ただいま、FMヨコハマ・北村(浩子)さんの「Books A to Z」最終回を聞いてました。
そう、あれは震災の年の秋ですね。関東に引っ越して仕事をはじめ、その時に北村さんがお食事に誘ってくださいました。こちらは緊張しながら向かったのだけど、北村さんは本当に、ラジオという、声と言葉のメディアが好きな方なんだなぁ、と思った。あの時の印象は、今も、そして今日の放送を聞いても変わらずでした。
北村さんは、ワタシもモチロン誰もがうらやむ正統派で、声もイントネーションも狂いがない。今週の週刊新潮、みのもんたさんがこんなことを;引用すると「最近はアナウンサーと言える人が少なくなった。僕らは発音やアクセント、イントネーションと、まず基礎をやらされたけれど、今はみんな自由気まま。それが個性だとされている風潮だしね」…唸らざるを得ません。そういう基礎がベースにちゃんとあって、そこから個性を出していけるものだとワタシも学んだクチである(いちおう)。そしてそんな基礎づくりというのが意外に難しいのだけど、北村さんのその基礎の力たるや。からーの、誰も追いつけないような本、一冊一冊に対する洞察と伝える力。
番組はいつか終わる。どんな人だっていつかは死ぬ。それ自体は悲しいことではあるけれど、当事者というか主体の人間はどう思っているのだろうか。ワタシ的に考えると、イベントのMCだって始まると終わりが来る。でも、その時に「いい1日だったなぁ」と。流す涙もこの先、良かったなぁ、幸せだったなぁ、と。そういう涙でありたいと願う。そしていつか迎える、人生最後の時も☆
きのうはRIAさんが岩手・大槌から来てました♪
震災後、大槌の合同慰霊祭のお話と写真を見ながら、涙が止まらなくなってしまった。
そう、この映像に写る。
震災から2か月経たない頃、まだお花の供給もままならなかったんですね。この映像でたくさんのお花がお寺に置かれているけれど、このお花は実は。東京から届いたものだということを知りました。
RIAさんの故郷、東京・大森のお店の方々がいろんな形でお金を集めて、知り合いに大田市場の方がいて、とても安価でお花を譲ってくれたりなんてこともあり、こんなにたくさんのお花も備えることができたのだと。
でも菊の花というのが大変で、葬儀の時に花を咲かせるにはつぼみの状態で現地に送っておかないといけない、とか、そんなことでドタバタした出来事を、笑いながら話したりして。
お花の力もすごくて、あの時、お花をもらって喜ぶ方や笑顔になる方もいれば、お花の受取もせず、目も合わせられない方もいたと聞く。当たり前だが、いろんな方がいる。ワタシはいつか、時が経てば、どんなことも笑って話せる時が来ると信じたいけど、でも、そうならない出来事やそうできない方だっている。
いろんな方がいる。いろんな出来事がある。寛容でありたい。
お花も心を豊かにしてくれるものだけど、本や音楽もきっとそうなんだよね。震災後に沿岸部の書店(さわや書店)がオープンしたら、お店に人がドッと流れ込んで片っ端から売れていったと本でも読んだ(「まちの本屋」さわや書店の田口さん著)し、FM岩手でもいちど音楽が流れたら、音楽リクエストも添えてメッセージが増えていったように思う。
そして、食だって。豊かにしてくれるよね。きのうRIAさんが連れてってくれたお店がまさに、大槌にお花を集める中心になってくれたところです。ポテトを頼んだらクマちゃんポテトが入ってました♡RIAさんの同級生がママのお店、お花を持って、他にも食料やらいろんなものを持って大槌に行ったお話を聞きました。今だから笑える話もね(笑)、そして今でも年に1回は大槌に行っているそうです(^^)
そんなきのう夜。子どもの6人に1人が貧困で、「こども食堂」の特集を見て胸が締め付けられる思いでした。給食以外にバナナ1本で過ごしている子どもの後ろ姿を想像するだけで…と、こども食堂の方がおっしゃっていたけれど、その想像は何にも変えることができないくらい辛いです。震災の時、ワタシも食べられない時間を経験しました(その時間は津波が襲った街の方々に比べれば、はるかにはるかに、短いものですが)。子どもの貧困は、一時的でない問題のような気がして、果たしてどうしたら良いものか、と。今朝起きても堂々と巡っていたりします、実は。