを毎週、赤裸裸に話しています。「中高年に人気」とヤスくんが言うのも、聞いてみて分かった(笑)。やや身内よりで分からない話も多いと思う(爆)ので、聞き流し的に、いちどアクセスしてみてください☆

*「舘の沖.com」ホームページ⇨コチラ

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