ラジオ

岩手に出かせぎ(笑)中ですが、連日。笑って泣いて、泣いて笑って。
東京に住むライブ友達。震災が起こって、私に本を送ってくれた。
「少しでも、心が穏やかになれば」そんな文章と共に。
彼女が仙台に住んでいた時。仙台のライブハウスで。転換中、文庫本読んでる人なんて初めて見て(笑)。声をかけたのがきっかけでお友達です。
そんな彼女に、最近勧められた一冊。買ったまま放置していたが、この岩手の移動中に読了。
角田光代さんの「それもまたちいさな光」。
ラジオパーソナリティにメッセージを送る主人公。それに応えるパーソナリティ。
そんな、最後の場面。涙がつーっと流れた。
今日は、ちょうど。
「その時、ラジオだけが聞こえていた」という本を読んだ。
岩手のAMラジオ・IBCラジオが。昨年3月11日の震災が起こって、どんな放送をしていたか、を。まとめた本。沿岸部からのレポートを収めたCDもついてるんだけど、これは聞けないな、まだ。
これを読んで、またちょっと、救われた。
私は震災が起こった時、FM岩手のスタジオにいたのだけど。
体感の揺れの記憶というのが実は、これっぽっちもありません。ただただ、落ち着かなくちゃ。と。午後2時53分57秒の時間まではきっちりと喋らなくては。その気持ちしかなかった。大津波警報?そんな警報があるのか?と思いながら、スタジオに映るNHKの映像に出ている情報を喋った(緊急時には気象庁の情報を待つよりNHKのほうが圧倒的に早いので、時にそうやってテレビの情報を使う)。
でも。
そうやって落ち着いて喋っていて良かったのか。
大津波警報、なんて。津波警報に‘大’がつくなんて?
もっともっと、誇張すべきではなかったか。ヘンな話、取り乱しても良かったんじゃないか?
ニューヨークのテロの時の話を引き合いに出して励まされた話は前にこのブログで書いたような。
ニューヨーク、アメリカはラジオ局がたくさんある。その中で、「あぁ、本当に大変なことが起こった」と認識できたのは、冷静に喋っていた放送局だった、と。
IBCラジオのこの本を読んで。
やはり、落ち着いて喋っていたことは正しかったんだ、と。
IBCラジオとFM岩手の立ち位置は違うので、そもそも前も書いた通り、FM岩手には報道部というセクションがないので。早い時点で、「情報」というところではない発信、「呼びかけ」の放送にシフトした。
名前が呼ばれても、連絡など取れるはずもない。分かってる。けど、「あなたは一人じゃないから」。聞いているあなたの名前を呼んで、まずはラジオが側にいるし、ラジオにメッセージを託した方が、あなたのことを思っているよ、と。
ただただ、それだけだった。
IBCラジオも、これで良いのか?と、悩み、葛藤をしたりしながら、放送をしていたことも分かった。
IBCさんは避難者の名簿を読み上げる放送をしていたけども、改めて。FM岩手はそれをしなくて良かったのかとも思ったりする。実は私たちも、どうするべきか迷った時があって、その当時FM岩手のアナウンサーだった加藤裕さんと、私で、読み上げるのにどれくらいの時間を要するのか時間を測ったり、情報に偏りなく放送できるのか、悩んだりしました。結局、見送ることにしたのだけど、IBCさんと同じ放送をすることがなくて、むしろそれはいいのでは、と思えたりしたのでした。

きのう、おととい、と。大船渡に行っておりました。
沿岸の人は本当に、たくましいと感じます。
私ができる形で。私なりに。
これからも、寄り添っていけたら☆

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