果たして 今 自分がしていることは 正しいことなんだろうか。

石井光太さんの著「遺体」を読みました。
2011年3月11日午後2時46分以降、岩手の沿岸部・釜石では、どんな状況だったのか。
地元の人、お医者さん、消防団員、葬儀屋さん、などなど。いろんな方にお話を聞いてまとめあげられた本。
壮絶な光景を、活字で目の当たりにしましたが、不思議と涙は全く流れませんでした。
誤解のないように一言添えるならば、壮絶すぎるから、です。
釜石は、情報がなかなか入ってこない沿岸の街の1つでした。そこで、FM岩手の営業さんが車を走らせる。
震災の起こった翌日、早朝とかに出発してると思う。盛岡からだと2時間半〜3時間はあれば到着する土地。
到着できないという事情だけでないことも他にあったにせよ、営業さんがレポーター代わりに放送で現状を伝えてくれたのは、その日の夜だったような、そんな覚えがあります。
その営業さんは、ワレワレ「おっぱっぴー」なんて(影で)呼んでて、どちらかと言うとノリのいい40代男性ですが。
とてもとても、言葉に詰まる、レポート。営業職の人だからでしょ、という問題ではない。
あぁ。尋常でないことが起こってるんだなぁ。FMではテレビが映っていたので、大きな津波の映像は見ていましたが。
その津波で、街の中が。凄惨なことになっている、と。
実際、街の中が具体的にどうなっていたのか、というのが。この本を読んで、繋がった感じがします、わたしは。
そういう状況を、本を通して目の当たりにできたのもいいんですが、私的には。
「いろんな立場の人が、それぞれ、いろんな立場、で。‘いま、自分がしていることは正しいことなのか’と、思う瞬間がありながら、でも、目の前のことをしていたんだなぁ」というのが、分かったこと。
これが、この本を読んで、いちばん大きかったことでした。
FM岩手には報道部がありません。事件に関する報道や、こういった状況の時、も。どうしても報道は手薄になるのは仕方ないことです。
そこで、FM岩手では、ちょうど、その営業さんがレポートをしてくれたあたりから、でしょうか。「安否不明者への呼びかけ」という放送にシフトチェンジしていきました。
「○○さん、放送を聞いてたら連絡して」「△△は無事です ××さんへ」など…おびただしい数のファックスと電話がきました(のちにyahooメールのアカウントを作成し、そちらへも)。読んでも読んでも終わりなんか全く見えなかった。
でも。
こういったメッセージももらったんです。
「あなたたちのやっていることは、エゴだ!あんな状況じゃあ、連絡したいと思ったって、とれるわけがないのに!」
連絡しようにもできない、そんな状況が、分かっていても。それを続けたのは。これはあくまで、私自身が思っていることですが。
もし今避難所にいたり、孤立していたり、着のみ着のままの状態だとしても。あなたは、1人じゃない。とにかく、あなたは、1人じゃない。今はラジオを通してだけど、あなたのことを思ってる人がいる。それを分かってほしい、それがとにかく、まずは。伝わってほしい。
ただただ、そんな思いでした。ラジオは、1人1人に、寄り添うメディア、でしょう。
と、思いながら、も。ふっと、思う時があるんです。あったんです。
今、こういう放送をしているのは、正しいんだろうか。と。

いま、なにか。書けることは、やっぱし書いていこう、と思う。ことごとく、写真は残っていないけれど。
先月3月9日のFM岩手の特別番組「みんなのラジオ」は、釜石からの放送でした。「遺体」という本の舞台でもあります、奇しくも。
1年が経つ放送にしても、これで、こういった内容で良かったのだろうか。いつもの放送以上に、ヘンな迷いが時に訪れるのは。仕方ないんでしょうね。
番組をご一緒させていただいた、FM岩手・加藤アナウンサー(左)、そしてゲストとしてお迎えしたノリシゲさん&RIAさんとパチ☆
ノリシゲ&RIA夫婦は、震災あと。ノリシゲさんのふるさと・大槌に、東京から移り住んで暮らしている。
そんな話はしていないしこれは想像だけど、きっと、きっと。ノリシゲさんもRIAさんも、はたまた、加藤さん、も。
「今、自分がしていることは、正しいことなんだろうか」…そんなふうに思いながら目の前のことをひたすらやってきた、そして、やってきている、そんな時が。
きっと、あるんじゃないか、と、思う。

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