夏草の揺れる丘

という、THE BACK HORNの曲があります。
今日、何気に聞いていて。あ、こんな歌詞だったんだ、と。はっ、と、した。
「明日は分からぬのに 人は約束をする いつかまた会う日まで 生きる意思なのだろう」
あぁ。
言い得ているなぁ、と。
「またね」なんて、言っても。どうなるかなんて。明日が、分からない。今回の震災で、そう思った。
でも、でも。やっぱり言いたい。「またね」って。その「またね」があるから、うん、それが、あるから!
頑張れるところって、やっぱり、ある。生きていて。
‘生きる意思’かぁ。
いろんなことを総合すると、やっぱし。こうやって、「またね」って、言えること。すっごく、大切なことだ、と。最近、つとに思う。
もしも、もしも、自分がくじけたとしたら、もう、ホントに、ダメだ、って、思ったら。
「またね」って、言った、約束した、人に。連絡だけは、すると思う。したい。
バックホーンは、シンプルに。人っぽいことを歌ってたんだなぁ、って。今日、思った。笑。

たまたま。
この、注文していた、東海新報(岩手・大船渡の新聞)が届いたの、今日。
ケセンロック、いい特集ページだなぁ。
ケセンロックの時にね。初めて、バックホーンのボーカル・山田さんとゆっくり話した。
言葉にして、発すること、の、険しさ、を。山田さんは、すっごく、人一倍、持っている方なんじゃないかなぁ、って。話しながら、思った。
実際の歌詞はギターの菅波さんが書いてるのが多いかもしれないけども、二人はリンクしてるような気がする。
こうして、ワタシが思ったことを書いていても、それがそのまま思うように伝わっているかなんて、分からない。
いや、そうじゃない、って。ワタシ自身も予防線を張っているつもりだけど、山田さんは、ワタシなんか以上に、はるかに。
言葉を発することで、の。自分への負を負いながら、抱えながら。ということを、考えながら、歌ってる方なんじゃないかな、って。思った。
言葉への責任を持っている、というと、軽い表現になってしまうけれども。
話題変えて!
土曜の、副市長のお三方とのディスカッションのあった、イベントのことに。話を戻して!
会場にいる方に言われたんです。
おん歳、90近いお母様を、海に連れていかれてしまった方、の、この話。
「3.11の前(3月9日)に、大きい地震があって、やっぱり、津波注意報が出て。母にメールしたら、90になる母だけど、絵文字なんかも使って‘心配ござらん’と、メールをよこした。そして、その通り、無事だった、その日は。でも、3月11日は…返信が、ないまま、ね」
絵文字とか添付とか、そんな機能も使いこなせるお母様だったそうだ。
9日の地震と津波が。悔しい。これを予兆と思う人は少なかっただろう。「あぁ、これ、ひっさびさに津波も来たね(数十センチ程度)、そこそこ大きく揺れたね」と思って。
3月11日の揺れと大津波警報に関しては「あら、そう」なんて。言うならば、軽くとらえた人が、多かったんではないか。
悔しい。
この悔しさに関しては、私も。思い出しては、どうしても涙が出てしまうことがある。こうやって、何かを抱えながら、人は生きるのかもしれない。
私がもっとこうしていたら、こんな放送ができていたら。これが消えることは、一生、ないと思う。それぐらい、今でも、夢を見たり、起きてからぼんやりしたり、あぁ、と。ちょっと、ふさぎ込んだりする。
こういう思いをしている限り、次に何かができると思わなかった。
でも、それは違うような気がしてきた。
この思いを一生、抱えながら。一生この思いとつき合いながら、できること、って。あるのかも?
まわりくどくなったけど、ちえぞう。
今日。バックホーン聞いて、巡らせて。
ひとっつ、思ったこと。
この思いを一生持って行く。と、決める。
で、歩く!歩いてくっ!!
それでいいのかもしれない、って☆
そんな、これぐらい、が。なかなか、できないんです。うん。これぐらい、と思うような気持ちの持ちよう、が、まだ、まだ。持てないんです。ようやく、なんです。

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