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2011.3.11 あの日 あの時〜FM岩手③

 

 

2013年3月、FM岩手のスタッフに対して行ったインタビューの第三回目です。
今回および最終回となる第四回でお話を伺うのは、FM岩手営業部・三嶋さんとフリーパーソナリティ・山本大一さんです。
山本さんは、わたし以外の喋り手を代表して。三嶋さんは放送ではない部署の所属であるのもさることながら、もう一つ理由があります(第四回で明らかになります)。

今回は主に山本さんのお話がメインになります。
わたしは盛岡市在住ではなかったため家に帰ることもできず発災直後はFM岩手の会議室などで仮眠をとる日が数日ありました。ですので放送を基本的に耳にしていた(仮眠中はともかく)つもりでしたが、山本さんのお話には気づかなかったことや忘れていることなのか、“発することに対しての山本さんの葛藤“が胸に迫ります。

放送する側も必死さの中で、色々な思いを持って放送していたことを感じてもらえたら良いなと思います。

(Thanks to VERONICA VERONICO、Ayami Matsuo)

2011.3.11 あの日 あの時〜FM岩手②

 

2013年3月、FM岩手のスタッフに対して行ったインタビューの第二回目です。

東日本大震災の時や発災後のこと、ラジオが果たすべきこと、などなど。初回に続きまして、放送部に属する小田島さんと佐々木くんのお話です。

ちょうど先日のニュース番組で、2011年3月11日から数日間の「Yahoo検索ワードランキング」が発表になっていて、連日ベスト5内に入っておりましたのが“ibc 安否情報”でした。ニュース内で具体的に内容に触れられることはなかったですが、これは岩手のAM波・IBC(テレビ兼営局)がラジオを通して行っていた安否の呼びかけ放送のことを指すのでしょうし、なぜこちらがこんなに検索されていたかというのを今回、初めて知りました。→コチラから

インタビューで小田島さんが仰っておりますが、なるほど放送したことをウェブと連動させるという仕組み作りはこの時、IBCでは展開できていたのですね。 震災から10年が経ちますが、今でも気づきがあるものです。

(Thanks to VERONICA VERONICO、Ayami Matsuo)

2011.3.11 あの日 あの時〜FM岩手①

 

このインタビューは2013年3月にFM岩手で行なったものです。 しかしながらこの映像にふれることができないまま、月日が流れました。

そして映像を撮ったことも、もはや忘れていた頃。 岩手県の沿岸部・大船渡市に震災後、完成したライブハウス『FREAKS』・ヒロポンさん(通称)と初めて、震災時の話になりました。

これまで色んな話をしてきたのに、震災の時の出来事をお互いにぽつりぽつりと語ったあの日。2019年末のことです。 時が経ったから語れること、向き合えることもあるのだと感じたのでした。

昨年から少しづつこの映像を見返したり、自分の記憶を思い起こしたりしました。

東日本大震災の発災から10年を数える今年。 自分の記憶を風化させないために、この動画をまとめました。

色々な思いを抱え毎日を生き続ける中、いつもヒロポンさんの側にあった音楽を添えてお届けします。

第一回目&第二回目のインタビューは、FM岩手の放送部・小田島さん(トップ写真)&佐々木くんです。佐々木くんとわたしは東日本大震災が起こったその時、一緒に生放送を担当していたスタッフです。

2014.9.19 千葉智紹さん①〜いしがき2014 予習編〜

「ちえちゃんねる」、2014年度は『身近な音楽人(not アーティスト)』へのインタビューを敢行すべく目論んでいたのですが…

そうこうしているうちに季節は巡り巡り巡って…今年もやってきます!盛岡・いしがきミュージックフェスティバル♪

ここ2年ほど、盛岡のライブハウス・クラブチェンジオーナー(いしがきミュージックフェスティバルを開催するにあたり中心的人物の一人)黒沼氏にインタビュー&配信をしておりましたが、今年はこんな目論みもあったことですし、ちょっと趣向を変えてみます!

いしがきミュージックフェスティバルは盛岡市内、全10会場で行われる無料フェス。その会場の一つで、‘伝説が生まれる’と毎年、評判のGOOD LUCK(芝生)ステージの運営からブッキングまでを担当・音楽イベントSET YOU FREE主宰、千葉智紹さんのインタビューをお届けします。

本来なら、千葉さんのご紹介から入るべきですが、いしがきミュージックフェスティバル直前からの配信ということもあって、まずはこの、いしがき〜のことについてお話ししてる回からスタートしますね。

千葉さんの回は、毎週金曜日に配信していく予定です。回を追うごとに、千葉さんという人物のベールが、‘ほんの少し’剥がれる!?かも(ホント多彩な顔を持つ方なので)!?

*いしがきミュージックフェスティバルHPはコチラ

*SET YOU FREEオフィシャルHPはコチラ

*千葉さんに関するwikipedia(あります!)はコチラ

2014.1.9 ファイナンシャルプランナー・相沢さん④<終>

「ちえちゃんねる」、2013年度は。東日本大震災の時どうしていたか、その後どうだったか。立場や職種が違えばいろんな経験と思いがある。そのお話を、必ず交えて配信していきます☆

 

今年度、7人目のご登場はこのお方。

ファイナンシャル・プランナー(FP) 相沢由佳さん!

 

岩手出身でも在住でもない方ですが、震災後の陸前高田を中心とした支援活動を現在も続けておられます。その「出身でも在住でもない」方から見たお話、というのも個人的に聞いてみたかった。

この回が最終回です。まず、その③に続く形で、相沢さんが支援を続けている活動のひとつ・ふっくら布ぞうりのお話から。アーティストとのコラボレーションで生み(編み)出された布ぞうりのお話には音楽好きが特にニンマリしてしまうこと間違いなし☆

そして。最後のさいご。相沢さんには、こんな質問をしてみました。

「生きていくこと、とは?」

その答え。相沢さんの言葉には、誰しもが考えさせられると思います。いつもよりやや長めですが、是非。最後まで、ご覧ください☆

 

*「ふっくら布ぞうりの会」HP⇨コチラ

2013.12.25 ファイナンシャルプランナー・相沢さん③

「ちえちゃんねる」、2013年度は。東日本大震災の時どうしていたか、その後どうだったか。立場や職種が違えばいろんな経験と思いがある。そのお話を、必ず交えて配信していきます☆

 

今年度、7人目のご登場はこのお方。

ファイナンシャル・プランナー(FP) 相沢由佳さん!

 

岩手出身でも在住でもない方ですが、震災後の陸前高田を中心とした支援活動を現在も続けておられます。その「出身でも在住でもない」方から見たお話、というのも個人的に聞いてみたかった。

今回から「ふっくら布ぞうりの会」という、相沢さんも関わっている復興支援の取り組みをご紹介していきますが、なぜこうした取り組みを行っているのかというと…おっと、ご覧いただけたら分かります☆

 

*ふっくら布ぞうりの会HP⇨コチラ

2013.12.17 ファイナンシャルプランナー・相沢さん②

「ちえちゃんねる」、2013年度は。東日本大震災の時どうしていたか、その後どうだったか。立場や職種が違えばいろんな経験と思いがある。そのお話を、必ず交えて配信していきます☆

 

今年度、7人目のご登場はこのお方。

ファイナンシャル・プランナー(FP) 相沢由佳さん!

 

岩手出身でも在住でもない方ですが、震災後の陸前高田を中心とした支援活動を現在も続けておられます。その「出身でも在住でもない」方から見たお話、というのも個人的に聞いてみたかった。

さらに相沢さんの活動は、もはやFPとしての域を超えておられます。今後の配信で明かされていきますので、是非ご覧ください。民間の人間でも、こんなことができる、ここまでしているんだ、と感じられるお話が出てくると思います…と、1回目の配信のご紹介に書いたのですが。

この、2回目で。あくまで相沢さんのそういった活動の‘一部分’が見えると思います。また、はっきり言ってしまうと、「復興」が進んでいない原因とは何なのか?自ら「官」との繋がりを作り、さらに、岩手・宮城の沿岸部へ足しげく現在も通っている相沢さんだからこそ、言えることを。今回、是非に見て聞いて感じていただきたいと思います☆

2013.12.11 ファイナンシャルプランナー・相沢さん①

 

「ちえちゃんねる」、2013年度は。東日本大震災の時どうしていたか、その後どうだったか。立場や職種が違えばいろんな経験と思いがある。そのお話を、必ず交えて配信していきます☆

 

今年度、7人目のご登場はこのお方。

ファイナンシャル・プランナー(FP) 相沢由佳さん!

 

岩手出身でも在住でもない方ですが、震災後の陸前高田を中心とした支援活動を現在も続けておられます。その「出身でも在住でもない」方から見たお話、というのも個人的に聞いてみたかった。

さらに相沢さんの活動は、もはやFPとしての域を超えておられます。今後の配信で明かされていきますので、是非ご覧ください。民間の人間でも、こんなことができる、ここまでしているんだ、と感じられるお話が出てくると思います☆

まず1回目のこの回は、ファイナンシャル・プランナーとしての相沢さんの顔と、陸前高田の「奇跡の一本松」への思いを聞いています☆

2013.11.11 Heg.(北上市)ダイスケさんに聞く その③<終>

 

「ちえちゃんねる」、2013年度は。東日本大震災の時どうしていたか、その後どうだったか。立場や職種が違えばいろんな経験と思いがある。そのお話を、必ず交えて配信していきます☆

 

今年度、6人目のご登場はこのお方。

岩手県北上市にあるお洋服屋さん・Heg.(ヘグ)、コンノダイスケさん!

 

お店だけでなく、個性を放つ店主・ダイスケさんにご登場いただく、この回が最終話。

東日本大震災の時、このお店も支援物資を集める拠点のひとつになりました。あの時のことをこの回で振り返ってもらいます。

「会いたい人には会いに行かないとね。‘また今度’、って言うのはないから。いつ何があるか分からない世の中だし」

ダイスケさんはそう言っていた。私もそれは強く思わざるを得ない。薄れてはいけないと思う。まだまだ、感じて考えてほしい。何かするという行動も大切なことだけど、自分に置き換えて考えてみる、ということだけでも、私は、全然良いと思う。

今回は、何か。自分に置き換えて考えられる、何かのようなものが。あってくれるお話ではないかな、と思います☆

 

*Heg.ホームページ⇨コチラ

*ダイスケさんのお話に出てくる「放射線被曝から子どもを守る会」について:この会が各地にあるようですので、岩手のページのみリンクを貼ります(上記⇧、検索エンジンに入れると各地のページが出てきます)⇨コチラ

2013.11.4 Heg.(北上市)ダイスケさんに聞く その②

「ちえちゃんねる」、2013年度は。東日本大震災の時どうしていたか、その後どうだったか。立場や職種が違えばいろんな経験と思いがある。そのお話を、必ず交えて配信していきます☆

 

今年度、6人目のご登場はこのお方。

岩手県北上市にあるお洋服屋さん・Heg.(ヘグ)、コンノダイスケさん!

 

お店だけでなく、個性を放つ店主・ダイスケさんにご登場いただく、2回目。
ダイスケさんってどんな人?ダイスケさんがはじめたお店ってどんなところ?そして、お店を続けていく’こだわり’みたいなもの…

その昔、80年代や90年代はこんなお店があったよなぁ…懐かしく思う方も多いかと思うし、今でもこういう’一癖’ある店主がいても、いや、もっといても、いいんじゃないかな?って思ったり、しちゃうはず☆

 

*Heg.ホームページ⇨コチラ

2013.10.27 Heg.(北上市)ダイスケさんに聞く その①

 

「ちえちゃんねる」、2013年度は。東日本大震災の時どうしていたか、その後どうだったか。立場や職種が違えばいろんな経験と思いがある。そのお話を、必ず交えて配信していきます☆

 

今年度、6人目のご登場はこのお方。

岩手県北上市にあるお洋服屋さん・Heg.(ヘグ)、コンノダイスケさん!

 

とっても個性的で奇想天外なお店には、誰もいない時間なんかないんじゃないか?というくらい必ず誰かがいる。来るもの拒まず、去るもの追わず、なんて言うけど、去る者はいないんじゃないかしら(笑)!?

いちど着てしまうとトリコになってしまうお洋服のセレクト。ツボに入ってしまうと抜けられない。そんなお洋服のデザイナーたち、ミュージシャン、アーティスト。ダイスケさんの知り合いは有名無名問わず、もう多数。

人との出会い。ご縁の築き方。そんなのは自分次第でどうにでもなる。どこに住んでいようが何をしていようが。そんな、コンノダイスケという一人の人間をちょっと暴いてみようかな、と。

 

まず今回は、このお店の名前の由来。そして、今のダイスケさん&お店を形成するに欠かせない外せないジャムバンド・BIG FROGとのことを語ります♪

 

*Heg.ホームページ⇨コチラ

*今回のお話に出てくる、静岡県のお店・YURULiホームページ⇨コチラ

 

2013.10.13 わんこそばの老舗・東家 馬場さんに聞く その⑤

「ちえちゃんねる」、2013年度は。東日本大震災の時どうしていたか、その後どうだったか。立場や職種が違えばいろんな経験と思いがある。そのお話を、必ず交えて配信していきます☆

 

今年度、5人目のご登場はこのお方。

人生一度はチャレンジしてほしい、岩手の「わんこそば」!その、わんこそばを体験できる老舗のお蕎麦屋さん・東家の社長、馬場暁彦さん!

 

この最終回で。2011年3月11日のことを振り返ります。
馬場さんが感じたことに、思いを重ねられる方も多いのではないか、と思います。

また、代々続く、老舗のわんこそば屋としての、「これから」。
馬場さんの考え方には、‘老舗の跡継ぎ云々’ということは関係なく、’生き方のヒント’のようなものがあるのでは?という気がします☆

いつもよりちょっと長めですが、いつもよりあっという間に見られるインタビューの回だと思います(^^)

 

(撮影場所⇨九十九草/盛岡・中の橋:東家の創業99周年を記念してオープンしたダイニングバー)

 

***** 本編に関連する おまけ *****

①震災後のわんこそば大会

岩手県沿岸部を中心に被害はとても甚大だった東日本大震災ですが、岩手の中心都市・盛岡市の被害はそれほどありませんでした。その昔、盛岡城があったとされる土地でもあり、地盤が固いと言われるのも一つの理由かもしれません。

なので、震災から2週間も経つと、「盛岡の人間こそ元気出していかなくちゃ」という空気が生まれた感じです。しかし、「まだそんなことも言っちゃいけない」というような、空気が生まれていたのも事実です。

記憶が正しければ…お話に出てくる、喫茶店・cartaマスターの呼びかけで。有志が集まったわんこそば大会が催されたのは、2011年3月30日前後だったように思います。

けっこういろんなところで写真を撮るワタクシなのに、この時の写真で唯一なのがコレです。

みんな本気で食べた(笑)ので、お椀は相当積み上がりました。

たぶん、まだ先行き不安なのと、先に書いた通り、「わんこそばをやっている場合ではないのではないか」と…堂々さが出せない時期なんですね。振り返ってそう思います。

しかしながら、記憶は薄れていく。時は流れる。震災の時、FMでの写真もほとんど残っていない。

非常事態の中で生きていたのであれば、写真を撮ることなんてちっとも、やましいことでも何でもない。

今は、写真が残っていないこと、とても後悔しています。

でもやはり振り返って、いろんな場面で、写真を撮る、心の余裕みたいなものが、ずーっとなかったのかも、しれません。

だって盛岡駅の新幹線乗り場がこんな時…連日、こんなのが続くなんてこと、そうそうないでしょうから。これは久しぶりに、在来線が動いて、私が実家に帰る事ができた時に駅で収めた写真です。やはり震災から、2週間近く経ってのことでしたね。

②「iPhoneアプリ」

コチラにアクセス!⇨ https://itunes.apple.com/jp/app/wankosoba/id523047149

ダウンロードは無料!東家さん公式(スゴ!笑)アプリです☆何やらおトクな特典も!?

(とゆーことで、許可を得て、今回のトップ画面はアプリに登場するお給仕の女の子たちのお写真にしてみました。イラストも何もかも、カワイイ!アプリだよ♪)