10/24 福島1日目

出発からずーっとお天気に恵まれました☆

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朝6時に待ち合わせてしゅっぱーつ(しかし眠かった…笑)!運転手のユウタくん!

順調に車はスイスイ進み、途中のサービスエリアに入ってビビる。

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「いわき、広いね…(~_~;)!?」

実にこの地図のグリーンの部分がいわき市であります。‘いわき’と名のつくインターチェンジ等もかなりあるという事実。いやぁ広いわ!

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サービスエリアの朝定食。さすが安定の納豆。さすが茨城。笑

 

そんなこんなでゆっくり休憩もとりながらの安全運転でも東京から約3時間で、1日目の集合場所・福島県いわき市中心部に到着。このあとマイクロバスに乗り込み、今年9月から通行が可能になった国道6号線を走ります。

まずはこの「国道6号線」ですが、関東から水戸〜いわき〜そして仙台へと到着できる道路。震災後、福島県内で通れない区間があったのが車での通行のみ(ということでバイク等での通行はNG/妊婦さんと15歳以下の子どもは車内でも通行不可と聞く)できるようになったのです。

いわきを出発して北上し、富岡町〜大熊町まで向かった後にまた南下して、いわきの浜のほうもぐるりと廻るコースでほぼ1日かけて行ってきました。

さて。この日とっても不思議なことがありました。

ワタシのケータイのカメラが、まったく起動しなくなりました。撮れるのですが、真っ白な写真しか撮れないのです。でも今は勿論、普通に使えます。あの時の不思議。自分の目で見るのが大事、ということなんだろうと思います。そんなわけで1日目の写真がまったくありません。

不思議、と言えば。実際に足を運んで分かったことがいくつもある中で。

同じ町の中でも、ここから先は「帰還困難区域」に当たるので立ち入りはできないし、そんなわけで除染作業も全く進んでいない場所というのが至る所にあったことでした。そもそも避難指示区域というのは、
・帰還困難区域(いっさいの立ち入り不可)
・居住制限区域(昼間に関しては立ち入り可能/泊まることは不可)
・避難指示解除準備区域
の3つに分かれているんですね。これは空中での放射線量がどうなっているか、というモニタリング調査によって分かれているそうです。

富岡町には「夜の森」というとても素敵な地区があります。箭内(道彦)さんのテレビの特番で知りました。桜並木がとっても美しくって(たしか長さは2キロに及ぶ、とも)、夜には幻想的にも見える場所でした。秋だけど、春には桜が美しい(今年も綺麗に咲いたそうです)道をちょこっと歩いてみました。でも、そんな夜の森という場所でも。道の一歩こちら側は帰還困難区域として、まったく人が入れずに今でも震災当時のまま、手つかずの家などがたくさんあるんです。結局、人が住む・生活するという予定もないわけだから、何も手がつけられないまんま、そのまんま。3年半以上もの期間が過ぎている場所というのが至るところにあるんです。

とある小学校にも立ち寄りました。こちらは確か、居住制限区域内にあったと思うのですが。震災があって人も離れ、学び舎として使われることはこつ然となくなったわけですよね。あんなに草ボーボーな校庭を初めて見ました。「ここは何ですか?」って聞いちゃうほど校庭だなんて分からなかった。でも、ぽつん、と。サッカーボールがあったりするんですよね。あぁここで遊んでたんだな、震災の時まさに、って。

そういった遊ぶ場である広い土地・公園や競技場といった場所には。緑や黒の大きな袋が何十にも積まれていました。これが「仮置き場」と言われるところです。簡単には、除染した土などを袋に詰めて処分できずに厳重に袋に詰めて置いてある、ということですね(厳密には「除去土壌等保管場所」というらしい)。この現実が痛々しかった。ニュースで耳にする「中間貯蔵施設」ができるまでこうして保管されるということですが、一体いつ施設はできるんだろう?

ワタシは岩手出身だし岩手の沿岸部には知人もいるし、それなりに震災〜震災後の今も、三陸の沿岸沿いは見ているつもりです。で、分かっているつもりでした、津波の被害があって、その後、ということを。でも、福島の原発に近い場所の沿岸部の状況というのはまるで違うというのは、正直、今回行くまで想像もしていなかったです。訪れた日の富岡駅前はこうでした。

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幡ヶ谷再生大学ツイッターから写真を転用します;こちらのリンクを遡っていただければ、この日に見た一部の他の様子の写真も見られます)

さすがに、三陸の沿岸部ではこういった車だったり家もそのまんまの状態で放置されてる場所はもう見かけません。驚きました。まだ、あの時のまんま、なのです。後ろがなんとなく駅っぽいのも分かりますか?駅ですらこうして何も手が施されていないのは、結局、この路線を今は通す意味がないから(ちょっと言い方が難しい、表現がこんな感じでごめんなさい)。すなわち、人が住む予定もない場所だから、生活がないわけだから、電車を復旧させるメドのようなものもまるで立ってないし、ゆえに駅を直す早急性もなくてこのまんま、で残ってるわけです。すぐ目の前は駅前の商店街でしたが、壊れたシャッターやら玄関から飛び出したスニーカーとか割れたガラスとか、すべてあのまんま、でした。

福島は、震災関連死が多い県だというのはよく報道されています。実際、この富岡駅にしても津波が襲って駅は大変な惨状ですが、ここで亡くなった方はお手洗いにいた1名だったと聞きます。もともと、海の近くに住んでいる方というのが少なくて津波の被害そのものは少ないほうだったと聞きました。が、その後。関連死のほうが多い理由。思いを巡らせてしまいます。

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カメラマン・三吉ツカサさんが最後に撮ってくれた一枚(こちらも幡ヶ谷再生大学ツイッターから)。「いわき・ら・ら・ミュウ」にて。魚介類がずらり。ですが、このエリアはまだ漁が再開されておらず(と、別な場所で聞いた)試験操業なので、こちらに並ぶのは全国各地から届いたものなのでしょう。お店の方は皆、いせいよく元気な声で迎えてくれました。

福島の人ほど、食べるもの売るものにとっても気を遣ってると思います。一概に「福島の食べ物は安全!」っていうキャンペーンをするのは疑問符ですが、生産してきたものを神経を使って線量を量って世に出荷し、販売している方たちも多くいるということだけは間違いなく事実。実際、福島県内でも線量が低い場所というのも多くあるわけですしね。

今回、訪れたことによって、信頼できる生産者さんや地元の方ができました。こういう方の食材をおいしく頂くのも支援ということになると思うし、こういう支援は長く続くと個人的には思う。そして支援うんぬんの前に、こうして‘ご縁’ができた、ということ。ひいては、食べ物について考える機会をもらったということ。ありがたいと思いたいです☆

This entry was posted in 3月11日. Bookmark the permalink.

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