暴年会②大船渡→石巻

(暴年会のつづき)

お昼の12時。国道45号線を南下して、大船渡→石巻へも約3時間の道のり。

休憩ポイントを出発するときには、ジュン・ランボルギーニが乗客の点呼!

『道の駅 大谷海岸』では。コチラ・ふかひれソフトクリームが食べられます。寒空の中「お肌プルプルになるよね!」とキャシーと食べるの巻。ちょっと茶色の粒のようなものが見えると思いますが、これがふかひれです。一言で言うとゼリーが混ざってるような感じですね。

こちら、道の駅の建物のちょっと裏側です。

写真にはうまく収まらないけれど、遠くにうっすらぼんやりと金華山が見えると運転手さんが教えてくれた。こうして見るといつもいつも思う、こんな穏やかな海からあんなに高い波が襲ってきたのは信じられないと。

手前にちょっと錆びた線のようなものが見えますが、もともとここが線路でした。その鉄道路線は今、バスを使う形(=BRT)として復活しています。路線として戻すことは…どうなんだろうな。

黒い土のう袋は、仮の防潮堤です。震災前までは穏やかな海がずーっと見渡せる鉄道が走っていたということですね。写真には写ってないですが、右側にはすごーく高い防潮堤が出来つつあります。

バスツアーの運転&ガイドでお世話になったのがコチラ、大久保さんです。お話を聞いていたらアラバキやケセンロックなど、フェス会場までのバスなども請け負ったりされている会社とのことで、直接的でなくてもお世話にはなっていたんですね、なんて笑いつつ。そんな大久保さんが話しておられたこと。

地元の宮古に戻って、観光バスを要した輸送業務などを含む会社を興した(リアス観光)。「これまでいっぱい稼がせていただいた」から、震災後にどうなろうと、会社がつぶれようと構わないと思って車を動かしたという。海側には支援がいくけれど、山の方に住んでいる高齢の方々もいる。なかなか気づかれないそういう方々の日帰り入浴、お買い物のピストン輸送を担ったという。「どうか、報道されていることが全てではない。いろいろなところに目を向けてほしい」と(そして、いろいろなところに目を向ける、というのは。震災に関する話に限ったことではないだろう)。

そんな震災後、これまたボランティアで、避難所で合唱をするという高校生を乗せたことがある。到着した高校生が「こんな状況の中で歌っていいものだろうか」と涙を流し始めたという…その高校生は内陸の学校なので、震災後に沿岸部を訪れればこんな状況になるのは想像に難くない。でもその時の歌声は、きっと多くの方を癒したり、心を動かしただろう。

今だから話せること、というのも。どんな方にもあると思う。「こんなこと、お話しするつもりじゃなかったんですが」と言いながら語る大久保さんのその口調には、ちょっとした怒りのようなものもわたしは感じられた。どこにもやり場がない、怒りのようなもの。わたしもFM岩手に届いた言葉や書き殴られたファックスの文字を思い出す。わたしたちが受け止めよう、と思ったけれど、そしてがんばったつもりだけど、やっぱり辛かった。

そんな、あの時があって、今がある。

石巻に到着してから時間がある我々は、石巻市内をぶらぶらしつつ食事。石巻は宮古、大船渡に比べると都会ですな。交通渋滞も起きたりしてるし。

石巻のライブハウス・ブルーレジスタンスの前の道をちょっと入ると。韓国料理のお店が出てきた。入った。たぶん、日本で食べられる韓国料理の最高峰と言っていいくらいにおいしい…韓国の味がする。「だってそうよ〜キムチひとつにしたってぜーんぶ、韓国から仕入れたものでしか作ってないもん」とおかあさん。

牡蠣入りのチヂミは冷凍して常に我が家にストックしておきたいと思いました。キャシーとパクパク、2人でま〜あよく食べた、食べた!

でもこうしてゆっくりキャシーと話すのも初めてだもんね。たのしかった♡キャシーも「月に1回通いたい!」と言っちゃうほどのお味。そんなこのお店を見つけたのはキャシーです。優れた嗅覚!

さてさてライブハウスにて。暴年会で何があったかというのは書きますまい。最後に記念撮影☆

個人的には、ジュン・ランボルギーニがドラマーのDAZEさんに「だぜ・だいじゃえもん」と名付けたこと、そしてジュンさんがステージで語ったことにちょっとうるっときたことだけ記しておきますね♪

…しかし夕方6時にスタートして、終わったの何時だっけ…10時くらいじゃなかった…(^^)?笑

「ちえぞうさんにもあげるね!」って。前に石巻で会った方から手作りピアスもらいました!デイリーユースで使ってます、ありがとうございますー!!

新潟からやって来たケースケ。ラジオ聞けよな!!

沖縄からやって来た、ひさしさんを囲む美女+オレ♪

写真はないけど、とにかくとにかく、いろんなたっくさんの人が集まった夜。ただ頼むからせっかく黒澤さん(石巻のライブハウス・ブルーレジスタンスのボス)が口開けした山形の銘酒・十四代をビールに注ぐのはやめて(もはやグラスに何が入っているか注いでる人も分からないくらいみんな楽しく酔っ払っていたというエピソードですが。笑)!

東北3ヶ所のライブハウス・ライブハウス大作戦の大ボスが西片さん(真ん中)です(左はおなじみハムちゃん)。

ちょっと話があっちこっちしますが、今週(木)文化放送『music with you!』で1曲お送りしたEGG BRAIN、彼らのレーベルを運営しているのも神戸のライブハウス・太陽と虎の松原という男です。昨年は24時間テレビやら何やら、「ガンで余命宣告を受けてもフェスに取り組む」などの特集でテレビによく出ておりましたが。

ステージ4のガンが発覚してわずか2年の余命宣告から、今はそれを過ぎて生き続けています。今年、最初のメールは松原からでした。メールの文面を読む限り、この男に余命宣告?ってくらい、いつも通りです。そして相変わらずメールの返信がズバ抜けて早いです。

そんな松原にしてもそうだし、先の西片さんもだし。どうしてこんなにも自分と戦って生きていられるのだろう、と。悪い言い方をすれば、自分の首をこんなにしめなくてもいいではないかと思います。でも思ったのですが、そういう生き方をしているからこそなのかもしれない、と初めて思えるようになりました。一瞬を、1日を、自分が犠牲になって上等!の覚悟で生きておられるのだなぁ、と。

カッコいい。本当に、カッコいい。だから、人が集まる。そういうことだ。

この日は西片さんもけっこうお酒がいいペースで進んでいて笑顔もたくさん出ていて、なんかそれだけでもう「来て良かったなぁ」ってなりました(^^)

そんなこの日はホテルに着いてからが長かった…このライブハウス大作戦では‘恒例’と言って良いのか(笑)、ロビー飲みというホテルのロビーで飲む儀式(爆)がありまして。しかも石巻のホテルはロビーとコンビニが直結してる(猛爆)という素敵ロケーションにて。おまけにライブハウスのたかおくん(写真モデル)が「差し入れ!」と日本酒をどんどん出してくる!

そんな、たかおくんと真面目すぎる真面目な話で夜が更けました…お酒は進んでも全く酔えなかった。楽しそうにしていても、もちろん、楽しむ時は楽しむけれど、でも本当に大変なことが多くて。そんなのはどんな立場でもどんな仕事でもどんな人でもやっぱり同じなのだなぁ、と、つくづく、思う夜でした。有意義でした。

わたしができることは、わたしができることがあれば、なんでもする。そのために、自分なりにまだまだがんばろう。

2018年の暴年会は、そんな決意を新たにさせてくれるものになりました☆

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