男闘呼組

しっかりしないとな、と我にハッパをかけ自らの尻を叩きながらなんとか生きている今日この頃。立てるようになっただけマシだろう。やっぱり情けないかな、気持ちがどうしても前向きになれなくて。でもそれを察してくれる友や、遠方にいてオンライン飲み会を開いてくれた人。

そんな今日は阪神淡路大震災が起こった日だ。関西を拠点に活動をされているライター・鈴木淳史さんのお母様が書いているエッセイを貼っておこう。

時の流れは容赦がない。金持ちでも貧乏でも唯一平等なのは時間だとは言い得てる。

色んなことは待ってくれない、時間がない、と昨年から必死に時間を使ってやってきたことがある。けど、それすらも手がつかなくなってしまったし、ボーッとしてる場合じゃないぞと思えば思うほど体が拒絶する。

そんな状況から、だいぶ良くなってきました。生きている間ずーっと突っ走ることなんかできないんだぞ、って自分を許してあげること。それも大事なリリーフになるんだなとすごく思う。

ということでちょっとビールとか飲みながら、ブログに向かっています。ずーっと書きたかったことを書こうかと。

2022年の秋。そうそう、この年の春だったと思うけどいきなりSNSで復活の文字を見た時はびっくりした、なんて言葉じゃ足りないぐらいの色んな感情がでてきた。もちろんテレビで歌う姿もちゃんと録画してるし、チケット争奪戦は久々に燃えた。笑

この日のライブのことはあんまり覚えてない、けどアリーナ席でまた岡本健一サイドだと思った(これまでが大体そうだったw)。それと、いつものメンバー・トミ夫妻も同じ日同じ時間のチケットを偶然取っていて(すごいよね)、有明からびゅーんと東京の街中を走って車で送ってもらいつつ、おいしいものを食べながらライブのこととか当時いかにわたしが好きだったか(爆)を話したりしたっけ。

時間にしてどれぐらいだったのかな、2時間はやってないはず。でももう込み上げるものがいっぱいあって、とにかく胸がいっぱいだった。ちゃんと男闘呼組が動いてるんだな〜、でも振り返って音のバラツキとかがあったけどそれはそれで今思うととっても貴重。そんなだったのに、ツアー最後の方にはすごいグルーヴになってるのをちゃんとこの目で、見て感じてるからさ!

もうグッズは買いません。と基本的にどのアーティストでも思っているので買わないつもりだったのですがちょっと面白かったのもあったし食べて無くなるのが一番良いかと思って買ったグミ。結果、賞味期限はとうに過ぎてるけどまだ机に飾ってある。もうドロドロになるまで机の上にいてくれ。爆

そして年末のこれは追加公演っていう扱いだったっけ?ちょっと忘れたけどもう1回ガーデンシアターへ。この時は後ろの後ろで見えはイマイチだったので、翌年のツアーはここ以外のところに行こうって密かに決めてた。

10月に見た時に、楽屋みたいなところからステージに出てくる映像が流れてたんだけど“あれはステージ衣装を着た事前収録だよね〜”とトミたちとも喋っていたのだが、そんな声がおそらく多くあったのか。この日も映像で始まるスタートは同じだったのだけど、ちゃんとケータイの時計をカメラに向ける(!)というのを見て、あこれ(少なくともこの時は)生でやってたんだ!?とちょっと感動。笑

成田くんのギターは仲本工事さんから譲られたという記事を読んでいたので、このギブソンがそうかな?と遠目で(オペラグラスもないし)確認するのに必死だったオレ。見るとこ違うっしょ!笑 というか2回目のライブは謎にもう照れが入ってあっという間に完全に、中高の自分にタイムスリップしてました。今は覚えてないけども、よくSNSでセットリストをアップしてる人がいて“偉いな〜よく覚えてるなぁ”と感心していたのですが、この日のライブはセトリ書けるなと思ったことは覚えてます。爆

ちょっと以下に書くライブの時だったか記憶がもう曖昧ですが、SHIMEさんが楽曲提供してたのね?男闘呼組に?その曲を演奏しつつ、そんなSHIMEさんが亡くなっていたということも初めて知りました。こうしてまた4人が集まって音を鳴らす意味ってすごく尊いなと思いながら帰ったことを覚えています。

年が明けて2023年のGW頃から始まった全国ツアー。いわゆる東名阪以外のところも行くので、とりあえず埼玉/神奈川とツアーファイナルの静岡の3箇所を申し込んだら見事にチケット取れた!は良かったのだけどカードの請求が来た時にはやっぱりクラクラしたね(笑)。達郎先生を拝みに行く金額とほぼ変わらないような金額ですから。まぁお金はなんとかなる!と言い聞かせ大宮ソニックシティ・1部のライブへ。

2階の前の方だったので4人がよく見えたけど、隣や前の方がわたしよりちょっと年上かな〜そしてライブとかしばらく行ってないんだろうな〜そんな方がこうしてライブに行きたい!ってなるのはすごいことだなと純粋に思った(どうしてもライブのノリ方を見てるとはっきり言って今ドキ見ない盛り上がり方で、昭和で止まってる感じがよく分かってそれはそれで個人的には面白かった)。これは本当にすごい経済効果だと目の当たりにしたのは一番この時かも。当日券で並ぶ人の列もすごかったしね。

あ、まだこの時はマスクが必須だった。不織布マスクをつけて入ってくださいって言われて、非常用に一応持ち歩いていて助かったんだった。

確か埼玉のこの場所には思い出があると言っていたっけな…何だっけ?ここでのライブが決まっていたけど活動休止になって出来なかった?とかだったっけ?MCもだいぶ小なれて感覚が戻ってきてるんだな〜ってのも微笑ましい。岡本健一がこれまで必ず平和とか戦争のことを言っていて、おそらくだけど、やっぱり彼がいなければ男闘呼組が復活することはなかったと思う。信念というか、思いが強い人なんだろうなと。“こう思ったらこう!”みたいなのが強そう。笑 そしてレスポール使いだったのかぁと。

大宮からトンボ帰りってあるようでないと言うか、行くとしてもさいたまスーパーアリーナかも?と思って大宮駅前を少しぶらぶらして帰ってきた。初めて十万石まんじゅう買って食べました。笑

メッチャ雨降りで行く気が削がれながらも向かった神奈川県民ホール(にある棟方志功の版画など→でもこれ、コピーらしいじゃん!?)。服もびしょ濡れになりながらギリ席に着くと、

え…!?

ステージ横・せり出し場所に手を伸ばせばもう少しで届きそうな席!しかも初の成田くんサイド(照)!!!

わーーーーーーーーー!!!

ステージングにも慣れてきたメンバーがこのせり出した場所にもやって来るのですが、もう全然顔なんか見られないオレ。もう本当、今思うと何やってんの!でもマジ無理でした、ということで成田くんの手元、指の動きが美しい!ギターのヘッドをまじまじと眺めたり、岡本健一の流れる汗が水のようにさらさらしてて尊い、とか、もうビョーキ的なことしか記憶にないです!爆

確かこの日、「Stand Out」って曲があるんだけど、個人的には(若い時に行ってたライブ以来で)初めて聴けた…んじゃなかったかなぁ。ドラマで流れてたんだよなぁ、カッコよかったんだよなぁ、あの当時聴いても。そして今聴いても。こんな歳になって聴けるなんて思ってなかった。曲が持つ力ってすごいよね、あの時の自分のことが一気に蘇ってきたんだよね。

男闘呼組に会うにはどうしたら良いんだろう、って。あ、テレビとか放送局の人になれば良いんだ、って姑息な考えにシフトした最初だもん。笑 それが高校で出会ったFMラジオと出会って一気にラジオの道になるんだけどね。その時はもう、知らない音楽を紹介できる人になりたい、って。高野寛さんとかフリッパーズ・ギターや渋谷系に夢中になってたけども。笑

そうだいつものメンバー・モリタニアンが今日は休みなはず!とライブ終わりに何回も電話するけど出ずで残念ながらそのまま帰宅。もう誰かにこの、思い出した自分の衝動やら成田くんの手元を近くて見たの〜♡っていうことを話したくて話したくてしょうがなかった夜。(その後モリタニアンにこのことを話したら、“飲んで寝てたけど、電話気づかなくてマジ良かった〜と言われたぜ。ふっ)

はいそして猛暑の中。あっという間にやって来たツアーファイナルは静岡。これまた偶然にもいつものトミ夫妻もチケットを取っていて(爆)、静岡観光も兼ねて車でゴー🎶久能山東照宮でパチ☆

(いやしかしマジで汗だくで外を歩くのが危険な暑さだった〜…)

日本平で眺めを満喫して、静岡市内にあるホール近くに車を停めて。お腹を満たすべく歩いていると良さげなお店を発見!で、これがもうですね、マジ激ウマなんてもんじゃないレベルでうまい!週末で昼飲みでお店を開けていたのがラッキーで出会えたこちらのお店には実はその後もう1回わたくしめ別で静岡に行った時に立ち寄っております(おほほ)。

会場の近くなのもあって、1部公演を見たお客さんがやって来たり(Tシャツ着てるから分かった)、声をかけたいのをグッと我慢、だって色々ネタバレしちゃいそうだもん。オレも美味な食にアルコールを飲み続けたいのをグッと我慢して会場にむかーう!!!

入り口でこちらが迎えてくれていたツアーも見納めかな。席は真ん中10列目ぐらいで、ライブを見納める場所としてももうカンペキ!

高橋和也氏のベースがヤバすぎる。そうここでようやくそう思った。あの音の響きはすごいぞと。そしてもう1人、全く触れてこなかった前田耕陽が痩せていた!爆 ライブってすごい!!!

(ここまで、そして以下もファンとしてのいつもの呼び方書き方を失礼します)

この日のトピックは間違いなくダブルアンコールですよね。本当に拍手と歓声が止まらなかった、確かもう帰れアナウンスもやってる中だったと思うけど。

アコースティックな楽器を持って出て来たんだよね。あぁ、もう本当に神様っているんだよねって思った(もう何が何だか、誰に感謝すれば良いのかわからんw錯乱状態だった)。アコギとかで聴ける時が来るなんて…「Midnight Train」だったよね、確かあの時にやったのは。

なつかしいな…

成田くんのあの声で“愛してる”と歌うところを思い出してメシ5杯食えます!はい!!

男性のファンが多くて、アンコールとかの掛け声も率先してたのが何だかたのもしい。同性のファンが多くないとバンドは続かないっていうのは持論だから。笑 ということでトミ家の主人も率先して写真を撮る。

帰りの車の中ではトミ家の主人もわーわーキャーキャーに入って楽しかったな。爆 0時を回った頃に家に着いて、何だか夢のような1日でただただ、行って良かったなって思ったことをすごく覚えてる。

そしてもうこの時わたしは、武道館の本当に最後の最後のチケットも持っていたから、その時まで何が起ころうが全然頑張れる!っていう気持ちだった(^^)

結果として、武道館4デイズでチケットを取っていた最後の日は行けなかった…というのは理由があるのだけど。やっぱり武道館でも見ておきたい、と思ったら4デイズ前半の2日はまだチケットが取れる(と言っても、ステージ真裏の後ろの席を解放したのでそのエリアになるけれども)!

ということで、お盆が明けて早々に見に行った。武道館に。そしてまさかとは思うけど、この後ろのエリアのこともちゃんと慮ったステージが作られていて、後ろでもよく見えたどころか時に“見えすぎじゃん!?”と狂喜してしまうほど良かったことなど!前田耕陽ファンは特にこれは!!!成田くんのローディーさんがギターを扱ってるとこなんか凝視してしまいましたわあはははは。

やっぱり「ロックよ静かに流れよ」コーナーが良かったですなん。VHSのビデオは今も机に飾ってますわよん。記憶では成田くんの声の出がちょっとよろしくなかったという感じでしたが、そりゃこんだけやってくればそうなるよねと思えたのもまた良かった。ジャニーズにいたのは事実で、ジャニーズにいたからこそというエンターテインもしてくれていたステージだった。確かバク転しそうでしない感じ?とか?ちょっと忘れちゃったけど。

夢があるよね、本当に。楽器から離れていた人たちが、4日間も武道館でライブをやるということに。そしてそこに来た人も皆もれなく、感動しちゃってるってことに。多分この日、いちばん泣いたわ…今回の復活ライブを見た中で。

スカパーでの独占放送ももちろんスカパーで見ました。が、何かトラブルでうまくテレビが映らなくて、時間が迫る中でカスタマーセンターに電話しましたわよ(良い思い出だ)。そしたら電話口のお姉さんも“男闘呼組をご覧になりたい感じですよね?”と開口一番、分かってらっしゃる(そんな問い合わせが多かったのだろうw)。おかげさまで正座で待機からの全力でスカパーでも拝見しまして録画にもしっかり成功しました。

そんなライブ中に多数の着信。からーの、神奈川のイベントでお世話になっている方々と飲むの巻。男闘呼組のことをひたすら聞かされあんなに電話していたことを後悔したに違いない。ふふふ ことよろで!

“最後の男闘呼組、行かなくていいんですか!?”って現場入りして皆に言われた(爆)、ちょっとYさん!言いふらさないでよもうー!照

ということでそんなこの日はオレの推しのWENDYくん初クアトロでライブレポートを書かせていただきました。取っていたチケットは心置きなく文化放送Aディレクターに渡しまして、楽しんでもらえたようで何よりであります(^^)

WENDYくんとのことはもしかしてこのブログでは全く触れていないかも?しれないですね?コロナ禍に知り合ったと言っていい彼らのことは。ちょっと別で書きますね。ということで一緒に写る彼らのレーベル担当・S女史は同郷の岩手人♡カワユス!

そんな日の、翌日のこと。

ダメ元だった野音、本当に本当に最後の男闘呼組。結果としてファンクラブでも外れた方が多いチケットだったけど、わたしも勿論ファンクラブ経由で申し込んだチケットが…

当たった…これは本当に、当たると思わなかった。

お天気にも恵まれた日、野音付近はものすごい人だった。一部報道では3000人いたとも言われてるけど、それこそケンバンドとかの音漏れの比じゃない人がいっぱいいた。

チケットをもぎってもらいながら、何だか申し訳ない気持ちになったのも初めてだった。もちろん別に、職権濫用も何もしてないし自力でファンクラブで取れたチケットだったけど。

野音に関してはちょっと不満がある。まず、なんでこの日だったのかなってこと。

武道館4デイズの最後の日がラストだと思ってそこに合わせてた方もいるはず。そしたら野音の発表があって、それも行きたいと思っても武道館より小さい場所だし当然チケの倍率も高いよね。当たったらラッキー!ぐらいの気持ちで野音公演もあるべきだったと思うし、だから最後の最後に野音があるなら、武道館の発表の時点で言うべき。野音でやれるのはもちろん思い出にはなるけど、でもそれは下手したら演者の思い出にしかならないかもしれないじゃん、あまりにも不満が多ければ。個人的にはライブがどうの、というよりもちょっと後味が悪かった。ほとんど空耳じゃないと思うけど、掛け声が野音の外からも聞こえてきてた。何だかここにいるのが申し訳ない気持ちがいっぱいで見るライブになってしまった。

ファンのことや、もしも待っていた人を思うなら、ちょっと間違えてるんじゃないかなと言わざるを得ないと思った。

なんて、つい書いちゃいましたけど。野音は終わってからも、誰も帰る人がいなくて、しばらく会場内は誰も動かない感じで鳴っているBGMに合わせて手拍子したり、ありがとうの声がいっぱい上がってたような気がする。とちょっと記憶が曖昧なのも、やっぱり会場外のあんなに多くの方を考えると、素直に100パーセント楽しめなかった自分がいる。

あともう1つ書くと、パンフレットの構成もちょっと残念だったな。とか直接いつか話せたら良いな、ということで頑張ろう!オレ!

ということで今、Rockon Social Club(説明は省略)のファンクラブに入ったままでございます!笑 ファンクラブなんていつぶりだろう、男闘呼組の後に高野寛さんのファンクラブに入って、それ以来かな?今やスマホのアプリに会員証、とか、そんな時代なんてねぇ。と、ちょいと文句みたいなのは書いちゃいましたけど楽しんでいるオバはんでありんす。

ちょうど野音の頃に放送されたNHKの番組で、ライブハウスを特集した時にジュンランボルが大フィーチャーされてたんだよね。いい顔だなぁ、いつか東北ライブハウス大作戦の場所でもRockon Social Clubがライブをやってくれたら良いなぁ(^^)そんな日が来るといいなぁ🎶届け!!

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2024 年始

新年早々の出来事に胸を痛めております。自分の備忘として書いています。

12月31日に実家へ帰って紅白を通しで見て(そんなのいつぶりだろう)新年を親と迎えて爆睡し、1月1日午後の新幹線で関東に戻る途中で。仙台を過ぎたあたりで襲われた睡魔に勝てずいつの間にか寝てました。元日の新幹線でもそこそこ混んでいたのとポイントを使って人生の片手で数えられるほどのグリーン車乗車でもあり、気持ち良かった。

ずいぶん停車したままだなと思いまず時計を見たら16時20分頃だったと思います。

予定ではあと1時間ちょっとで東京着、と思いつつ寝起きでぼーっとしてる人が異変に気づくのにはしばらく時間がかかりました。

あ、これ新幹線が停まってるんだ?

なんか暗いよね?と思っていたら周りのお客さんがざわざわ“地震があったみたい”とし出し、車内アナウンスがあって事態を把握しました。どうやらトンネルの中で停まったようでした。

とっさに思い出したのは2008年の地震の時でした。それと、今は車内販売がないのでほぼ飲み干してしまってちょっとしか残っていないペットボトルを見つめながら、長丁場になったら大丈夫かな、と思いつつ、“お手洗いは使えますがドアは手動です”などのアナウンスが続く。一体どこで地震があったんだろうか、とケータイでアクセスするも繋がらない。トンネル内だからかな、実はそこまでのことではないだろうと思いながら。

そんな折に前の夫婦が話している声が聞こえた。“震度7だってよ”

一気に動悸が襲ってきて、涙が止まらなくなった。どこで何が??必死にケータイを再読み込みし続けたら目に入ってきたのが「大津波警報」の文字だった。

今、この文字を打ちながらも心臓がバクっと動く。フラッシュバックとか精神的なものというのは事実、身体がそう動くからあるものなのだ。

ケータイで震源までは分かったけど、車内アナウンスでも具体的な言及はなく確か“北陸地方で発生した地震で”という言い方だったような気がする。

とにかく何もあってくれるなという思いと、津波からは逃げてほしいという思いしかなかった。自分の心がつらくて、拭いても拭いても涙がにじんでくる。

今のわたしに出来ることは願うことしかない。電源は復旧して明るくなった車内からトンネルのコンクリートを眺めながら、仮に関東に着いて電車が動いてなかったら入館証もあるし文化放送までは自力で行ければあとはなんとかなる、とか考えてました。

おおよそ40分ぐらい停車していたのだろうか、郡山と新白河の間と言っていた気がするけど、新幹線は動きはじめた。そこから途中で停まったりゆっくり進みながらも、予定より1時間は遅くならない時間で東京駅に到着。新幹線が動き出したらネットにも繋がるようになり、おおよその状況は理解できた。

そわそわしながら、実家から持ち帰った食べ物を持って帰った。関東の鉄道は通常通りだったと思う。そのその手にしている食べ物の重さが辛かった、きっとこれからあたたかいものを食べるのもしばらく大変だろう、そんなことを思っては電車でも涙がこぼれてしまう。

振り返って、わたしは2011年3月11日の東日本大震災の時の記録をほとんど残していない。残すこと・記すことは不謹慎だと思っていたところがあったし、正直なところ余裕もなかった。カメラ付き携帯だったのにスタジオの写真などもほとんど撮っていない。

けど、果たしてそうだったのだろうか。今はそうは思わない。あの時のことを残しておくべきだった、可能な限りで。大量に届いた安否確認のメール(サーバーがダメになって、ヤフーだったかが開設した簡単に取れるアカウントでFM岩手のアドレスも作った記憶がある)、コピー用紙が足りずに裏紙に赤で×をして再利用して放送でも使う(基本的に放送で裏紙を使うのは厳禁、どちらが本当の情報か分からなくなる時があるから)、〇〇市より細かい地名も読む必要があり、難読地や馴染みのない土地を紙に書きスタジオに貼っていったらあっという間に埋まった壁。

発災当日、エルスカのカッちゃんが帰れなくなってFM岩手に立ち寄った時に持っていたスティック昆布茶が美味しかったこと。放送局は電気が通っているからお湯が飲めたんだと後で知った時の落胆と申し訳なさ。テレビ岩手の社食のおねえさんたちがFMにも差し入れてくれたおにぎりの美味さ。

沿岸部の状況がまるで分からない中で、日付変わって12日の深夜にFM岩手の営業さんが語っていたレポートは、今思い出しても涙が出る(ご本人のインタビューはこちらの動画から)。そして改めて今、この動画を見るとレポートを入れてくださった時間は深夜でなく、未明・朝方だったのだなと記憶違いが既に起こっていることに気づく。

夜通しの放送が明けて朝日が登って応接室で仮眠したけど、長期戦になる放送に近くのスーパーが売り出しをするというので総務部長と買い出しに行ったこと。でもこの時で覚えているのは、極端に買い込みなどをする人は誰もいなかったということ。わたしたちも本当はもっと欲しかったカップラーメンを“買いに来たのは我々2人だもんな”と、本当はもっと欲しかったのを我慢したのを覚えている。そしてあの時に知ったのは、どんなに過酷で辛い状況でも、残念ながらしっかりお腹は空くということ。

関東は極めて普通の日常ではあるし、想像をめぐらせると、自分の経験に置き換えてはあの時を思い出してしまう。そして、言葉では表現など出来ない状況であろうと十二分に理解をしているつもりだ。からこそ、いざという時に動ける(金銭面も含む)体力を備えておくことだ。きっとその時はすぐ来ると思う。情けないかな、今は気持ちは側に置いています、という、それしか出来ないけれど、それが大事だと思って今日を・日常を生きることにします。

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いしがきミュージックフェスティバル2023

そっか。去年の年の瀬はファイトバックがあったのだよな。

なんかそわそわしちゃうのはそれを思い出すせいなのかな。笑

今年のいしがきミュージックフェスは本当にお天気に恵まれた。そして基本的にはコロナ禍前と同じ。

昨年、3年ぶりに開催された時はおそらくこんなにアナウンスを入れたのは初めてじゃないか、というぐらい。でも、そんな去年があったからこそ今年も出来ているんだと思う。イベントって年に1回とか、テレビとかラジオの番組と違って単発感があるけどやっぱり、積み重ねが表れるものだとすごく思った。

“今年はあまりアナウンスを入れないで進められたら”

舞台監督はもはや盛岡のイベントではお馴染み・Kモリ先輩も“それでいきましょう!”と。

本来なら注意事項のアナウンスとかなく進んでほしい、音の鳴る場所で自由に楽しんで欲しいもん(^^)

でもアナウンスは注意事項をただ言うだけじゃない役割もありましてね、

盛岡市長のご挨拶のお時間があって市長をお迎えもします。

今年は内舘新市長をこのステージにお迎えしたのですが、記録として書いて良いかな。そろそろ現れるはずの市長がやって来ない…バンドのセッティングが押すからオンタイムで進めないとな…ステージ裏はちょっとした緊張感がありました。そもそも“ステージでの持ち時間は数分です”って話もちゃんと伝わってるのか!?初めてこの場に立たれるし、大丈夫なのか…

…と思っていたら颯爽と会場に現れた市長、その場でいしがきオフィシャルTシャツをさっと着用。あっという間にご登場のお時間に。

“いしがきミュージックフェスティバルは、ここ、盛岡市の財産です”

タイムキープも完璧な、時間にして2分に満たないような短いスピーチ。心に残ってステージ上でうっすら泣きそうになった。これまでのいしがきを見て感じてくださっていた新しい市長。最後は“市長!市長!”の大コールでステージを後にされた。こんな方が市長になられたのは、とても心強いし誇らしいなと思った(^^)

そんな市長のご挨拶にステージに立ったのは、この方たちね!

バックドロップシンデレラ(撮影可能)!

写真、遠目に見えますかね?ボーカル・でんでけあゆみさんが客席側の奥の方に行っているのを(笑)。バクシンが市長のご挨拶を受けてさらに煽って、ステージ裏は爆笑に包まれてました(^^)

久しぶりに見る景色。自由に楽しむお客さんの姿。そして青い空。何もかもが、素晴らしかったです。

(開演前・朝イチのステージはこんな感じ)

“去年はね、ね”…COUNTRY YARDの皆とは、笑顔で色んな話が出来た。カントリーの前にもすごくアナウンスを入れた(そしてそれでライブ自体もやりづらかったところがあろう)ことをお互いに共有できているから、今年のこの自由な景色がお互いに本当に、笑顔になれるものだった。

そんなカントリーの出番はバクシン前のお昼頃だったのだけど、こんな時間の出番も貴重だよね(笑)。演奏中、ギタースタンドのところにずーっとトンボが止まってました。あんな轟音なのに(爆)トンボも喜んでるのかな、と微笑ましかったです。

ケンバンドの前とかかな、これは?今年は会場後ろに行ける余裕もあったということね(^^)

もう圧巻のケンバンド、何というか、神がかり的なライブだった…もう何度も見てるはずなのに、震えた。あ、これがライブだ、っていうライブ。もうそれ以上の言葉なんてない。

そんなライブを受けての大トリ・The BONEZは大変だろうなと思った…けど、そんなケンバンドがあったからに違いない、これまたボーンズの最強をあっさりと超えるようなライブだった。次の世代・これからの世代に繋いでいくというのを音楽で、ライブで。見せてくれた時間。

無料で開催する意義と大事な意味ってここにあるのだよね。無料だからこそマナーが悪いとかの言葉もSNSで目にする、いや、そうじゃないんだよね。だとしたらマナーはちゃんとするのが大人だし、マナーをちゃんとして!なんてアナウンスは一番ダサくてしたくない(笑)。無料だからこそ、誰もが音に触れられる年に1回のこの日を通して、もしかしたら次の世代・に限らず生きている誰しもが。

ほんのちょっと、でも、大きく、でも。何かが変わることがある、あり得る。

Hawaiian6・ハタノさんが言っていたよ、“いや〜緊張するよ!”って。わたし、本当にいしがきのステージでアーティストが発するMCも“ここでしかない感”が皆、すごくあると思ってて。誰しもが来られる機会だから、アーティスト側のプレッシャーも少なからずあると思うし、それが毎年のあのステージに繋がっていると思う。極論、音楽とかライブとかフェスとかって何?みたいな方だってあの会場に来ることができる。だからこそそこから、新しい何かが広がったりするかもしれない。それが、無料で開催しているすばらしさ。

かつて書いているけれど、無料開催を決めた時に大きく反対したのもこのわたし。でも今は、こうして無料に踏み切ってから今に至るまで続いているという事実が全てなのだと思う(^^)

ボーンズの後に花火が上がって、最後に皆さんにお礼をしてる時だと思うのだけど。カメラマンの(石井)麻木ちゃんが撮ってくれていた1枚は“盛岡でちえぞうさんを撮ってから、こんな笑顔初めてじゃない?”って言われた。自分でもそう思う(^^)

誰しもがパーフェクトに楽しんでもらえる環境なぞ作れない。その前提の元、今年は本当に良い1日だったんじゃないかな、と。手前味噌ながら感じてます。

FM青森チームが遊びに来てくれました🎶パーソナリティのふじこさんとパチ(終わってみれば良い1日とは書いたものの、特にスタート時の頃はややテンパっていてあまりお話出来ずすみません)☆

東京からもいつものメンバーやジャーマネ・H嬢が来てくれたり、会場でも色んな方とハグできたり(SNSで言ってくれていたのに会えなかった方ごめんなさい!)。そう、ハグとか握手とか、そんなのもこの数年ずっと出来てなかったからね!なんだか本当に本当に、今思い出しても幸せな時間だったなと思っています(^^)

さてそんなわけで今年は実際に大きなトラブル等もなく、例年に比べてアナウンス少なめで進行できていたので。盛岡でよく飲んだくれている呑み屋さんのママが楽屋ケータリングを担当しており、今年は美味なママのご飯を食べよう!とケータリングに行くと…

“あれ?もしかしてちえさん、時間あります?ちょっと芝生ステージとか、手伝ってもらっていいスか?”(by セッチュー千葉さん)

『Hello,Goodbye, ハイエース!いしがき編 by グレートマエカワ&MR.PAN』なるタイトルの、30分間のトークショーで進行役を担当いたしました!

こういう場当たり的なところ、最高だし好きだわ〜いしがき&岩手・ケセンロックで現場対応はずいぶん鍛えられてるし、これまで幾度もお世話になっておりますお2人ですのであとは楽しくやるのみ!現場入りは皆5分前ぐらい(爆)とかですがマイクを持てばお2人もお手のもの、“これは公開録音とかでラジオでオンエアするべきですよ〜メッチャ最高でした!”と通称・ワンコントロールの川村社長からもお褒めのお言葉をいただいております(^^)

いやもう今思い出しても面白かったですよね、フラカンとニートビーツが一緒にハイエースを買って(だから値引きしてもらって)、ものすごい走行距離を走り続けて(並走して云々…の話も爆笑だったわ)、今回の盛岡が遠征としては両バンドともハイエースのラストラン。今は新しいハイエース(またもや値引きしてもらって)で、全国各地を周り続けてます。出番を控えたセクマシがステージ裏で爆笑してるのを見て“俺らのハイエース、譲ろうか?”とか会話が広がったり。

ニートビーツにしても、フラカンにしても。出会ったのはここ、盛岡。ニートビーツは月に1回、お電話で出てもらってリスナーさんのお悩み相談をやってもらってましたから(「なんぼのもんやねん!」というタイトルでw)。この年齢になっても先輩方や同世代がまだまだ頑張ってるし、だからこそまたこれから、新しいことができるかもしれないな、そんなことも思うことが出来た時間になりました!ニートビーツ&フラカン、ありがとうございました!!

いしがきと前後する日のことも書きたかったのに文字数けっこう行ってるな(笑)、ということで別で書きましょ🎶ジュンも笑顔だし、やっぱり良き1日だったのかなって思う(^^)

最後に、この日にボーンズチームの機材車を見に駆けつけてくれたお兄さんへ。おそらく盛岡・岩手の方だと思うのだけど、最高にカッコ良かったです!

(いきなりステージ裏にでっかいクレーン車?みたいなのが入ってきて“何事だ!?”って皆ビビったけどね!爆)

【つづく】

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God Bless You

このコロナ禍、本当に色んなことがありました。本当に。

コロナ禍で何もないからブログを放置していたわけでも全然なくて、振り返ってコロナ禍が人生で一番忙しかったかもと思うぐらいの経験をさせてもらいました。

それは文字媒体でのインタビューだったり、ウェブにライブレポートだったりを書いたり。これまで“おしゃべり”1本でやってきたようなところがあるわたしが文章で記すという今までとは違う…けど、どちらの良さもあるのだなというのがよく分かったこのコロナ禍での経験だったし、お陰様で忙しくさせていただき今も続いていることには本当に感謝しかありません。そうやってPCに向かって文章にすることが格段に増え、自分の備忘としてのブログには全く向き合えなかった…というのが偽らざる事実です。

そんなお仕事のことだったり、何度も行っては涙した(笑)男闘呼組の復活ライブのこと、そしてそして、今年の盛岡・いしがきミュージックフェスのことだったり…

自分なりの備忘としてやっぱりちゃんと残そう、って思って少しずつ向き合いはじめたところに…

それこそ。チバユウスケさんとも、雑誌のインタビューを一度、コロナ禍にさせていただきました。でも元々、岩手での色んなことがなければチバさんにこんなにシンパシーを感じていなかったとは思います。

その一番最初は、東日本大震災のあと。盛岡のタワーレコードも営業が中々できない状況でしたが、“営業再開できた時に、ここに来れば1人じゃないし音楽はそばにあるんだ”って。そんな場所にしたい、っていう(当時の)タワレコ店員・工藤くん(※今は盛岡市内のレコ屋・Sound Channelにいます。お店は変わっても音楽愛は変わりませんw)の発案で。一緒にこんな企画を展開して、営業再開からしばらくの間は盛岡のタワレコはアーティストからのたくさんのメッセージに包まれていたのでした

上記リンクで最初にThe Birthdayに言及していますが、実はこれは同じ事務所に所属するバンドにメッセージ依頼をお願いしたのでした。余談ですが、メッセージを寄せて欲しいとお願いして断られたアーティストは1組もいなかったと記憶しています。

そのバンドと共に、The Birthdayからのメッセージも送られてきてびっくりしたことを覚えています。自分が接点のある方にしかお願いは出来ないよな…と思って進めた企画だったし(自分に関しては)、もちろんお話が波及して“レーベル所属のアーティストにも書いてもらいました”とか、そういう嬉しくありがたいことは事実あった中で、The Birthdayが手書きで寄せてくれたメッセージは、本当に本当に嬉しかった。推測だけど、“そんなのやってんだ、俺らも書くわ”ってサラッとペンを執ってくれたんじゃないかなって思ってる。

実際にお店で見てもらいたいと思って、1枚1枚どんなメッセージか分かるような記録は撮らなかった。けど、

“God Bless You”

The Birthdayはサインと共にそう書いてあったと記憶してる。なぜならわたしがへこたれそうになった時、このメッセージをもらって以降、この言葉を何度も心の中でつぶやいたから。

実はこのタイミングで他にも身近なところからチバさん・The Birthdayにまつわるあたたかいお気持ちのエピソードを耳にしていた。それはまた違う第三者の話なのでここには記載しないけど、今も覚えてるおはなし。

あれから時を経て、おそらく震災から5〜6年経って。The Birthdayが盛岡・いしがきミュージックフェスに出たのだよね。と思ったら記録を残してたヲレ、エライ!2016年のいしがきミュージックフェスでした!

そして自分で残した記録を読みながら、目頭が熱くなっています…

わたしはミッシェルにしてもそんなにそんなに聴いていた方ではないし、おそらくだけど、岩手での色んな関わりがなければチバさんに対して何らかの思いを抱いたりということもなかったと思う。のです。

この数日、なんだかぼんやりしてしまって。岩手での色んなことを思い出してしまって。

チバさん、とにもかくにもやさしいお方だったのだよなぁ。シュッとしてて怖そうだし、気楽になんか話しかけられはしないけど。でも 、ニートビーツのMR.PANさんからも色んな話を聞いては爆笑してたし、PANさんが今年荻窪に完成させた音が鳴る場所でもライブをやってくれたのよね、The Birthday。あのライブ、何としてでも、見ておくんだった…

年齢的に、自分に残された時間は確実に折り返してると思っていた今日この頃。やっぱり時間は、もう限られてきてるのだよな。

それこそ書いていないからそれも思い出しながら書こう。去年、宮古で行われたパワーストック。前乗りスタッフで宮古の居酒屋さんでご飯飲みをしてました。

そこにふらっと現れたのは、お酒がだいぶ入ったチバユウスケさんでした。

酔っ払ったチバさんは、こんな言い方も何ですが、かわいかったです。母性本能くすぐる系のかわいさですね。笑

あ、これで翌日すこし気楽に声とかかけても大丈夫かな…なんて思ったんですが、

ライブ当日、会場に現れたチバさんはやっぱりいつものチバさんで、全く無理でした。爆

アナウンスがあったのでステージ袖でライブを見ながら、チバさんのピックがピーンってステージに飛んだのを見ていて、ライブ終わりでさっと取りに行ってチバさんに届けに行きました。話すチャンス!って下心です、はい。笑

“やるよ“

そう言ったチバさんの声が今でも脳内で再生できる。その一言がむちゃくちゃカッコいい!!

あれからずうっと、携帯カバーの間に挟んでお守りのように持ち歩いてました(あとトシロウ神のビックリマン的シールと共にw)。

関東に引っ越してからも“このままこの線路に入ってしまえば”と思ったことが実は何度もあります。わたしだってご多分に漏れず病んでとことん沈んでしまう、そんな日を繰り返す時期がありました。でも、God Bless Youの言葉で、震災後も踏ん張ってこられた。腐りかけては何度も、その言葉をささやいてた。

そしてこのピックが今のわたしを支えてくれていた(夏からビニールの携帯カバーが熱くなるので外し今はデスクの真ん中に鎮座している)。そしてこれからも支えてくれるだろう。

 

コロナの前にアメリカに1人で行った時もこんなことがあってね、ってそのことは書いてないみたいなのでちょっと書くと。

シアトルではちょっとゼータクして良いホテルに泊まったら、アップグレードまでしてくれて広い窓でちょっとした夜の景色も楽しめるお部屋でした。が、広い部屋に1人で不安(笑)、とにかく色んな仕切りは開けっぱなしにして、それこそバスタブに浸かりながらもお風呂も開けっ放しにしてました。

バスローブ(爆)着て、部屋に戻るとガラス窓がくもってる。湯気ですよね。

でもそこに、

“GOD ♡ YOU”

の文字が浮かび上がってました。

前に泊まった方がガラス窓に指で書いたのでしょう。

その文字を見た瞬間に、涙が止まんなくなったことがありました。

God Bless You、これからもこの言葉を唱えながら。そしてこれからも色んなことが毎日あると思うしもっともっとタフな状況になってくるかもしれない。

でも、わたしにはこの言葉がある。God Bless You。

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クラブチェンジが20周年なんです!

南部事変があった翌日には盛岡でクラブチェンジ20周年を祝う対バンがあって、というのを、ブログを書いてから思い出した!

クラブチェンジ20周年アニバーサリーシリーズはサトマンから始まったんだった、っていうこと!

今年のゴールデンウイーク・5/3がいっちばん最初のアニバーサリーシリーズで、TEXAS STYLEがワンマン!

で、当日券とか書いてるけどもチェンジがパンパンだった。今のサトマンのファンも多かろうけど、それでもTEXAS STYLEでこのキャパはわたし的には想像以上だった。

し、こんなにお客さんいっぱいで暑(熱)っついクラブチェンジもきっと、このコロナ禍以降で初だったと思う。

色々と胸がいっぱいになった。ライブが出来ない、音が鳴らせない日々が長く続いてきたけれど、それを乗り越えられてこうして集まれる場所があるというありがたさ。場所を守るのも想像を絶する苦労があったに違いない、そんなことをチェンジの人は誰も言わないけれど。“大変よ!”って笑いながらながら言うことはあっても、それ以上の苦労なんか見せない。

コロナ禍に入った当初は、機材のメンテナンスとか普段ゆっくり出来ない掃除とかをやる時間が出来て良いのでは、なんて言ったりしていたけども、本当に…長かった。そしてこれで終わりでもなければ、この先もこんなことがないとは言えないしむしろもっとスパン短く色んなことが襲ってくる気がしている(と考えている方が良いだろう)。

この日、たくさんの人と気温高めのライブハウスにいながら、するっと涙が何度も出そうになった。

ディテールはもう記憶にないけど、テキサスのライブも素晴らしくロックンロールだった。テキサスってこんなにカッコ良かったっけ?って。サトマンはあれどサトマンとは違う音楽性だし、個人的にはテキサスも並行してやった方が良いのでは!って思ったんだった(そして今もそう思っている!)!

おそらくクラブチェンジ自体がコロナの前からもご無沙汰していて。今やグループとして3つのライブハウスがあるけれど、ここがいっちばん最初でわたしが盛岡で最初に行ったライブハウス。黒い入り口のドアに光る金のロゴ、カッコよ。

チェンジグループのライブのお知らせフライヤー。この中に面白いものが挟まってましたよね(笑)、ということで折り目つけないようにチェンジ出てすぐのローソンでガーナチョコ買ってクリアファイルげとしました!笑

もちろん今も大事に取ってますよん🎶

そうそう、そんなサトマンでもありテキサスでもあり、のボーカル&ギター・佐藤和夫にはこんなにお世話になるとは思わなかったな。最初は何きっかけだったか…やっぱりチェンジに繋いでもらったのは間違い無いんだけど(いしがきミュージックフェスに出たタイミングだったと思う)、知り合ってから確実に5年以上の年月を経て、今やサトマンことSATOMANSIONは“ライブ見てほしい!”って人を誘いたくなるライブが出来るようになった(^^)正直、最初の頃は“実の血のつながりある四兄弟バンド”の部分が先行してたし、わたしもそのトピックが面白いと思ってバンド・音楽は二の次でもと思っていたところがあった。

でも今は、ライブ見て!まず!って(^^)カッコよくなった、そしてもっとカッコよくなれるバンドと思ってる。南部事変であれだけの人が集まった事実も彼らには自信になるはずだし、これからもっと上を目指していけると確信してる!

というわけで今年の初夏は和夫さんと2人、「渋谷のラジオ」で生放送をお届け🎶

こちらはお見せしちゃおう、放送後にチェンジチームに送った写真。午後ですでにほろ酔い(笑)。最後は夜10時ぐらいに蒙古タンメン食べて解散、おそらく2023年・1日でもっとも長い時間飲んだのは和夫さんとです!

そんな和夫さんが人の輪も広げてくれてね…

通称・ワンコントロールというエフェクターを作っているトップ・川村さんとは今年に入ってよくつるんでます(爆)。だし、わたしのインタビューのお仕事でも間に入ってもらって実現できたインタビューもあります!

和夫さんと長時間飲んだ際に入れたボトルを今夏、川村さんにもゴチソウしました(爆)!が、この日も多くの議題は(本人たち不在なのに)サトマンのことでした…猛爆

話を戻して。今年のゴールデンウイークにスタートしたクラブチェンジのアニバーサリーシリーズ、最初の日はちょうど北上でこのイベントもあったの!よ!

キャラさんたちの頭上に何か書いてあるのが見えませぬか…??

「奥州ジェットフェス スクリーミングイーハトーブ2023」!!!

ギターウルフが企画した入場無料のフェスが北上・アメリカンワールドで初開催!で、そもそも何で!?っていうのは、ギターウルフの現ベーシストが奥州市出身・GOTZ(ゴッツ)さんなのです!奥州が生んだ世界に誇る人物は今やオータニさーん!だけじゃございません!っつう話(^^)

ちなみにこのイベントはギターウルフのライブもさることながら、地元のバンドのみならずオーケストラ系だったり音を鳴らしている方々や、これまた奥州市が生んだ偉人・大瀧詠一さんについてトークするお時間があったり、そんでこんなキャラさんが大集合したりと、大人も子供も楽しめる1日でした(が、革ジャン率が高いwww&ギターウルフ目当ての外国人も多い)!

この日、顔を出して嬉しかったのは…

FM岩手の公開収録などで大変お世話になりました、アメリカンワールド・星さんが現役バリバリで現場で動いておられたこと!

“ちえちゃ〜ん!”って、メッチャ覚えててくださって嬉しかった…番組が終わってそれっきりになっていましたが、今は改めてメール交換とかしてます!笑 またお世話になる時が来そうだな…!

ゴールデンウイークの頃の盛岡から見る岩手山。ワシが羽ばたくような姿に見えるように雪がなくなっていくから“岩鷲(がんじゅ)山”って言われたりもするんだよね。

今年、この時見た岩手山はうっすら、か細いけどワシが羽ばたくように羽を広げてるように見えました☆

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11月12日は盛岡で!

意外とこの秋深まる時期に盛岡に来るのは久々かもしれないな…?

いしがきミュージックフェスティバルの会場のひとつ・岩手公園(=盛岡城跡公園)は春の桜の頃も、秋の紅葉もとても美しい。し、いしがきのステージがないとこんなに広いのか(笑)とも思った。

見頃のピークはちょっと過ぎたと言われたけど、じゅうぶん紅葉を楽しめた…けどマジ、マジで寒かった…冬将軍の襲撃が急ではあるまいか(~_~;)息が白かったっす…

しかし盛岡は週末というのも勿論あるにせよ、観光客がすごいね!さすが訪れるべき街の世界2位に選ばれただけあるわ、岩手公園も団体のお客さんメッチャいたし!

ということで昼メシ食べてあったまろ〜と思ったら行こうと思ってたモンタンは定休日で、じゃあ定番の東家に行こうかと思ったけどもしかして馬場さんが前日の二戸からまだ戻ってないかな?と思い…

そうだ、盛岡のバスセンターが新しくなって色々出来てたっけな!と思い出し行ってみる(^^)

ノスタルジックな前のバスセンターも好きだったけど、新しくなったバスセンターはまた新たなセンスと共に、だからといってただ新しいだけじゃない。とても素敵な空間に生まれ変わったなと個人的には思いました。福田パンも買えるしベアレンも飲める、バス待ちの間に時間を潰すにもお店に迷うほど。

そんな建物の中に不思議なこちらの空間が。秋吉敏子さんのミュージアムがあります。

そもそも秋吉さんって岩手の出身だっけ?と年表に見入っていたら、ミュージアムの方が丁寧に色々とお話をしてくださいました。元々マンデイ満ちるさんが好きでアルバムも何枚か持っているのだけど、そのお母様だよな〜という認識でよくコンサートをされているけど確か海外にお住まいなのだよな…というぐらいの知識しかなかったのですが、岩手でよくコンサートが開催されている理由も分かった気がするし、“好きこそもののなんとやら”の言葉がありますが、このミュージアムも即ち、秋吉さんが好きだからこそこの地に出来たのもよーく分かりました(^^)

入場無料で色々な資料を見られるのはとっても貴重だし(グラミー賞にノミネートされると貰えるものとか)、ぜひ色々なお話は直接、現地で聞いてみるのがいちばん(^^)そしてシンプルに、“好き”って気持ちは本当に強くて色んなことを動かせるんだなと思った。たかが、好き。されど、好き!

開運橋のジョニー」という昔から有名なお店があるのですが、そちらの方がこのバスセンターでミュージアムと共に併設のカフェも運営しておられます。ジョニーのマスターが仕込んで作るカレーはここでしか食べられない唯一無二な味!本当に、何と表現して良いか(笑)、わたしは好きな味でペロッと食べました!

ちなみにこちらのカフェの名前は「West38」なのですが、それは秋吉さんがニューヨークで住んでおられる住所からとっているそうです。ニューヨークは縦横碁盤の目のような道路だけど、38ということは去年わたしが行って泊まったあたりにもだいぶ近いのかな…なんて考えたりして(^^)ニューヨークに暮らし続けて音楽を・ピアノを続けておられるというその事実だけでも尊敬に値します!

寒い中の盛岡をぶらっと。懐かしい、岩手県民会館近くの大きなイチョウの木。

日曜なのでライブのスタートも早くあっという間にクラブチェンジ20周年アニバーサリーの時間&スーパーナイスな対バン!だけど、何気にこの対バンもやってそうに見えて2回目なのだそう…やるなチェンジ!

個人的にはまず盛岡でバンアパを、waveで見られたのが胸アツ。バンアパは基本的に大船渡でしかライブしてなかった時も長いし、ケセンロックにも毎年出ているけどやっぱり盛岡で…っていうのはなんだかグッと来ちゃった!

後攻のイチさんは、そう、イチさんも喋っていたけど震災後ほどなくしてこの場所でライブをしてくれたアーティストの1人なんだよね。あれは2011年4月のはずだな、と思って自分のブログを見返しても全然出てこなくて、ライブから1ヶ月ぐらい経った5月に入ってから記録を残してた。振り返ってあの時は、ライブなんて!みたいな風潮もあったし…自分的な自粛だったのかな、なんて思ったりもする。けど、過去のことはともかく、イチさんのこの日のライブはいつも以上にカッコ良かったし、しのっぴパイセンの暴走にも爆笑だったし、イチさんこそスターだなって思えたライブだった。Super Stupidをエアジャムで見てて、その人と対バンしてるんだっていうバンアパのMCも良かったし(そこで荒井さんは盛り上がりすぎて両方の靴を無くした→結局見つかったエピソードにも爆笑)、そもそも震災後になんで盛岡に来たのか、宮古にも行ったのか?というお話を個別に聞いたのですが(とりあえず内緒でごめんなさい)、BRAHMANトシロウ神と色んなやり取りがあった上だった話にもクスクスしてしまった。土下座はきっとこの先もしてくれないでしょうね、爆!

そんなわけで宮古のドン(通称)やケセンロックのおとうさん(通称)、たばちゃんとか皆がみんな集まって、楽しき音の鳴る夜でした(^^)

そんな日に…!

ケセンロックで毎年会っている親子がいるのだけど、なーんーと!!!この日がライブハウスデビュー!!!こんなライブを選ぶなんてナイスチョイスよ(^^)ということでwaveでもパチ☆できたのは嬉しかったなー♡

“ライブどうだった?”って聞いたら、もちろん彼女自身も楽しかったと言いつつ“大人の人が楽しそうにしてて良かった”…爆!そう、いくつになっても音楽で楽しめる大人でいたいよね!

来年は、ケセンロックのあの場所で会えたら良いねって約束して別れられる幸せ。そしてこの写真を撮ってくれたのもおそらくケセンロック皆勤賞じゃないかな?っていうちょーすけ(通称)。岩手のたくさんの音楽好きにも会えた、素敵なクラブチェンジ20周年の夜でした☆

そんな盛岡では諭吉が飛んで行った〜…

これ以上のことは書きませんが、Blessのお洋服でこんなに悩み放題になれるお店は日本でここだけではないでしょうか。寒かったし、一足早い自分へのクリスマスプレゼントってことで清水から飛び降りました…もう毎日着てるし、ま、よし!うん!!

ということで盛岡はファッションセンスもヤバい店が相当あることもお伝えをさせていただきます🎶

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11月11日、にのーへ🎶

朝、宮古を出て盛岡からは電車移動。二戸までこの電車で行くのはいつぶりだろうか。

山は色づきを見せていて、車窓からの景色を見ていても全く飽きないのはおそらく子供の頃に二戸から盛岡まで親が車で運転して連れて行ってくれることが楽しみで楽しみで。あの時のことが思い出されたのも大きいと思う。

今や通っている新幹線でぴゅーっと行けばもっと近いけど、かつては車じゃなければ列車移動だったからなぁ。そんなこの路線に乗るのはいつぶりだろうか。

…なんて思いを巡らせてたらあっというまにとうちゃーく!!!

二戸の駅から直結する形でこんなに素敵な幟がお出迎え!

そう、二戸が生んだ実の四兄弟バンド・SATOMANSION(以下サトマン)が地元で開催するイベント・南部事変!

しかしサトマンの愛され方もすごいよな…こんなイラストを描いてもらえるなんて。そして鉄拳さんがゲストでトークとか、もう一体どういうこと!?盛岡でなく二戸でやるっていうのもマジすごいし!

会場着くなり知ってる顔がいっぱい。だけど皆、スタッフとかで忙しそうなのでワンコントロール社長・川村さんと一緒に缶ビールとか買って飲みながら楽しむ的な。川村さんの顔ハメ、よく撮れてるでしょ(^^)

とにかく賑わっていた1日でした。子供から大人まで幅広い年齢が集まる中、18歳以下は無料にしていたこともあって若い世代が楽しんでいる姿を見ていてとっても嬉しくなった…し、サトマンにしか出来ないことをちゃんと形にしてるな、っていうのも感じられて本当に素晴らしかった。

イベントは午前中から始まって、トークイベントや生演奏に合わせてカラオケのような参加型のステージがあったり。地元のキャラクターたちも大集結した一大イベントでした(ほれこうして楽しそうにステージを見てるキャラさんw)。

トリはサトマンのライブだったのだけど、何が良かったってファンの方が大挙して二戸に来てくれた事実を目の当たりにできたこともさることながら、おそらく、生の音でライブというものを体験するのが初めての若い世代がたくさんいたこと…生の音ってサブスクとかで聴くものとは全然違うものなのだよね。ギターの音とかドラムの響く音とか、ボーカルにしたってそう。ノリ方なんか分かんないけど、楽しい!っていうのを身体いっぱいで感じている姿にオバハンはグッと来てしまったのでした…ちなみにこの日サトマンのライブもとっても良かったと思う、良い音とグルーヴを出してたと思う。あれは地元の見えざるパワーがとってもいい形で働いたね(^^)

今年のいしがきミュージックフェスのことも追って書くけど、やっぱり若い世代のことを考えて“無料”っていう(南部事変も18歳以下は無料)敷居で出来ることは大事なことだとすごく思わされた。こういう最初の経験があって、心と身体に響いてくれればライブハウスやライブにも行きたくなるはず。今こうして物価高で生活も大変だから遊興費にお金が出しにくくなってきているけど、せめて月に1回だけでも行きたいライブへのお金はケチらない、そんな風に生きていけるっていうことが大事なことなんじゃないかなと思うのだよね。そしてそう思ったライブのことってずっとずっと、ずーっと心に残るんだよね。わたしにとってはsmorgas然り、RIZEなんかもそうだし(^^)

サトマンは地元の人たちに素敵なギフトをプレゼントしたなって思った、このイベントを通して。そしていらした全ての皆さんにとっても、素敵な思い出を持って帰ることができた1日になったと感じます(^^)

しかしすごいバルーンが届いてましたよ(おそらくファンの方から)、今やこんなことも出来るんですな(驚)!

18時頃、全ての日程が終了して。バラバラとお客さんが帰り始める中…

中学の2年間が同級生にあたる南部美人・こーすけと。南部事変のことも応援してくれてありがたい、し、彼自身が日本酒界をも背負って立つような活動をしていて世界各国を飛び回る。この日は“サトマンに空けといてって言われたからさ〜!”って、嬉しいね(^^)

ということで話を戻すと…

“ちえちゃんも行こう!”

ということで南部美人の蔵の方へとお邪魔して、特別に開けてもらった場所で南部美人のあわ酒をいただいたのだ…が、

メッチャうまーい!!!!!!!!!!!!

飲んだら次の瓶が空き、飲んだらまた…そうここは酒蔵、ストックなんて飲み尽くせないほどあるのだwww

改築した蔵はとっても素敵で、こうやって飲んだりすることも出来ればそれこそサトマンもこの場所でアコースティックのライブをやったのだそう。うーん素敵、で、やっぱりここでもこの言葉が思い出されたのよね。

“街が人を作るんじゃない、人が街を作るんだ“(HATANO by Hawaiian6)

総勢5人で何本空けたんだろう、このお酒…だけど、当然これは終わりではなくただのはじまり…!!!

わんこそば・東家のばばさんもイベント参加者として参加。馬場さんとこーすけが昔から繋がってるのも初めて知った(驚)し、馬場さんが今年ニューヨークにわんこそばを出前した話を聞いたり、もう話なんか尽きないし、そもそもこれ南部事変の打ち上げの席に移動したんだよね…!?っていうことを忘れて色んな、色んな話をした(^^)

馬場さんと話しながらも思ったけど、動いている人はやっぱり面白いなー!ということだし、岩手には面白い人がいっぱいいるなー!とつくづく思ったし、そもそもわたしは盛岡のライブハウス・クラブチェンジといしがきミュージックフェスで繋がってるかもだけど、この南部事変と二戸にクラブチェンジも関わっているという事実がまた個人的にはとっても、とっても嬉しきことでした。

きっと今の自分たちが色々と動きやすい世代なのかもしれないですね。かつての世の中なら引導を渡している世代かもだけど、今はこの世代ぐらいが一番色々と間に入ってやれる世代なのやもということも思ったりしたのでした。

仮にそうだとしても、もう時間は限られてる。今、出来ることを出来る人たちと精一杯やろう。すごく気力を漲らせることができた二戸行きでした!

泊まりの皆を置いてわたしは最終の新幹線で盛岡に戻りましたが、着いてから盛岡の街ナカに繰り出して飲むぞー!とイキっていたのにあっさり布団に倒れ込みましたとさ。笑笑

イベントの間、ちょっと抜けて二戸の街ナカへ。まずは懐かし丹一パン!店内で行列になっていて、なんとなく15分ほど待った感じでしたがやっぱり美味しかった〜♡

定番のピーナッツやイチゴとかコーヒーとか、色々なものをパンの間に挟んでもらえるのですが確か前はなかったはず、「カレー」なるメニューが…しかもヲレの前の人は“両面で”なるオーダーを。

なにー!?

じゃあやっぱり両面にしてもらおっと。ということで開いたコッペパンの両面にたっぷり塗られたカレーソース…

歩きながらもぐもぐ、めっちゃ、めっちゃウマーい!!!

…だったのだけど、落ち着いて食べられるときに欲張りましょう。あふれ出るカレーソースが袋の中に…爆

こちらが南部美人ね、奥の方に蔵があります。こちらの店舗は基本的に無休でオープンしていて、ワンコインで試飲とかも出来るしここでしか買えないお酒とかも売ってます。しかしこんなにフレンドリーな社員さんも南部美人には増えて、素晴らしいですな!

2年間通った中学校は新しくなってたけど、この看板だったような気がするなー。しみじみ校庭とかを眺めて、ノスタルジックな思いに耽ってきました☆

“来年の南部事変は泊まりで!”って言われたので、もし開催されるなら勿論そうします(^^)ということでサトマン、この日を境にさらに羽ばたいていくことを期待してっからねー!そして関わった皆々様、おつかれさまでした!!!

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11月10日はミャーコ!

11月前半ではあるけど、暮れの元気なご挨拶…的なものも込めまして行きました。コロナ禍もあって今年開催した、10周年のアニバーサリーもお邪魔できなかったので!

ただ驚いたのは、106急行(宮古と盛岡を結ぶバス)が格段に速くなってることね!高速なのか?(だとしても無料なはず)、開通してから本当に速くなったな〜!

着いてからまず通称・大さんの店に行きもぐもぐドリンキング。先だって開催の柳家睦バンドのフライヤーが今もカウンターに貼ってあるのが雰囲気にもしっくり来た(^^)ひとしきり大さんの話に爆笑しつつ隣に座る方ともあれやこれやと話していたら、

あっという間に時間なの!!!

宮古出身・高岩遼がフロントマンを務めるSANABAGUN.を追いかけて🎶

いやしかしカウンターアクションの音は良いよね、としみじみ。音がバーンと突き抜ける感じ(長嶋さんみたいな表現しか出来なくてスンマセン)がすごく気持ち良い。

と同時にすごく個人的なのだけど、そもそもライブに行くのが10日ぶりでした…一般的にはたかが10日かもですが自分的には時間が空いてしまって。コロナ禍で久々にライブハウスでライブを聴いたときにも感じたことだったけど、とにかく“耳が喜んでいる”のがとても分かった(^^)この感覚、なんだかとっても新鮮だった。時間を空けるというのはどんなことにおいても決して悪いことではないとおもう!

高岩遼の親戚と思しき方も含めてお客さんは決して多いとは言えなかったけど、パフォーマンスとしては素晴らしく良かった!し、カウンターアクション社長がステージに愛あるメッセージを送りながら(宮古名物w)進むライブがやっぱり良い、のだよね。この距離感といい雰囲気といい、宮古には独特のものがあるなといつ来ても、たとえ誰のライブだとしても、思います。

SANABAGUN.としては野音が控えたこのツアーだけど、次回に宮古に戻ってくるときにはもっと地元のお客さんがいて然るべきユニットだと断言します。だってカッコ良いもん!

もう1人のフロントマン・Iwamaさんが青森のご出身というのは知っていたけど、宮古の高校で、“ヒップホップをやりたい”って街中の店頭でマイク持ってるのを高岩遼が見かけた…的なMCを聞いて驚いた。そんなエピソードがあったとは!?宮古でこの2人が出会ってなければSANABAGUN.はおそらく結成されなかったのか…と考えれば、宮古はSANABAGUN.のルーツでもある、ということだよね!?

高岩遼を囲んで(ちえぞの隣が社長)!

Iwamaさんがちえぞの後ろにいますね!

この写真のあたりにはもうわたくしだいぶ酔っ払ってきていたようで(こうして写真見ると明らかですねw)、カウンターアクションを出てからスタッフ打ち上げをしたのですが…

早々にしれ〜っとホテルへ離脱…“今日は仕上がり早かったな!”のLINEを翌日に見てヘコみました…あぁ、歳かなぁ…次回リベンジさせてもらう(^^)!

ライブ中の社長を激写☆いい表情(^^)

そして隣に写る方が、それこそいつ知り合ったかもはや覚えていない岩手のファッション界での重鎮でございます。現在発売中のアキュート(岩手のタウン誌)にも書きましたが、このお方が今こういったダウンジャケットを手がけておられるんですね。メイド・イン・ジャパンでありメイド・イン・宮古のダウンジャケットは唯一無二な素材感と何よりこのお方が手がけるだけあってスタイリッシュ!

ということで、そうなんですよね…!!!

高岩遼がソロ名義で出している楽曲+本人とコラボレーションしたダウンジャケットも作っちゃった!のであります!もちろんこのMV内でひゅっと羽織っております♡

大量に作れるものでもないし安価なものではない。けれど、モノを作ったり生み出す、そしてそれをどう発信していくかということに関して、考え方がすごくすごく、ためになる。何より高岩遼とこうしてタッグを組むというセンスがわたしに合わないわけがない(^^)

岩手にも面白い人がいっぱいいるし、改めて、面白い人と色んなことをやっていきたいと思わされた今回の岩手帰りでした。それはこの宮古で感じたことがまたどんどん続いていくのでブログに書きます🎶

翌日、朝早くに宮古の街を歩いていたら大漁旗がはためいていたことに気がついた。その週末にはこのマラソン大会もあったから、そのせいもあるのかな(^^)しかし大漁旗って見ると本当に気持ちが昂るよね、なぜだろう??

【つづく】

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騎馬武者ロックフェス2023〜思い出がいっぱい

自分のカメラでは撮っていない写真が届き始めて、嬉しくニヤニヤ見ています。そして石井麻木ちゃんからも今年のいしがきミュージックフェスの写真が届きました(^^)

色んな出来事が毎日、畳みかけてくる。ちゃんと記録しておこう。自分のために。

ということでまずは今年の騎馬武者のハナシの続きね、宇都宮から来る美容師さんチームのカメラマン・Tomoyo嬢から届いたお写真をまずはどーん!

ステージ上の写真ってあんまりないからうれしい♡そうそしてわたしの髪にすごい装飾物がついてますよね…!

後ろから見るとこんな感じ🎶メッチャ手が込んでるのが分かる!!でもこの後ろ姿にもちゃんと理由みたいなものがあってね…!!

もう天才的に素敵な髪型を作ってくれるのがコチラのお店のみなさま♡

今年のステージトップバッター・花男くんと友人という美容師の店主。花男くんが南相馬にでっかい花火を打ち上げるんだ!って、そして今年も見事に大輪の花が南相馬の夜空に咲いたけども、花火を見せたいんだって花男くんが頑張っている「みんなの花火募金」に協力すべくお店にも募金箱を置いたり、この髪型の後ろ姿は“ヘアスタイルで花火咲かせる大作戦”と題して、ライブを見ている人の後ろ姿も花火のように見えたら良いな…そんな思いも込めて。騎馬武者にブースを展開してる。

コチラ宇都宮の店主のブースもそうだけど、今年の騎馬武者のブースは個性的で飲食は特に地元色もちゃんとあって楽しいな〜って思った(^^)こういうブースや出店の独自感ってフェスではこれから大事になってくると思う!

ということでこの髪型があまりにも素敵すぎて、この日の全てが終わって寝る時も次の日までなんとか持たせられないかな…と突っ伏しがちに寝て次の日もほぼ髪型キープしたのはここだけの話。

そしてこのお方のことも書いておかなくちゃ!

イシワタケイタくん!

今年、彼は“出店者”として騎馬武者のお客さんのお腹を満たしてくれました(^^)コチラにアクセスしていただきつつ、そう、ケイタくんと最初に知り合ったのはこの騎馬武者。わたしも普通に遊びに行っていた時。

彼のお店は普段もとっても繁盛しているようで、この日も結果としては売り切れゴメン!になったと聞いた記憶(写真の打ち上げ時はとあるお酒を飲み始めて記憶が曖昧…www)。

コロナ禍を挟んで、久しぶりに会うケイタくんはとっても精悍な顔立ちで清々しかった。きっとケイタくんの中で何かがよき形で変わっているのだろうな、と思ってる。千葉にあるお店に食べに行くまで、ちょっと待っててね!

そしてそして。今年の騎馬武者でのトピックとしてコチラにも触れておかねば…

………ほう?

………ほう!

しかし看板が本気すぎる件(作成 by 岩手の色んな現場や至る所で看板等を手がける桐山さん)。そして残念なことに写真がないのだけど、のど自慢と同じ鐘の音がリアルで鳴り響いた件(鐘は騎馬武者の実行委員長が叩いてたけどマジ上手かったw)。

12時15分から、トーキョータナカ氏のステージを前にごそごそと動き出すスタッフチーム。そういえばこのお時間ってあの国営放送の番組の放送時間では!?そして取り付けられたこれらの看板。ざわざわする会場、そりゃそうよね!笑 ちなみにスタッフのお一人(写真に写るお方)が“僕、トーキョーから手伝いに来たタナカです!”に爆笑でありました!

さてそんなわけで何が行われたかと言うと…

トーキョータナカさんのSNSから拝借失敬。そういうことです、事件は現場で起きているということです(^^)ちょんまげマンがいるのも面白いし、ちょんまげマンがトーキョータナカさんに入れていたツッコミにはもうステージにいるのを忘れて大爆笑でした!

まっ、事件は現場で起こってるということでね。トーキョータナカさんの言葉をお借りすれば、茶番にお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました!

このステージでのMC分はハリセン&ステッカーで現物支給(爆)!

“茶番”が終わった後にすぐに差し入れを持ってきてくれたターピーさん from 内郷げんこつ会。この1本、断れなかった(爆)!

そんな爆笑の輪は繋がっていきまして、このステージの次の登場がdustbox。ライブ時間になって、なんかカラオケみたいな音が聴こえるな…?と思ってちょっと覗きに行ってみたら、

Xの曲をカラオケで熱唱するSUGAさんが(猛爆)!!!

いや〜笑った笑った、本当にオモロすぎでした!!!

開催の前日にMCチーム(+シンタロー)で寄ってみたら、これまでの騎馬武者にはないような電飾がオシャレだったり、4年ぶりの開催に向けての準備はほぼ整ってました。

当日、始まってみたら“あれ?”みたいなことはどんなイベントでもあるし、お客さんとしていらした方にもそんな思いがあった方もいらっしゃるかもしれません。でも振り返って総じて思うことは、とにかく皆が楽しめたのでは…という、ちょっと手前味噌感な思いです。

それはお見送りをした時もそうだし、SNSを見ていてもすごく伝わる。SNSって本来こんなにハッピーなものなんだな(笑)と久々に思いながら眺めてました。

自分としてもあそこをもう少し、とかそれこそ花火あとのアナウンスもついつい喋りすぎたなとか(笑、ゆえに花火の写真が1枚もないのだけど)、それこそのど自慢の時の進行をミスったところがあるなとか色々とある。でも、それを全てひっくるめて今は、“また来年、また次に!”っていう思いが強い(^^)

岩手のわたしが、福島でマイクを持っている。それは全て、色んな繋がりから。片平ちゃん里菜がステージ上でわたしのことを紹介してくれた。福島とか岩手だからじゃない、同じ東北、チーム東北ってことで良いんだよなって強く、強く思えた瞬間だった。

繋がりを大切に、これからもずっと。ナシモンさんのMCを支えるのがここでのわたしの役割だと思ってる。4年ぶりかもしれないけど、今までで一番、呼吸を合わせてMCが出来たと思ってる。また、ナシモンさんと一緒にステージに立って南相馬で皆さんとお会いできたら心から嬉しいし、そのために日々を頑張らなくちゃ!と思いが新たです!

おつかれさまでした!騎馬武者にいらした全ての方にらぶを♡

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釜山2023〜雑記

とりあえず備忘の意味合いが圧倒的に強いのですが書いておくとその①→パスポートは常に携行せよ

近所を散歩するだけだからとホテルの部屋に置いていったパスポート。それでたまたま散歩中にナイトクルーズがあるのを知り、チケットを買うまで頑張れたのは良いのだが“パスポート持ってるか?”と。

外国人に限らず身分証明書のチェックがあったので、こういったアトラクションに参加するのに万が一のため身分チェックをしてるのだなと思いました(推測)。幸い、パスポート写真を撮っていて携帯のフォルダに入っていたのでその提示で問題はなかったですが、念の為パスポートは常に持ち歩く方がベターです(失くしたりスリに遭う危険性のリスクを考えると、というのも理解できますが)。

その②→韓国ではバスは遠慮なく乗った方が良い

これは1台しかいない写真なので分かりにくいですが、団子状に連なってバス停にバスが到着することがしょっちゅうで、到着するや否やバス停から遠くても乗降口が開く(笑)。とりあえずお目当てのバスが来たらそこに走ってでも行って乗るべきです。日本みたいに順番とか列はないし(驚)、一度止まったらあとはバス停先頭では止まらない可能性もある(驚×2)ので、さっさと乗っちゃえ!です。

バスもかなり本数が多いのと、バスの制限速度は何キロなんだろう?というぐらい飛ばすので時間もそんなに遅れないと思うし、バスに乗る方が街並みも見えてオススメです。

…と言うのはGoogleマップありきの前提のお話で。Googleマップはバスの番号をちゃんと表示してくれるので、その番号(バスの上の掲示部分の左側ね)の番号のに乗れば間違いはないですし、一応マップを表示したままで乗れば地図通りにちゃんとバスが進んでいるのも分かるので安心して乗れるはずです。方向音痴だし機械もそんなにちゃんと触れないわたしが出来てるんだから大丈夫(^^)

その③→コインロッカーはいいトコとマイナス面がある

とりあえず確実に使いたい方はTロッカー(で調べれば出てきます)のアプリを入れておくのがベターですが、当日でもなんとかなることが多いと思います。あくまでこのTロッカーに限った話ですが、アプリでQRコードを読み取るとその場所で空いているロッカーが表示されるのでその場所を選んで(いわゆる大/中/小)、自分のクレジットカード情報を入れる(韓国以外の日本のカードでもOKです)と、入力する6桁の番号が出てくるのでそれを入力すれば鍵がかかっているロッカーが開く、それを閉めればアプリの方にも“本当に閉じたか確認してください”的な表示が出て、OKが出ると完了です。

取り出すときは取り出す手順に従って進むと、同じく表示される6桁のコードを入力すればガチャっと扉が開きます。

マジ便利!!!

なのだけど、意外に注意すべきは日本みたいに24時間の料金ではないということ。どういう時間区切りかは調べてませんが、半日近く預けても追加料金が取られました(それもクレジットカード入力で、つまりアプリ内で決済は完了する)。何だかんだこのスーツケース(ちょい機内持ち込みオーバーかもサイズ)で大サイズ(中も入るかなと思ったんですが)、1000円ぐらいかかった気がします。

(今、アプリから料金表を見たら4時間区切りで以降1時間あたりで100円には満たないものの料金がかかってくるみたいです!ワオ)

確実に使おうと思ってる方に、アプリを入れておく方がベターだなと思ったのはアプリを見ていると、使いたいエリアにロッカーがあるか・そもそも空きがあるか可視化されていること。これは便利!

スーツケース持って地下鉄に乗ろうとすると、釜山では駅の近くでこうして野菜とか果物を売ってる人が“あっち行け!”って教えてくれる。

エレベーターに乗れと。優しいです(^^)

ソウルでも思ったけど、日本ほどエスカレーターは完備されていないので電車に乗るとき特に旅行者には大変なので、足腰も鍛えるぞ!ぐらいの勢いで行くとより楽しい旅になるかもです。

さいごに。今回忘れられないことを書いておくと。

帰国日はこれまでの良いお天気が一点、雨風が強くてこれは電車の駅まで歩くのも大変だぞと。

タクシーはやっぱり個室みたいになるので個人的には避けてきたのですが…仕方ない。

あの時、不思議とスラスラハングルが出てきた自分を褒めてもあげたい(合ってる間違ってるは置いといて)。

“雨が降ってるので、タクシーに乗りたいなと思うのですが”

婉曲な表現というのがよくハングルで出てくるけど、こういう時に使うのかなと分かった気がした。これでおそらくですが、“どうしよう”というニュアンスが出せてるんですよね、言語的に。

ホテルのフロントのおじさんはすぐに“どこに行くの?”…あとは、空港だの国際線のターミナルだの、とやり取りするやすぐ外に出て行った。程なく戻ってきて、傘をさしたままタクシーに乗せてくれた(※韓国のタクシーは自動ドアではない)。乗って!乗って!って言いながら。スーツケースはおじさんがトランクに運んでくれた。

チップは頑なに拒否された。日本と同じで、チップの文化はないのだと身体で感じた出来事(少な!って思ったから受け取らなかったのかもだけどねw)。その上、“傘は持って行ってください、降りた先で傘が必要になりますから”。

上の写真で分からないかもだけど、確かに釜山の金海空港の国際線ターミナルは屋根が小さくて雨に濡れる感じだった(そもそも、“空港行きたい”っていうのも通じてるのか不安でアプリをじっと眺めてw空港が近づいてマジ安心)。おじさん、本当にありがとう(^^)

チャガルチ市場にほど近い、場所はとっても良い「ホテルマルシェ」というホテルです。実際に予約サイトで見ていた写真よりも部屋が(照明が)暗いとか、思うところは事実あったけど何よりホスピタリティがこの日に限らず、このおじさんに限らずで、とっても良かったんです。次に釜山に行く時もここに泊まろうと決めています。この口コミは信じてもらって大丈夫ですよ!

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