Magic☆

ちょっとさかのぼりまして、今月5〜6日と。宇都宮に行ってきました☆

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Hawaiian6のライブがあってさっ!

8月にリリースしたアルバムはまわりがみんな大絶賛。やっぱりこの感じがハワイアンだな~、って誰かが言ってた。ワタシは昔のハワイアンを知らない。それこそ、盛岡・いしがきミュージックフェスティバルに出演することがなければ、通らなかった系の音だと思うし。

「街が人を作るんじゃない 人が街を作るんだ」

ある年のいしがき~、で。ハワイアン・ハタノさんはそう言ったね。大好きな言葉。本当は、この通りなはずなんだ。そして、いしがき~が行われている盛岡は、少しずつでも。ちょっとかもしれないけど。確実に、‘人が街を作っている’街だ、って、言える。

熱いモッシュダイブなライブの中で、さりげなく。ハタノさんはそういうことをしゃべる。この日の宇都宮は…どうだったかな(笑)?って、忘れちゃわないようにちゃんとブログを書かなくちゃ!なのに!もぉー…

ただ、いくつになっても、年齢なんか関係なく、この日このライブばかりははっちゃけてくれよ!みたいなことは、言っていたような記憶がうっすらと。オレたち、こんなおっさんに、負けんなー!って!ハタノさんが言うと、なんであんなに「ウォー!」って、ステージ向かってかかっていきたく(笑)なるんだろ?

やっぱりRainbow,Rainbowは鉄板。みんな笑顔でサークル。見てて自然と自分の口角が上がってるのが分かった。そういえば昨日?SEKAI NO OWARI(セカオワ)がハワイアンのカバー曲をリリースするとかでツイッター上ではだいぶ盛り上がってたけど、セカオワはい~いところついてるよね、何気に!日本のいろんな音楽を「これだ!」って思ったものは聞いてきた人たちなんだろうな、って思う。前にも横山健さんのギターをとにかく真似してた的な発言をしていたし。意外だったけど、そういう広いルーツから今のセカオワの音ができてるんだとしたら面白いな、とっても。

アンコールは決めない。今回のツアーは、お客さんの熱のようなものが感じられたらステージ上がる!と決めていたそう。そうして起こったアンコール、お客さんも完全燃焼で終了!

…かと思いきや…

宇都宮ってこんなに熱い場所だったっけ!?お客さんの拍手、2回目のアンコールを待つ拍手のこの上なく力がこもっていること、ったら!!!真剣にアンコールを熱望してるのが、拍手を通して伝わる。うー感動しちゃう!正味5分近く、鳴り止まない拍手。ステージも撤収、という雰囲気。うわー全然とまんない、この拍手!時間はも夜9時半回ってたんじゃないかな?

そしたら…

出てきたよ!メンバーが!!!

待ち望んだ本当の意味での『アンコール』があって、そのアンコールに応えるライブというのをしかと見せてもらった夜でありました!最高でした☆

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宇都宮がワタシのスタート地点で良かった。こうして宇都宮に行くとつくづく思う。あの時はまったくそうは思ってなかったし「なんでこんなにうまくいかないのか」と自分自身にがっかりしてたり、理想と現実は違うなぁ、なんて、よーく、しょぼんとしてましたけどね。宇都宮でのいろいろなことが、今のワタシの基礎を作っているのは間違いないんだなぁ、と、改めて。Heaven’s Rock(旧・宇都宮vogue)との出会いがなければ、今でもこうしてライブハウスに出入りしたりする人間にはならなかったんではないでしょうか。

ということで、ひっさびさ!ヘブンズロック店長・サエッキーと飲酒♪

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最終的にはあんな方こんな方、入り混じって久しぶりに飲みました!ハワイアンチームが翌日の盛岡ワンマンに備えて夜走り移動してしまったのは残念でしたが、こうして珍しい面々とご一緒できたので、とっても良き夜と相成りました(^^)

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そんで翌日。宇都宮の『みなとすし』にお邪魔です。みんなでパチ☆

「なんだ!?どうしたんだ!?入りなさい!」

そうして、ガラス張りの立派なお店に招き入れられた。今でも鮮明に覚えています。ラジオでのおしゃべり、自分が思い描いていたことが全くできなくって、ディレクターさんにも呆れられて、なんだかふがいなくて、涙が止まらなくて泣きながら歩いて帰った日のことです。

食べ物までは覚えていないけれど、食事をして、ちょっと飲んで帰ったように思います。うまく行かないのが当たり前、堂々とやんなさい、って。教えてくれた、宇都宮のお父さんとお母さん。

そのお父さんがこの春、他界しました。

急な報せすぎて、今でもピンと来ていません。

岩手で仕事を始めてからは、毎冬、ワタシの地元産りんごを送っていました。確かに体調は思わしくなくて通院しつつ、ではあったけれど、寿司を握り続けたお父さん。60代でいなくなるのは、早すぎる。ワタシはこのお店であの時、声をかけてもらうことがなければ、ラジオの世界からフェードアウトしていたかもしれないのに。

なんか本当に急すぎて、涙も出ないんですよね。こんなものなのかなぁ。

今でもこうして綴りながら、「チエ~!元気にやってるか!元気ならそれでいい!」って。言われそうな気がしてならない。というか、今、耳元で聞こえるわ、お父さんの声が。

氷見ってところはぶりが有名なんだ、って。ぶりしゃぶを人生初体験したのもここだった。ふっくらした穴子の握り、これ以上美味しいお店は日本に絶対ない。「チエが食べてるウニはたぶん本当のウニじゃないぞ」って教えてくれた本当のウニの味(あの頃は岩手出身でも沿岸部に行くこともなかったから本当に知らなかった)。身体を作るのは、食べるもの。お父さんとこで食べたいろんなものは、内側から本当にワタシを元気にしてくれた。職人気質な生き方だったんだろうな、今思うと。築地から取り寄せたものしか並ばない海のもの。海なし県の栃木で。そして、写真に写るお母さんに初めて聞いたよ。15で修業をはじめてわずかハタチそこそこで、ここにお店を構えたこと。てことはもう何十年?ここにこうして立派な、お店を築いてきたこと。

すごいなぁ。

「お父さんがさ、いなくなって急に老けた、とか言われたくないじゃない!キリっとしなくちゃ!」…そういうお母さんはこの日も口紅をきゅっと綺麗にし、いつも通りの着物姿で迎えてくれた。お父さんがいない以外は、前と何も変わらなかった。お母さんが作ってくれたお惣菜をいただきながら、日本酒をいただいて電車の時間ギリギリまでいてしまった。

一見、たしかに敷居が高いお店に見えるけれど、決してそんなことはないので(ワタシが行くくらいだもの!)。
お母さんがつくるおばんざい、是非。食べに行ってほしいです。そして『日本女性はこうあるべき』という、凛としたたたずまいのお母さんに是非、会ってみてください☆

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