今度の日曜(30日)、FM岩手で『おんがくのちから(仮)』オンエアです。ぜひページへアクセス!
今回はロングインタビューの編集に四苦八苦しています…
思うことはたびたびあるけど、今回ほど、本当に編集なしで時間が許す限りすべて聞いてほしいと思うインタビューは、なかった。いしがきミュージックフェスティバルに関して、ワタシから話すことなんかもうこれ以上ない、ってくらいゲスト様がしゃべってくれている。
こんなにアーティストにも愛されている、地方の一フェスなんて他にあるのかな。
いつまで震災の話してんの?とか言われそうだけど、やっぱり切っても切り離せない。あの時があったからこそ今があったり、今を見つけようとしている人がいっぱいいる。
「希望にならなくちゃ、いけないんだよね」
たとえアーティストがそう思っても、そのアーティストが立てる場がなくちゃいけない。そしてアーティストがステージに立つことができて、ワタシたちはその希望の光を感じることができる。そしてまた一歩、すすむ。
震災後は確かに日常ではなくなったのはあるけど、クラブチェンジチームに連絡を取ることもしなかったなぁ、というのは理由があって、震災の翌日にチェンジのしゅんやくんとバッタリ会って、「みんな元気です!」「うち(=チェンジ)はガスコンロもつかえます!」的やりとりをしたので、頭の中にはなかったんだよね。目の前に向かうべき放送すべきこともいっぱいあったし、連絡が取れない人もいたし、そもそもワタシは家に帰れないし、なんかてんやわんやでした。
震災から2週間くらい経って、チェンジにようやく寄った時、みんな普通にいました。「これじゃウチ、つぶれるんで地元のヤツらに、ライブやれ!って言ってます」って笑いながら、まーくんと話したことは覚えてる。確かにBRAHMANが震災から約1か月後、4月10日に来たけれど、実際はその前から地元バンドがステージに立ったり、なんてことはしてたんじゃないかな、たぶん。
そんなことを経て、日常を取り戻して行って、現実と時の流れに迎合して、今を生きているけれど。
あの時、あの当時、知らなかったこと。それはワタシはそんな話をしてこなかったのもあるけど、決してクラブチェンジとしても言いたいことではないのかもしれない。
けど。
今回のゲスト様は、あの当時のいろいろと知らないことを教えてくれた。知ったからどうにもなることではないけど、クラブチェンジは、やっぱりすごいライブハウスですごい会社だなぁ、って思ったよ。敵も多くいるかもしれないけどさ、逆に、どんな状況でも身を乗り出して助けてくれる人たちもいっぱいいる会社だなぁ、って思ったよ。
それは、クラブチェンジという組織、そしてそこに属している人たちが、ちゃんと「動いて」いるから。
その姿をクラブチェンジが見せ続けている限り、私はワタシなりに、できることを自分の足で動いて、やっていこうと改めて思うのであります☆