一瞬にして大学時代にタイムスリーップ!
話がトントコ拍子に進んでのこの会合!
ワタシは学生時代、テレビ局でアルバイトをしていました。「ズームイン!!朝!」という番組です。今はサタデーは残っていますが、土曜版はそれこそワタシが学生時代に誕生した番組でした。
なっつかしい。
早朝、学生バイトでもタクシーのお迎えがあって日本テレビに行って、9時すぎに終わって授業に駆け込んで、学校でひたすら寝て、夕方から百貨店(レゴブロック)のバイトに行って。そんな日もあったなー、とか思い出す。レゴのバイトはバイトなのに「この売場面積はこれくらいだからそれに対していくら売れるか、予測と結果を分析して、考えてやってみろ」的に鍛えられ、いろんなことさせてもらったと思う。接客だけじゃなくって、ポップ書いたり、陳列変えしたり、子どもさんと遊んだり。この時よく遊んでた一人がOKAMOTO’Sのハマ・オカモトさんですね。笑。自分で考えてやったことは売上にもちゃんと出たし、だから新宿に高島屋がオープンするときに異動って言われて、認めてもらえたんだなぁって嬉しかったし、そうやって売ってきたことを就職活動で喋れたから、エイベックスに採用になったんだなぁって思うし。ラジオ局には引っかからなくっても。最終試験で落ち続けた時には泣いた。それから数年後、FM802のDJオーディション。これまた最終で落ちた時は、あんなに泣き続けたことはないってくらい泣いた。1週間くらい泣いたかも。笑。母が送ってきてくれた手紙を大切に今も取っている。そしてそれから約半年後のZIP-FMのオーディションが、今に至るわけだけど。
いろんなことって、やっぱりつながっているし、つながるし。つなげられるんだと思うし。
でも、つながる、って。簡単には言うけれど、不思議なもんだなぁって思うし。
自分が望んでもつながらないときはあるし、でも振り返って「あれは伏線だったのかなぁ」とか思うときはあるし。
ズームインでは、あの当時のキャスターだったトメさん(福留功男アナウンサー)が読む原稿を書くアシスタントもさせていただきました。ワタシに書くことは向いていないな、とか思いながらも、自分がラジオの世界に進んで、期せずニュースも読むことになって(地方局は特にね)、その時にここで学んだことが生きるとは思ってもみなかった。ニュース原稿の推敲&下読みがとても速くできる。「書き言葉ではなく、読み言葉で書け!」を徹底的にトメさんがしぼってくれた。もしも書き言葉なら、それをすっと読み言葉に変えていた姿も目の当たりにしてきた。そのおかげだなぁ、と思う。
なんだかいろんな思いが、しばらく去来していました。いや、今もまだそうかもしれません。
学生時代の学生バイトに加えて、あの当時のスタッフさんも来てくれて。それなりに偉くなってる(笑)とかでおいしいもの、みんなでゴチになっちゃった。いい歳して!
しかしあのタイミングでの飲み会ってのもホントに…つながってるとしか思えない。
「今週末、ズムサタ(=ズームイン!!サタデー)が1000回記念なんだよ。スタジオ来れば?」
そりゃ行くっしょ!!!
ズーミン、サタボー、チャーミンと☆
ワタクシの隣・山本先生。それこそ「大」先生。震災後、すぐに岩手にいらしてくださったのも山本先生だ。テレビが全盛だった頃の癖が抜けないんだろうな、と思う。いくつになっても「現場第一」という姿。
そしてそれは、少なくともワタシが知ってるズームのスタッフの方々に共通するイズムかもなぁ、とも思った。久しぶりにいろんなお話をして、やっぱりどうしても東日本大震災の話になるんだけど、決して報道はされない、いろんな「ドラマ」を抱えてるなぁ、って思った。だから、このオジちゃんたちがご存命なうちにやっぱりもう一回いっしょにお仕事できる自分じゃなくちゃ!って、思った☆
懐かしいポーズで一枚、撮ってもらいました。この日は1000回記念の放送で本当にいろんな方がいらしててお会いできて嬉しかったなぁ。「オマエ、もっとやせてたよなぁ!やせてたから昔のほうがかわいかったなぁ!」うっさいよ…でもそんな口なのもテレビマン的な感じで、うん、こういう現場にまた来たい!って思った。何をするか何ができるか分からないけど。笑
活気がある。勢いがある。現場は厳しくも、楽しい。やっぱり、こういう放送の現場にいたい(^^)!
朝8時、放送終了。それから…
新橋には24時間開いている居酒屋があるんだって。ここは吉野家の牛丼ができる前から牛皿とか牛丼とかがあって、もうずーっと常連さんがいるお店なんだって。
朝の8時台から飲酒。さすがに最速記録かもなー!笑
さぁ、また日テレに通う日が来るべく!だって仕事終わりでこんなに「飲むか!」みたいな雰囲気がある場所はたまんないもんね~(そっちの意味かよ!笑)!
よっしゃ!ガンバッペシ!!!